車両の顔の第47回です。
今回のお顔は・・・
クハ47110です。
1934年7月、クハ58 020として製造され、新製配置は宮原。
16年間、京阪神地区を走り、1950年9月に田町へ移動。
翌1951年3月には、一旦豊橋へ移動しますが、5月に富士電車区へ。
以来31年間、途中1953年の形式改正でクハ47となりながら、
1982年2月の廃車まで身延線を走り続けました。
貫通扉周りの沢山の段差が、じーっと見ていると迷路のように見えてきたり(笑)、
正面窓がHゴム化されてはいるものの、まさに古豪の顔でした。
今回のお顔は・・・
クハ47110です。
1934年7月、クハ58 020として製造され、新製配置は宮原。
16年間、京阪神地区を走り、1950年9月に田町へ移動。
翌1951年3月には、一旦豊橋へ移動しますが、5月に富士電車区へ。
以来31年間、途中1953年の形式改正でクハ47となりながら、
1982年2月の廃車まで身延線を走り続けました。
貫通扉周りの沢山の段差が、じーっと見ていると迷路のように見えてきたり(笑)、
正面窓がHゴム化されてはいるものの、まさに古豪の顔でした。
クハ58というと、にわかにはピンと来ませんが42系のクハだったnですね。クハ47100も幌枠つきと無しでは大分印象も異なりますね。
身延線も飯田線もこのスカ色は貫通扉は基本的に白が多かったように思います。この上も下も”青ラインがまっすぐ”な車輛は比較的珍しかったように思います。
コメント&ナイス!ありがとうございます♪
コメント頂くまで塗り分けについては気が付きませんでした(汗)
たしかにこの塗り分けはレアケースかもしれませんね。
クハ47の100代は、あまり撮影していないのですが、'77年に飯田線で撮影した114も
仰る通りに貫通扉は白かったですし・・・
110は塗装の簡略化でもされていたのでしょうかね??
お世話になっております。
飯田線に居た似た顔のクモハ43015?でしたか…
車号までは定かではありませんが
前照灯の取り付け位置が中心から大幅に
ズレていまして、
現地で対面した時、軽いショック症状に
陥ったことがありました。
以来この手のお顔を拝見すると、無意識に
前照灯の位置を確認してしまいます。
幸いこの車両はズレてませんね(笑)
こちらへもコメントありがとうございます♪
幸いな事?に、43015とは面識がありませんでした^^;
そのような車両がいたのですか・・・(汗)
ちょっとしたトラウマでしょうねぇ。
前照灯ではありませんが、以前に拙シリーズでクモハ60024を紹介した時に
尾燈の高さが左右で違っている事に気が付いた事がありました。
ほんの些細な事ですが、一度気になると、やはり他の車両を見る時にも
気になってしまうようになりましたから、L特急さんのお気持ちがよく判ります。
それにしても、43015の前照灯は現場で誰も気が付かなかったのでしょうかねぇ・・??
クハ47=モハ32の制御車との思い込みがありまして(汗)クハ58が
42系の制御車であったことの認識がありませんでした;;
でも田町にも短期間居たということは、横須賀線で走った経歴も
あるのでしょうか。仰るように、貫通扉とその周りを見ていると
工芸品のような、繊細さのようなものを感じますね。
旧国の出自は複雑なモノが多く、悩ましいですよね^^;
クハ47だけでも、数タイプが存在しましたし・・(汗)
田町時代は増備された70系に押し出されるまで、短期間ではあるものの
スカ色を纏って横須賀線の先頭に立っていたようですので、
garatahmetさんの”地元”へも顔を出していたことでしょう^^
鉄道車両に限った事ではありませんが、”昔のモノ”って凝った造りが
多く、感心させられる部分が多々ありますよね♪