八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

男の子スイッチ

2011-10-08 22:54:05 | 昔話

 

子供の頃、

プラモデル改造少年だった。

  

大人になったら、

タミヤ模型 で働いていると

本気で思い込んでいた。

 

タミヤ模型 といえば 静岡

静岡 といえば タミヤ模型

 

という図式がいまだにインプットされている。

 

ということで、

 

静岡 に滞在している間に

タミヤ本社 を見学することに・・・・

 

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大興奮の タミヤ歴史館

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昔、宇野のハッピータウンで

欲しくても買えなかった

タイレル6輪(P34) のF1マシン(1/10)!

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もっと驚いたのは、実車展示コーナーには

本物の タイレル6輪(P34 ) が鎮座していたこと。

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もう、

男の子スイッチ が入りっぱなし。

 

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幻の いすゞ 3500ccV12エンジン!

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堪能しました。

 

 

 

笑えたのは、

トイレの表示サインが

なんとなく タミヤ をしているところ。

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憎いね!

 

 

 

  


安土の里

2011-05-03 17:26:07 | 昔話

 

八戸 から 京都

 

そして 近江

ヒマコ の故郷 安土の里 へ。

 

竹林をてくてく歩いて、

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石段を登り・・・・

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見えてきたのは、

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凜とした茅葺の家。

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宝暦4年(1754)の建物。

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このあたりは、

叡山の僧兵 が出没するので、

 

ヒマコ から護身用にと、

八方手裏剣 と 十文字手裏剣 を貰いました。

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どんな、時代やねん?

 

 

 

 


朝青龍に捧ぐ

2010-01-31 23:06:00 | 昔話

 

本日は!

マグロ屋の 〇〇さん の話。

 

大阪中央卸売市場、

マグロ屋の 〇〇さん は、

超酒癖の人!

 

電柱のような腕を振り上げ、

身振り、手振りを交えて

豪快に酒を飲むもんだから、

 

皿はひっくり返るわ!

コップは割れるわ!

 

店が壊れるので、

制しようとしたら

ボッコ、ボッコ、顔面を強打されるわ!

 

鼻血は出るわ!

青アザだらけになるわ!

 

 「おい、お前!

  なんで鼻血、出しとんねん!

  ガハハハハ!」 

 

と言いながら、

 

後頭部をドカ~ンと叩かれて

ノウシントー になる始末。

 

 

〇〇さん は、けっして

人をどつく気はないんだけど、

 

身振り、手振りが激し過ぎて

周りの人に、当たる!当たる!

 

 

そんな 〇〇さん は、

超酒癖 の大変な人だったんだけど

人からは、めっぽう好かれていて、

 

みんな、

 

血の滲む思いをして

ワイワイガヤガヤ、

いっしょに酒を飲んでいた。

 

 

 

誰も、

ケーサツ に駆け込んだり

診断書 取ったりしなかったよ。

 

 

 

昔は、

ワイルド で

カッコイイ時代 だったけど、

 

 

今は、

神経質 で

陰湿な時代 になったよなあ!

 

 

 

 

  


インサイダー列伝!

2010-01-22 23:51:00 | 昔話

 

本日は!

政治と金 の話。

 

幕末のサムライで

興味深い人物は・・・・

 

土佐の高級上士 後藤象二郎!

Gotou

 

稀代の浪費家 後藤象二郎 である。

 

土佐藩の公金を

ジャブジャブ使い込んで

長崎丸山で遊び呆けたあげく

 

岩崎弥太郎 に

片手一本、ウインクして

借金を肩代わりさせる男である。

 

土佐藩の財政を

傾かせた放漫武士 後藤象二郎 は、

 

後に、

 

大政奉還 という

歴史の節目に才を発揮する。

 

 

明治新政府になって、

 

参議参与の 後藤象二郎 は

藩札回収令の情報を

こっそり 岩崎弥太郎 に教えると、

 

岩崎弥太郎 は、

藩札を買占め、莫大な富を得る。

 

そして、

 

莫大な富は、

三菱設立の原動力になる。 

 

器の大き過ぎる男たちの

ズルズルの インサイダー取引 である。

  

 

 

しかし、

 

後藤象二郎 という男、

 

不思議と 私利私欲 のイメージはなく、

 

どんな状況でも後腐れなく、

湯水のように金を浪費する

あっけらかんとした 男の魅力 がある。 

 

 

 

嗚呼、

 

ニッポンの将来のために 

ニッポンが傾くほどの

公金を使い込んでみたい!

