今日は『下駄の日』
7は下駄の寸法を表すのに『七寸七分』というように7がよく使われ、
22は下駄の跡が『二二』に見えることから。だそうです。
ということで・・・
下駄電といえば・・・の、72系です。
1977年2月6日、都心部では雪が積もった日曜日。
風邪気味で喉が痛いというのに、何を思ったのか新鶴見機関区へ撮影に向かう途中、
南武線 鹿島田駅で撮影したクハ79他6連です。
期待していた雪景色はご覧の有様でした・・・
今日は『下駄の日』
7は下駄の寸法を表すのに『七寸七分』というように7がよく使われ、
22は下駄の跡が『二二』に見えることから。だそうです。
ということで・・・
下駄電といえば・・・の、72系です。
1977年2月6日、都心部では雪が積もった日曜日。
風邪気味で喉が痛いというのに、何を思ったのか新鶴見機関区へ撮影に向かう途中、
南武線 鹿島田駅で撮影したクハ79他6連です。
期待していた雪景色はご覧の有様でした・・・
橋上駅になって、新川崎駅へ続く通路もできましたがホームの雰囲気はあまり変わらないように思います。
南武線の行先板、この字体好きです(笑)
次位のモハ72は、低屋根車でしょうか。
南武線の72形、懐かしいです。
枕木やバラストまで鉄サビ色だったことなど、
当時の記憶が蘇ります。
1977年の新鶴見機関区、EF10は去っていましたが、
EF13はまだ配置があったように記憶しております。
その時の画像も楽しみにしております!
朧げな記憶では画面手前の踏切を渡って新鶴見へ向かったような気がしますが、
今や橋上駅ですかぁ(驚)
次位はご推察通り、この当時西ナハに一両だけいた低屋根車の861かと思われます。
自分も後年になって気が付きました^^;
”味”のある行先板なども含め、趣味的にも楽しめたはずの南武線でしたが、
72系ということで軽視していた事を悔やんでいます。
電車も線路も茶色だらけに加え、石灰石輸送の”白い線”がアクセントの南武線でしたね^^
仰るように新鶴見のEF10には間に合いませんでしたが、この日は東京機関区の33号機が
留置されていまして、思わぬ収穫でした♪
この頃、ハマ線にも南武線にも72系はいたはずですが、身延線や飯田線の戦前型ばかりに目が行って気づいたときには鶴見線72系の終焉にあわてて赴きました。
低屋根車なんていたんですね~!知りませんでした。
やはり戦前型優先でしたよねぇ^^;
西ナハには、何故かスカ色の山ゲタになり損ねた861がいました。
撮影時に気づき、形式写真的な一枚を撮っておきたかったものです(悔)