鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

2. 幻なき民は滅ぶ?

2013年07月29日 | 聖書と政治経済学



聖書に「幻なき民は滅ぶ」という名言がある、という話を聞いたことがある。
スタイリッシュな言葉で、魅了されそうになるが実際にはそんな言葉は聖書にない。
だから語る人は意味を問われると「夢を持たない民族は滅びるということです」とか、
「会社も夢を描くことが必要です」などと、浅薄にして曖昧な説明をする。




実際には、それらしき聖句はこうなっている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守るものは幸いである。」
(『箴言』29章18節、「新改訳聖書」の訳による)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これについて、神学者や牧師さんが解説するのを聞いたことがある。
これらも、やはりその意味ははっきりしない。

そもそも、聖書を訳した邦訳者も、わかっていない。
わからないままに訳しているから、訳文自体が揺れている。

・「預言がなければ民はわがままにふるまう。しかし律法を守るものは幸いである」〈口語訳)
・「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守るものは幸いである。」〈新改訳)
・「幻がなければ民は堕落する。教えを守るものは幸いである。」(共同訳)

英語聖書も同じだ。
訳書によって「幻」に当たる語が、revelation になったり visionになったり prophecyになったりしている。
大揺れである。要するに英語訳の制作者もわかってないのだ。




<この「幻」は律法のこと>

どうしてそうなるかというと、みな、「描かれる幻の有り様が重要」といういう先入観を
もつからである。
だがこの聖句はそうではないのだ。
ここで幻(vision)と言っているのは、人間の意識に描かれた律法のイメージである。
律法の代表は「十戒」だが、ともあれこの聖句ではその幻が律法であると、もう決まっているのだ。
「幻がなければ民は自由に振る舞う」といっておいてすぐに
「しかし律法を守るものは幸いである」というのがそれを示している。

この聖句が焦点を当てているのは、心の中で個々の律法のイメージを「豊かに形成する力」である。

イメージ力が弱ければ、人は律法のイメージをありありと心に描くことができない。
すると人民は律法を実質上守れない。守れないから、すぐに守らなくなる。




<ソロモンの知恵>

この書物『箴言』の著者はダビデ王の息子、ソロモン王である。
この時代に国家を運営する法律は、旧約聖書の律法だ。
それがイスラエルの人民に秩序を与えてきていた。
王はそれでもって人民を裁き、民族の一体性を保持してきた。

ところがもし、人民にイメージ形成力低下が起きれば、
民は律法の中身がありありとイメージできなくなる。
さすれば律法を守るのにひどく心労しなければならなくなり、まもなく守らなくなる。
同じ『箴言』の29章18節での「民はほしいままにふるまう」という聖句はそういっている。
ソロモンはそれを警告しているのである。




これは古代イスラエルに限らない。
どの国でも民にイメージ力が弱ければ、法律は理解されない。
民が法を理解せねば統治者は強権による「恐れ」でもって民を統制していくしかなくなる。

すると民の精神は萎縮し、国家の知力は衰えていく。
民の自由も、国の長期的盛衰も、つまるところは民のイメージ形成力によるのだ。

人民は統治者だ。
現行統治者へのヤジを飛ばすのもいい。自由を制約する政策に抗議するのもいい。
だが、それだけでは政治は良くならない。

人民は同時並行的に、自己のイメージ形成力の育成に、つとめていねばならない。
常時勤めて、統治担当者の仕事もイメージできるようにならねばならない。
でないと、一国の政治も良くなっていかないのだ。

『箴言』29章18節は、そういう政治の奥義をも示唆してくれている。
それを「幻なき民は滅ぶ」などと、かっこいい言葉で言い換えさせるのは、
その奥義を見えなくするものだ。

これを悪魔の導きによる、と思う人は思えばいい。
がともかくかっこいい文句は「目くらまし」になりやすいことを覚えておくべきだろう。

この覆いを取り払えば、聖書という書物は、スモールグループでの相互吟味を通すことによって、
その種の知恵を限りなく明かしてくれる書物なのだ。

(続く)

時間のある方はこれも参照されたい。
https://www.youtube.com/watch?v=xs5Qt6WauDg






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3 コメント

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ヨエル書との関連 (SABIA)
2013-07-30 07:59:55
箴言29-18は、これまであまり気に留めていませんでしたので、教えられるところが多かったです。
幻というと、私がすぐ思い浮かぶのは、ヨエル書2章28節です。創造主訳では、
「その後、わたしの霊を、すべての人に与える。あなたがたの息子や娘たちは預言し、老人たちは夢を見、青年たちは幻をみる。その日には、男も女もわたしに仕える者たちに、わたしの霊を与える。」
となっています。
これとつなげて考えると、律法あるいは御言葉を守る人には、創造主の霊が与えられ、それによって幻を見ることができるようになる。逆に、御言葉を守らない人は、霊を与えられないから幻を見ることができず、自分勝手に振る舞うことになる、という解釈も可能かなと思いました。
Unknown (鹿嶋春平太)
2013-07-30 18:02:34
SABIAさん、コメントありがとうございます。
なるほど、ヨエル書ね。「青年たちは幻を見る・・・」か。

ソロモンは王様で、しかも結構現実的な性格の人だったのでは、と思っています。現実の国家をどう運営しようかという問題意識を持っていて、そこに箴言の聖句が啓示された、という印象を持っています。
関係ないか・・・ (鹿嶋春平太)
2013-11-29 08:10:33
ソロモンは超精力絶倫というか「超女好き」というかそういう王様でもあったようですね。

妻が700人いて、それでもたりなくて、側室を300人置いたといいます。
夜ごとに一人ずつ訪問しても、二年かかります。
江戸の将軍の大奥など比ではない。想像を絶する世界。

たしかパテ・シェバとの不倫の子ですよね。
いつのまにか淫乱の霊でも入ったのかなあ。
(そんなことここでは関係ないか・・・・)


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