本日は!
太田君 の話。
子供の頃、
九州の炭鉱が相次いで閉山されて
職を失った炭鉱マンたちを
岡山県玉野市の三井造船が受け入れた。
そんなわけで、
中学には
九州から転校してきた同級生が何人もいて
九州文化が程好く浸透していた。
そんな頃に
少し遅れて 太田君 が転校してきた。
太田君 は、
いつでも、どこでも 屁 のできる達人だった。
太田君 は
他の九州出身の子供たちとは違い
都会的なムード を漂わせていた。
なぜなら、
太田君 は 長崎軍艦島 出身だったのである。
軍艦島に住んでいた という事実は
他の九州出身の子供たちからは羨望だった。
まるで 未来の国 からやってきたように・・・・。
子供たちの間でも、
軍艦島 は、うわさの超近代都市だったのである。
軍艦島 は大正時代から
鉄筋コンクリートの共同住宅が建ち並び
人口密度は東京の9倍の超過密都市。
娯楽、嗜好品、生活必需品は
東京よりもいち早く、島内で何でも揃う
完結した 超モダニズム都市 だったのである。
しかし、1974年に
軍艦島 は閉山され
都市機能をすべて残したまま無人島となる。
太田君 の影響を受けてか・・・・
軍艦島 への憧れがずっとある。
(岡山時代のノート)
そんな、
軍艦島 が今年4月22日から
一般公開されるという。
それが、
良いことなのか?悪いことなのか?
単に、
廃墟を見世物にする観光 ならばむなしい・・・・。
その辺、
太田君 に聞いてみたい。