八浜金剛寺 (両児山金剛寺不動院) は、
真言宗醍醐派の寺で、
応永年間に元川から現地に移ったという。
応永年間といえば室町時代。
京都で金閣寺が上棟した頃である。
私は子供の頃(昭和42年頃)、
その 八浜金剛寺 が運営する保育園に通った。
当時は 八浜金剛寺 の客殿を利用して
保育園施設が設けられていた。
おぼろげながら、
太い柱や梁、分厚い床板の素材感を覚えている。
何を隠そう、
八浜金剛寺 の客殿は、
児島湾の宮浦沖に浮かぶ高島の
松林寺客殿を移築した建物で・・・・
高島に建っていた頃は、
岡山池田藩主が遊楽の際に、
御座所に当てられていたという。
要するに、
私たち八浜の子供は、
岡山池田藩主が遊んだ客殿で
お絵かきしたり、お遊戯したり、
鬼ごっこしたり、お昼寝したり・・・・ したことになる。
ちなみに、
児島湾の高島とは・・・・
神武天皇が東征の途中、8年間滞在して、
力を蓄えた 吉備の高島宮 である???
もうひとつちなみに、
児島湾に浮かぶ高島には、
北斗七星の謎 が隠されているというが・・・・
もう一度、ゆっくりと
昭和の名船 勝丸 に乗って、訪ねてみようと思う。