 

 

 

 


降倭武将 沙也可(???) と 可也山

2009-09-22 23:51:00 | 昔話

 

本日は!

禁断の 志摩町史 を開いてしまった。

 

パラパラと読んでゆくうちに

古代妄想力 が膨らんで

まる1日がつぶれてしまう。

 

 

何度読んでも、

沙也可(さやか)=原田信種 説は面白い。

 

沙也可 とは、 文禄・慶長の役 の折

朝鮮側に投降して、日本軍を撃退したとされる英雄。

 

だが、 加藤清正 の配下の武将というだけで

詳しいことはわからない。

 

 

糸島 は古代から

朝鮮 と密接な関係がある。

 

当然、

原田氏 と 朝鮮 とは交流があったはず。

 

 

秀吉 によって所領を奪われた

原田信種 の生きる道は・・・・

 

朝鮮 で義の無い殺戮を繰り返す

加藤清正 に仕えることではなく、

 

降倭武将として 朝鮮軍 に付き、

秀吉軍 と戦うことだったのだろうか?

 

 

沙也可 さやか

 

逆から読めば・・・・

 

可也沙 かやさ → 可也山 かやさん

 

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悩ましい話です。

  

 

 

 


埋蔵金伝説!

2009-08-30 23:42:00 | 昔話

 

本日は!

慶応4年 の話。

 

慶応4年(1868年)

 

徳川幕府代表 勝海舟 と

新政府軍代表 西郷隆盛 の交渉結果 

江戸城は 無血開城 した。

 

 

江戸城に乗り込んだ

西郷隆盛 が真っ先に向かったのは 

城内の 金蔵 だった。

 

 

財政難の新政府は

徳川埋蔵金 をあてにしていたのだが・・・・

 

 

400万両 が眠っているといわれた 金蔵 は

まさかの 空っぽ だった。

 

 

どこへ行ったか 埋蔵金!

 

 

 

さてさて、話は変わって

 

 

政権交代 の今夜、

 

 

夜陰にまぎれて

ジュラルミンケース を

持っている人を見かけたら、

 

 

間違いなく、その中身は・・・・

 

 

永田町埋蔵金 ですよ!

 

 

 

 


豚足の呪縛!

2009-08-26 23:05:00 | 昔話

 

本日は!

豚足 の想い出。

 

25年程昔、大阪時代の話。 

阪急東通り の焼肉店でバイトをしていた。

 

 

午前3時まで営業していた店の想い出。

 

 

毎日、

きっちり 午前1時半にやってくる

むっちり したホステスがいた。

 

 

いつもひとり。

 

 

注文するものは・・・・

 

 

まず、 生ビール

 

 

その次は、必ず

 

 「おにいちゃん!豚足ちょうだい! 

  豚足の爪は取っといてね!」

 

 「ありがとうございます。

  毎日、お疲れ様です」

 

 「ホント、疲れるわよ~!

  豚足の爪は取っといてね!」

 

 

てな調子で、

いつも同じパターンなんだけど・・・・

 

 

その、 むっちり したホステス、

鼻が多少上を向いていて

ヤバイほど  を連想させる顔立ちだった。

 

 

それから何年か 豚足 を食べる度に

むっちり したホステスの顔が浮んで苦しんだ。

 

 

今ではすっかり

豚足の呪縛 から解かれて

ホステスの顔も忘れているが・・・・

 

 

ふいに、

フラッシュバック して

幻聴 に怯える時がある。

 

 

 「豚足の爪は取っといてね!」

 

 

 「豚足の爪は取っといてね!」

 

 

 「豚足の爪は取っといてね!」 

 

 

 ・・・・

 

 

 

 


「神輿が勝手に歩けるいうんなら 歩いてみいや、のう!」

2009-07-17 23:22:00 | 昔話

 

本日は!

昭和の名作 「仁義なき戦い」 の話。

 

「仁義なき戦い」

(1973年 監督:深作欣二 脚本:笠原和夫)

 

この映画、

大阪の新世界東映で何度見たことだろうか?

