福谷章子のまちづくり

さまざまな役割を持ちながら暮らす中で、日々出会い触れ合う人々、街、文化、自然、出来事についてつづります。

誰にも平等な一人の時

2018年01月19日 | ひとこと言わせて


誰にでも平等に与えられているのは、「一日24時間」だけだとこれまで考えていました。
その他は、決して平等ではないのが当たり前なので、そのことを前提に考え工夫すべきと思っていました。

ところが最近もう一つ、誰にも平等なことがあることに気づきました。

それは、人は誰でも一人で死んでいく、ということです。
生まれるときは母の力を借りますが、死んでいく時は一人です。

臨終の枕元に何人いようと、葬儀に何百人参列しようと旅立つのは一人。
大金持ちでも貧困にあえいでいても、友が多くても孤独でも、旅立つときは誰ともいっしょには行けない。一人です。

このことは議員時代に、ある委員会で同僚の議員が発言してからずっと心に引っかかっていました。
その時の私には、それほどの覚悟をもって医療や介護や死に向き合うことが出来ずにいたということでしょう。

つまり要するに、結局人は最後は1人になるのだから、せめて生きている時は人と関わって生きていくのが人間社会で生きる意味なのだろうと思うのです。
だからみんな仲良くしましょう!などと気楽なことをいう気はさらさらありません。
気に入らないものは気に入らないのだから。

ただ、死を感じ始めた人がその未知の時を迎える恐怖はいかばかりだろうか?と想像すると、寄り添い方のイメージも変わってきます。
不安や恐怖に固まり、否定の鎧を着た人に静かな笑顔で向き合い続けることは難しいかもしれない。

それでも、一期一会なんだと思えば、少しは優しくできるだろうか?
ありのままを受け入れることができるだろか?
もしそうでなければ、情緒をもつ生き物である人としては寂しすぎる・・・そう感じます。




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