鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

考えてきた解読が妥当ならば・・・

2005年10月08日 | 「考える宗教」へ
                 



 これまで進めてきた解読は、絶対的なものではありません。それは鹿嶋の解読であって、一つの仮説です。正しくない可能性もあるし、正しい可能性もある。いま、正しい可能性ありの方に立って、少し推論を進めてみましょう。

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 この創世記は、預言者モーセに霊感が与えられて、モーセが記録したものとされています。モーセはイエスがこの世に現れる約1500年前の人です。そして記されているこの事件は、モーセよりさらに2500年前の話。イエスが現れる4000年前の話です。

 モーセが生きた時点では、将来イエスという青年がイスラエルに現れて、十字架にかけられて殺されるということなど、モーセも含めて誰にも予測できませんでした。

 ですから、「おまえの子孫」「女の子孫」「おまえの頭を踏み砕く」「女の子孫のかかとに噛みつく」などは、何を言っているか、解釈するすべがありませんでした。モーセもいってることの内容がわからない状態で書いているわけです。

 でも、その書物が、ユダヤ民族の間で延々と保存されてきた。後にユダヤ教の教典となって、大切に保存されてきたわけです。それが現在の旧訳聖書の中に収録されている。我々はそれを読んで考えている、と言うわけですね。

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 モーセがこれを記した時より1500年後、記されている事件から計算すると4000年後、イエスという青年がイスラエルに現れます。そして多くのことを教え、自ら十字架にかけられ殺されます。

 イエスは、旧約聖書に記されていることは、すべて自分を預言したことだ、と教えます。そしてこの教えやイエスを巡って起きたことを、「おまえの子孫」「女の子孫」などに当てはめてみたら、上記旧約聖書「創世記」の記述に、一つの意味の通る解読が成立してしまいました。

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 もしも、この解読が正しいのならばどういうことになるでしょうか。旧約聖書では、創世記の冒頭の記述から4000年後に起きることを、預言していることになるのですね。

 書いた本人、モーセは霊感で受けた言葉をそのまま記しました。ところが、後に、その通りのことが起きた、となります。

 イエスの時代の一人の作家が、イエスの事件をみて、それから創世記冒頭の物語を創作したのなら、そう驚くことではありません。事件のドラマ性を高めるために、それに符合する不思議な昔話を、振り返って物語として書いたのでしたらね。

 ところが、これはそうではないんですね。創造主からのメッセージをモーセが霊感で受けて書いた。それが先です。書いた本人も、それが何のことだか具体的にはわかりませんでした。それが実は、その時より1500年も先に起きることの預言になっていた、ということなんですね。

 実は聖書では、創り主からでた預言は、そのまま被造界に実現する、という鉄則をもっています。そしてこの件に関しても、そうなっていた、ということになります。

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 へ~え、聖書というのは、そういうすごい本なのか、ということになりますね。
もちろん、鹿嶋の仮説的な解読は、仮説ですから、そういう可能性がある、ということしか言えないでしょう。

 だけど、この種の可能性を秘めた本はそうざらにあるものではありませんよ。鹿嶋個人は、他に知りませんから、鹿嶋にとっては当面、聖書はこういう可能性を秘めたこの地上の唯一の本、ということになります。

鹿嶋が世界を考え、人生を考える際に、聖書という本に期待と信頼を置く一つのゆえんがここにあります。

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