 

 

戦後の焼け跡から、

急成長して大組織になった山守組。

 

山守義雄組長(金子信雄) に向かって

若頭の 酒井鉄也(松方弘樹) は吐き捨てる。

 

 

 「おやじさん、云うとってあげるが、

 あんたは初めからわしらが担いどる

 神輿(みこし)じゃないの。

 

 組がここまでなるのに、

 誰が血流しとるんや。

 

 神輿が勝手に歩けるいうんなら

 歩いてみいや、のう!

 ・・・・

 

 おやじさん、

 喧嘩は銭がなんぼあっても

 勝てんのですよ!」

 

 

このセリフは 仁義なき戦い の主題である。

 

 

 

話は変わって、

 

 

この前、

 

与謝野さん と 石破さん は

首相官邸に押しかけて 麻生首相 に

何を告げたのだろうか?

 

 

 「麻生首相、云うとってあげるが、

 あんたは初めからわしらが担いどる

 神輿(みこし)じゃないの。

 

 自民党がここまでなるのに、

 誰が血流しとるんや。

 

 神輿が勝手に歩けるいうんなら

 歩いてみいや、のう!

 ・・・・

 

 麻生首相、

 選挙は銭をなんぼバラ撒いても

 勝てんのですよ!」

 

 

このセリフは 仁義なき自民党 の主題である。

 

 

 


高原五郎七という人

2009-07-04 23:10:00 | 昔話

 

本日は!

素性不明の浪人 高原五郎七 の話。

 

あるいは、

 

謎の陶工 高原五郎七 の話。

 

 

高原五郎七 は

豊臣秀吉に仕えた御用焼物師であったという。

 

 

高原五郎七 は

文禄・慶長の役 で 加藤清正 によって

朝鮮から連れてこられた陶工という説がある。

 

 

とすれば・・・・

 

高原 という姓は

加藤清正 の水軍を担った瀬戸内直島の

高原水軍 に由来するのかもしれない。

 

 

 

高原五郎七 は

大坂夏の陣 で石火矢の大砲を数百挺もつくって

さんざん徳川方を悩ましたお尋ね者という。

 

 

高原五郎七 は

徳川の時代になって、

博多に落ちのびて 承天寺 に身を寄せる。

 

 

その後、伊万里や有田で

白磁 や 青磁 の技法を広めるが・・・・

 

※ ちなみに初代柿右衛門に 白磁 を

  指導したのは 高原五郎七 である。

 

 

寛永10年(1633年)

 

高原五郎七 は

青磁 に必要な道具類を

すべて谷に投げ捨てて、忽然と姿を消す。

 

 

 

高原 という姓の由縁からか・・・・

 

高原五郎七 という人が

ずっと昔から気になっている。

 

 

この私も、いつの日か

糸島 から忽然と姿を消すのだろうか?

 

 

五郎八茶碗 で

茶漬けを食べながら、そう思った。

 

 

 


間違いなくあなたも・・・・

2009-05-17 23:21:00 | 昔話

 

本日は!

若い時の話。

 

ある人がこう言った。

 

 悪い人と付き合ってはいけません。

 悪い人の周りには、悪い人がいっぱいいます。

 そのうちあなたも悪い人になってしまいます。

 

 良い人と付き合いなさい。

 良い人の周りには、良い人がいっぱいいます。

 そのうちあなたも良い人になってゆきます。

 

 

 

実際、その通りで

 

 

 ガラの悪い人の周りには

 ガラの悪い人が多かったし・・・・

 

 ズルイ人の周りには

 ズルイ人が多かったし・・・・

 

 偽善的な人の周りには

 偽善的な人が多かったし・・・・

 

 カニカマボコな人の周りには

 カニカマボコな人が多かった。

 

 

たぶん、世間は私のことを

 

 

 変わった人の周りには

 変わった人が多い・・・・ 

 

 

と、思っていることでしょう。

 

 

このブログを読んでいる、そこのあなた! 

間違いなくあなたも、変わっているんですよ!

 

 

 

 


「私は宿命的な放浪者である。私は古里を持たない…旅が古里であった」

2009-03-25 23:44:00 | 昔話

 

本日は!

寅次郎 の話。

 

2004年だったろうか。

 

熊本の専門学校まで

国道3号線を車で通っていた頃、

 

路上で出会った人がいる。

 

 

姓は??  名は 寅次郎  人呼んで???

