本日、9月20日は『日付ネタ』で・・
クハ79の920番代です。
1978年7月2日、鶴見線 浅野駅?での撮影と思われます。
いま思えば、自分で撮影した唯一のクハ79全金車でした。
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クハ79、懐かしいですね。
正面窓がちょっと奥目になったデザインは
その後の101系、103系の通勤電車に引き継がれ
一世を風靡することになりました。
そんな重要な電車なのですが、撮影する機会が少なく
まぼろしの画像となっています
カラーで残った貴重な映像ですね〜♬
旧型国電の完成形とも言える車両ですよね。
朱色や水色、黄緑、スカ色などの車両も見てみたかったモノですが、
オリジナルのブドウ色を一枚でも撮れていて良かったと思うようにしています^^;
世田谷から埼玉に引っ越して1年間、京浜東北線沿いに住んでいましたので、お写真のクハ79は実に懐かしいです。当時は8両編成で、三段窓車からノーシルノーヘッダー車まで、様々な車両が連なっていました。両親や祖父母は「コクデン」と呼んでいましたが、色が黒いからそう呼ぶのだろうと、子供の頃は考えていました。
101系に繋がっていく顔なのに、片町線のオレンジや
富山港線のブルーよりも、このぶどう色が一番似合いますね。
背後の巨大な鉄骨の橋は消えましたが、浅野駅の雰囲気は
いまもそのまま、と思います。
微笑ましいエピソードをありがとうございます^^
そういえば自分が小学生の頃、大正生まれだった叔母が山手線の事を
”省電”と呼んでいた事を思い出しました。
『ショウデン』『コクデン』は自然に根付いた愛称だったのでしょうが、
押し付け?の『E電』は全く根付きませんでしたね。
やはりブドウ色は”正統色”とでも言いましょうか、貫禄が感じられますよね。
その一方で、各色も撮り揃えてみたかった・・というのが本音ですが^^;
浅野駅とのお墨付きもありがとうございました♪
鉄骨の橋も過去の物ですかぁ・・
話は変わって、先日仕事で弁天橋に行きました。垣間見た電車区は首都圏の205系がゴロゴロいました。いまや205系も首都圏の通勤輸送の第一線を退きつつあるので72系が居た頃とシチュエーションは同じとも言えますね。
72系はキンゴローさんにとって”トラウマ”電車だったのですね。
のほほんと育った自分が桜木町事故の事を知ったのは、ずいぶん後になってからでした。
そういえば弁天橋へはこの時以来行っていない事に気が付きまして・・・
72系時代を偲びに行ってみたくなりました。