八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

瀬戸内 謎の人面石

2009-10-30 23:12:00 | ゲージツ

 

本日は!

玉野の石工 松下与一 の話。

 

 

直島 北側の

牛ヶ首島(うしがくびじま) に

大きな 人面石 が横たわっている。

 

 

昭和49年の空中写真で確認すると・・・・

 

00

01

02_2

 

 

確かに 人面石 がある!

 

 

人面石 をよく見ると・・・・

 

 

 頭は北を向き、

 右手を枕にして、

 顔を西に向けている

 

 

ということは、 涅槃像 なのである。

 

 

この 涅槃像 は

玉野の石工 松下与一 の作品。

 

昭和32年から昭和42年頃まで

たったひとりで、彫り続けたという。

 

 

正式には、

牛ヶ首聖園 日蓮上人涅槃石像 という

 

 

そもそも、

 

大正元年から、

山陽新聞創始者 西尾吉太郎 らが

牛ヶ首島 を一大聖園にしようとした計画。

 

震災や戦争の影響で

工事は、一度ストップするが・・・・

 

昭和30年代に、

再び復活し 松下与一 の仕事につながる。

 

詳しい話は・・・・

「潮風と暮らす」 「再生の島プロジェクト」

で紹介されている。

 

 

 

古い話になるが・・・・

 

  

牛ヶ首島 は

高校時代、放課後のデートで

玉野の海岸からいつも眺めていた島である。

 

 「〇〇ちゃん、

 あの岩、顔みてえじゃが~」

 

 「顔には見えん、

 ただの岩じゃが~」

 

 「岩じゃねえ、

 ありゃあ、ぜって~顔じゃが~」  なんて。

 

 

 

そんな、 牛ヶ首島 は・・・・

  

大正時代には、多くの日蓮宗信徒が

島を訪れ、賑わったことだろう。

 

G0834 牛ヶ首島港の賑わい

G0835 信徒による土除工事

G0836 涅槃石像模型(1/10)

G0838 牛ヶ首聖園休憩所

 

 

日蓮信徒ではないが

牛ヶ首島 日蓮上人涅槃石像仏 を、

 

いつの日か、

昭和の名船 「勝丸」 で

訪ねてみたいと思う。

 

Img_4176

 

 

そしてきっと、

こう言うだろう。

 

 

 「ヒマコ!

 あの岩、顔みてえじゃが~」  なんて。

 

 

 

 

 


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
始めまして大津在住の並川です。 幼い頃玉野高校... (並川 輝子)
2013-05-29 11:50:16
始めまして大津在住の並川です。 幼い頃玉野高校の近くで住んでいました。時折、母が「牛ヶ首島の松下さんが彫っている涅槃像はいつ出来るのかしら?」と入ってたのを思い出しPCで検索してたところ高原さまのブログを拝見し懐かしくてコメントさせていただきました。牛ヶ首島が見える海岸は何処だったのかしら...日の出海水浴場からは見え無かったですね。
夢か想像か頭の部分を何処からか見たような気が致しますが...
歳を重ねると遠い時を想い出しますこの頃です。
ゆっくり直島初め島々を尋ねてみたい気が致します。ありがとうございました。
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はじめまして並川さん。人面石を見たのは田井の海... (takahara)
2013-05-29 15:40:27
はじめまして並川さん。人面石を見たのは田井の海岸です。
玉野は連絡線時代から比べてずいぶんと変わりました。私自身、30年ぶりに玉野に帰ってきて愕然としました。人が歳を重ねる速度よりも風景が変わる速度が早いことは、残酷なものです。そういった意味で玉野は超刺激的ですよ。
 
その後の人面石のことは、コチラです。
 
<『謎の人面石』 調査報告>
http://sholly.blog.ocn.ne.jp/akaaokiiro/2012/06/post_45c3.html
 
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石仏は (山田)
2015-12-15 19:53:34
あの日蓮さんの像は私の祖父が東郷平八郎から依頼され総指揮で建造しました。その頃小学校も作りました。
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