 

 

熊本行きの路上で追い越して、

 

福岡へ帰る路上で再び遭遇し、

  

どうしても気になるので、

もう一度引き返して、追いかけた人。

 

 

孤高の旅人 寅次郎!

 

 

寅次郎 の乗る マシン はイカシていた。

 

ハンドルに傷ついた鳩がとまり、

あちこちに花を飾り、

生活道具一式、全財産を満載した自転車。

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話を聞けば、

 

 

詩を書き、絵を描いて

わずかなお金を頂き、放浪しているという。

 

 

これから、

鹿児島に向かっているという。

 

 

桜島の 林芙美子 の碑の前に行くと

心落ち着くという。

 

 

寅次郎 の生き方は

眩しいほどにシンプルだった。

 

 

そのとき、

自分は、何をやっているのだろうか? と思った。

 

 

みやげに絵を描いてもらった。

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Torajirou04_2

 

 

 道歩き 心に希望 恋多し

 

 

 

 

今は、

どこの路上を旅しているのだろうか?

 

 

孤高の旅人 寅次郎 との出会いから

もう、5年になろうとしている。

 

 

今では、あの頃に増して

ずいぶん、シンプルさから遠ざかってしまっている。

 

 

 

自分は、いったい何をやっているのだろうか?

 

 

 

 

 


(続) 力士 『糸嶋米吉』 について

2009-03-16 23:28:00 | 昔話

 

本日は!

昨日のつづき。

 

糸島出身の力士 糸嶋米吉 の話。

 

糸嶋米吉 は愛知県で晩年を過ごしたという。

 

 

愛知県出身の力士に

第51代横綱 玉の海 がいる。

 

大鵬 との

数々の名勝負で知られる 玉の海 である。

 

享年27歳、悲劇の横綱として記憶に残る。

 

横綱 玉の海 の

大関までの四股名は 玉の島 である。

 

玉の島 という名は、

入門までの世話をしてくれた養父が

力士時代に名乗った 糸嶋 に因んだという。

                   (相撲人名鑑)

 

 

玉の海(玉の島) の養父 糸嶋 と

糸島出身の 糸嶋米吉 は同一人物だろうか?

 

 

 

もうひとつ、興味深い話がある。

 

 

糸島郡前原 出身の

玉輝山 という力士がいる。

 

玉輝山 は知人の紹介で

玉の海 と同じ 片男波部屋 に入門する。

 

 

この、知人とは誰だろうか?

 

糸島 と 片男波部屋 玉の海 を

結びつけた知人とは・・・・

  

 

謎は深まってゆく。

 

 

玉輝山 は秩父で

「ちゃんこ玉輝山」 を経営しているという。

 

 

秩父の 玉輝山 を訪ねれば、

糸嶋米吉 の話が聞けるかもしれない。

 

 

 

 

 


力士 『糸嶋米吉』 について

2009-03-15 23:49:00 | 昔話

 

本日は!

人探しの件。

 

 

先日、

愛知県知多半島のS氏から

興味深い写真をいただいた。

 

 

糸島出身の 「糸嶋米吉」 という力士。

Photo

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糸島好きとしては、

 

化粧廻しに力強く書かれた

糸嶋 という文字が嬉しい。

 

 

糸嶋米吉 という力士は

糸島郡前原町泊 の出身。

 

明治18年4月10日生まれ 

本名を 中園米蔵 という。

 

 

誰か、

心当たりのある方は、ご連絡ください。

 

 

 

 

 


糸島昔話 03

2009-03-05 23:53:00 | 昔話

 

本日は!

