福谷章子のまちづくり

さまざまな役割を持ちながら暮らす中で、日々出会い触れ合う人々、街、文化、自然、出来事についてつづります。

邪魔者は無自覚なこだわりでした

2017年12月14日 | ひとこと言わせて


今日は、まぶしい青空の良いお天気でした。
身も心も晴れ晴れと・・・と言いたいところですが、ここのところ承服しかねる提案を母からされて憤っております。
「これからは私の夕食用に、お弁当を宅配で毎日取りたい。」

同居を初めて半年。
この1週間、体調はとても良いようですが、米寿の母にとって3人分の遅い時間の夕食作りはかなり負担なのでしょう。

冷静に考えれば、一人暮らしの高齢者が宅配のお弁当をとることは珍しくありません。
しかしながら、まがりなりにも娘の私としてはそれは由々しき事態。
なぜなら、これまでも作り置きなどのやりくりで家族の食生活は何とかしてきましたし、私がどうしても忙しい時は夫は夫で食事を済ませることは、我が家では普通のことでしたから。

時間が合わない日は冷蔵庫の中や中食の活用で臨機応変に乗り切ればよいと思っています。
「必要ないよ!」
しかし、老母はかたくなに譲りません。

初めは非常に腹が立ちました。
我が家で一人孤食を通すというなら、一緒に暮らすことなかったのに!くらいの勢いで。

しかしながら、時間の経過とともに、母の気持ちも分かってきました。
忙しそうに家を出たり入ったりする娘に、余計な心配はさせたくない。
かといって、自分自身の体調管理のためには生活のリズムを守りたい。
夕食は早めに済ませたいけれど、帰宅の遅い婿殿には出来立てのアツアツを食べさせたい。
そうしようと努力はしてみたものの、とても体力がもたず出来ない自分にストレスを感じて体調を崩すことの繰り返し。

そこで、宅配弁当を思いついたのでしょう。

案外、英断かもしれません。

家族だから同じ時間にテーブルを囲んで食事を共にすべき、と何となく私が勝手に考えてこだわっていたのです。

もう成長しつくした大人3人の生活です。
それぞれが気負いなく、無理なく、負い目なく暮らす方法を探っていけばいいのかもしれません。

男女共同参画社会で女性も男性も、そして高齢者も活き活きとその人らしく生活することを強く望む一方で、家族のあるべき姿へのこだわりを捨てきれずにいると、合理的な判断が出来なくなるということを、身をもって感じた小さな出来事でした。

弁当宅配、しばらく見守ってみます。


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