徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-718

2015-02-08 09:03:32 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(パキスタン)-339

12)パキスタンを歩く

日記から-36

11月13日(火曜日) 晴れ

 朝だけ快晴であったが、後はまた、うす曇が出る。これは風によるものかもしれない。
風のおかげとうす曇のおかげで比較的、涼しく歩ける。(それでも暑い。)
気候はあまり気にならないが、パウダーの砂でそれが靴の中に入ってしまうのが玉に瑕である。

 ところで、今日は大変ゾ~とすることがあった。
それは子供のことである。何時ものように砂漠では何処からともなく人が沸いてくる。(現れてくる。)
その様に8歳ぐらいの子供が沸いてくるのである。
その子供が始めは俺の横を歩きながら、話しかけて来てきた。
彼の話を良く聞くと俺の指輪がどうだなど話しをしながら、金をよこせと言うのである。
俺としても始めは人に対して前の失敗もあるので、「ハロー」などと対応良く答えていたが、金をよこせと言うので、無視をして歩いた。
そうしたら、彼は一度はいなくなり、戻って来て俺の後をついて来るのである。
その時にはその子供が自分の身長ぐらいの鍬(クワ)を持って来て、「金を出せ!」と俺を脅すのである。
子供である彼は本気である。彼らは命を懸けて、強盗をしている。
この子供がこの様な考えであるなら、この子供を教育した大人の人々はどんな悪人であろう?
そう思ったら俺がゾーとしたのである。
その後は子供が如何にも「鍬で叩くぞ!」という格好をするので、タイミングを見てそれを取り上げた。
そしたら、その子供はやはり子供である、泣き出したのである。

 その後はさすがに子供は追いかけて来なかったが、もう一つの心配が俺を襲った。
それはこの辺の貧しい村では物が少ないので、この鍬も彼らにとっては大切なものである。
その鍬が無くなってしまったら、その家では大事件である。それを必死で探すだろう。
そんなわけで大人達が集まり、鍬を探すのであるが、砂漠は道がほとんど限られているのですぐに鍬を持っている俺などは見つかってしまうだろう。
こんなことを想像してしまうのだ。
それで、俺が持っている鍬をすぐに捨てると、また、子供が拾って追いかけてきても困るし、重たいので長くは持ちたくない。
結局、1~2km持ち歩いてその鍬を捨てた。
とにかく、この鍬の為に多くの大人達が動き出さなければいいのであるが、、、

 そんな事があって、Dalbandinという所に着く。
そこではあんな事があってもパキスタン人は親切である。
ガソリンを500ml買ったのにお金を取らなかったし、食堂で食事をしたら「歩くぐらいだからお金がないのだろうから泊まって行け。」と言ってくれた。
それでも八百屋で野菜を買った時は俺がお金を払ったのに、もらっていないと言い、大変もめた。
この八百屋の男は見るからに顔がごまかす様な顔をしていた。基本的にはパキスタン人は親切だが、こんな人もいるのである。

 今日はレストハウスでテントを張り、寝ることにする。
そこにはオランダからOver Land Trip (オーバーランドトリップ)をしている人々が来た。
彼らはヨーロッパからアジアを見に行くツアーで、若者たちがキャンピングをしながら行くものである。
確か、そのバスの名前が「コンチキ号」だったと思い、前にも聞いたことがある。
俺は今後、早くアジアの若者がヨーロッパを見に行く逆のツアーを作りたいものだと思う。
そう思いながら、旅行をしている彼らとしばらく話をした。

出費 28.00パ ルピー

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筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。

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