今宿横浜港 の話。

 

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浜崎の廻船業は、

ルソン島への漂流事件で

親類縁者五十名が牢に入れられ、

今後一切、船に乗ることを

禁止されることとなり、壊滅状態となる。

 

生活に困窮した浜崎の廻船業は、

新しい仕事の場として

五ヶ浦屋(現まるご商店) の水﨑家が中心となり

横浜積立所 を造り、差配を勤めることとなる。

 

横浜積立所 とは

怡土・志摩両郡の年貢米約七万俵を

集荷していた米蔵で、今山の東側あたりにあった。

 

それまでの黒田藩の米蔵は

永蔵(福岡市中央区伊崎)であったというから

米を運ぶ糸島の農家の労力は大幅に減少した。

 

横浜積立所 に集められた米は

江戸・大坂へ廻送される。

 

廻送を担うのは、

残島(能古島)、今津、浜崎、宮浦、唐泊 を総称した

筑前五ヶ浦廻船 である。

 

津出し(積み出し)をする港は 今宿横浜港 である。

 

福岡から大坂までの

往復所要日数は三十日以内。

風が良ければわずか十日で往復できたという。

 

今宿横浜港 の場所は

横浜二丁目の今山バス停前の小さな湾口で、

今ではひっそりと、数艘の船が

つながれているだけだが

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かつては、

藩米の積み出し港として栄えた歴史的遺構である。

 

その後、

明治期には今宿と博多間を結ぶ

小蒸気船の発着港として栄え、

昭和期では今山の砕石の積み出しや

材木を集積する港として利用された。

 

Imajyuku03b  

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  西瓜の産地 今宿に

  着けばまた見る 海の顔

  博多通いの 小蒸気は

  汽笛鳴らして 波をける

 

  出船入船 たえまなく

  港ににぎわう 横浜は

  五港の一つに あらねども

  わが郡一の 良港ぞ

               (糸島地理唱歌より)

 

 

 

しかし、

 

最近行われた護岸工事によって

古い岸壁は新しいコンクリートに覆われ、

見えなくなってしまった。

 

 

残念なことだが、

 

今では、ここがかつての 今宿横浜港 であったと

後世に知らせる手がかりは何ひとつない。

 

 

 

 

 


糸島昔話 02

2009-03-04 23:45:00 | 昔話

 

本日は!

筑前五ヶ浦廻船 の漂流話。

 

 

糸島今津湾は、黒田藩の時代に

残島(能古島)、今津、浜崎、宮浦、唐泊 を

総称した 筑前五ヶ浦廻船 の活躍の場であった。

 

筑前五ヶ浦廻船 は筑前の米を

江戸・大坂へ運んでいただけではなく、

 

最大二千石の船を操って

北陸、東北、北海道を西回り、東回りと

日本全国を網羅する海運連合組織だった。

 

 

まずは、浜崎の漂流話。

 

 

今から250年程昔、

宝暦2年(1752年)に

浜崎の廻船「善右衛門船」が遭難し

ルソン島に漂着した。

 

このとき船乗りたちは、鎖国破りとして

国に帰れば処刑されると信じていたため

帰国しないことを決意したが・・・・

 

三之助という水夫が中国船に乗せてもらい

「他の者は全員死亡した」 と

偽って長崎に帰国した。

 

ところがその翌年、

浜崎の清次郎と久次郎を含む

4人の水夫が帰国したため、

この漂流事件は日本で大問題となった。

 

結局、

処刑を恐れて帰国しなかった浜崎の水夫たちは

キリシタンに改宗したものだと判断されて、

親類縁者はすべて船に乗ることを禁止されることとなり

浜崎の廻船は壊滅状態となる。

 

Dscf1188 浜崎漁港  

 

 

 

続いて、唐泊の漂流話。

 

明和元年(1764年)、

唐泊の「伊勢丸」は

函館から江戸に向かう途中、

鹿島灘で遭難し、百数十日の漂流の末に

マギンタロヲ島(ミンダナオ島)へ流れ着いた。

 

この船には、

唐泊孫太郎

今津の勘次郎、幸助、幸五郎、

浜崎の久次郎という名の水夫が乗っていたという。

 

奴隷として売られた

唐泊孫太郎は主人に可愛がられ、

8年後にただひとりオランダ船に乗って帰国する。

 

この話は、

『海神孫太郎漂流記』 (安倍龍太郎著)として

小説化されている。

 

Aut_7020 唐泊漁港

 

  

2つの漂流話に出てくる

浜崎の久次郎が同一人物なら、

彼は2度遭難したのだろうか?

 

 

 

筑前五ヶ浦廻船 の水夫たちの

数奇な運命とたくましさには驚かされる。

 

 

どちらの話も、

糸島の男たちの出来事なのである。

 

 

Katumaru

勝丸と筑前五ヶ浦廻船ごっこ (浜崎沖)