ショッポーの趣味部屋

鉄道・旅行・散歩・・たまにグルメ?の、のんびりブログです。

控え漏れのクモハ42。

2016-04-02 12:46:10 | 旧 旧型国電の部屋
今日は桜の撮影には生憎の空模様で・・・


そんな本日、4月2日は日付ネタです。


イメージ 1
左側、クハ55 081と、本日の主役クモハ42です。


この42、なぜか車番を控えておらず・・・
当時、宇部電車区には001、005、006の3両が配置されていました。
手持ちの005の写真とは細部が異なるため、残るは001か006。
ネットで画像検索した結果・・・どうやら006と判明しました。
便利な世の中になったものです^^;


1979年8月15日、宇部電車区にて。



コメント (8)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 1976年3月、名古屋駅の『しら... | トップ | 嗚呼・・1978年夏、安曇野にて。 »
最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (tom)
2016-04-02 17:41:00
こんばんは
クモハ42いいですね。原型窓もいいですが、幌付がますます男前です。飯田線や宇部線で43、42を撮りましたがどうもいつも幌なしで、今一でした。
41/55ばかりのロングシート車ばかりだった、宇部・小野田線にクロスの42が行ったのは(ただ単に)両運だったからでしょうね。
返信する
Unknown (ショッポー)
2016-04-03 09:16:00
> tomさん、おはようございます♪
そういえば宇部の3両のパンタ側は、どれも幌なしでしたね。
増結or本山支線にはクロスシートでちょうど良かったようにも
思えますね^^
返信する
Unknown (KAZU)
2016-04-03 13:30:00
こんにちは~♪
警戒色が気になりますが・・・
ぶどう色の旧型国電の砦を守った宇部電車区。
最盛期には、両運転台車両がクモハ40(023,067)クモハ42(001,005,006)とクモハ12(027)と所属車両が少ない割には両運転台車両があったのは、予備車としてどちら向きにも使用ができる利点を有効活用していたのでしょうね。
幌については、中間に入れられた時の向きの関係ではないかと思います。片運車の中間幌が、どちらに付くかでクモハ42の幌が決められていると思います。
返信する
Unknown (ショッポー)
2016-04-03 16:21:00
> KAZUさん、こんにちは♪
こうしてみると、クモハ42の001以外は撮影出来ていた事に気が付きました。
しょうもない写真が大半ですが^^;
幌についてのご解説もありがとうございます。
なるほど、そういう関係があったのですね。
返信する
Unknown (garatahmet)
2016-04-03 20:23:00
こんばんは^^
拙記事でもコメントさせて頂きましたが、本当にネットには
助けられますね。私など、メモなどもとっていなかったので
過去画像は判らないことばかりです(苦笑
以前にも、同じ様なコメントをさせて頂いた気もしますが
宇部・小野田の両線は全く縁なしでした。昨今は103系流れの
車両なども走っているようですので、また注目される時代が
来るのかも知れないですね。
返信する
Unknown (ショッポー)
2016-04-03 22:02:00
> garatahmetさん、こんばんは♪
ほんと、ネットの恩恵を受けまくっております^^;
当時の宇部・小野田線は、自分にも”西の果て”のような感覚でした。
'90年代に”撮り鉄”を再開し、美祢線のDD51を撮りに行った頃には
すぐ近くに未だクモハ42が残っていたというのに、再訪しなかった事が
悔やまれます。
現在は103系流れが走っているのですね。
撮り鉄から遠ざかりつつある現在、宇部・小野田線は再び”西の果て”・・
という感覚になってしまいました^^;
返信する
Unknown ()
2016-04-05 09:56:00
はじめまして僕は宇部市在住のものです
僕が小学生のころまで茶色の電車にはお世話になりました
返信する
Unknown (ショッポー)
2016-04-05 21:30:00
> 真さん、こんばんは♪
はじめまして。
宇部市にお住まいなのですね。
茶色い旧国達が引退して、かれこれ35年が経とうとしていますが、
それらと間近で接せられたのですねぇ。
東京の”鉄ちゃん”には羨ましいお話であります。
返信する

コメントを投稿

旧 旧型国電の部屋」カテゴリの最新記事