八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

色ばかりこそ昔なりけれ。色ばかりこそ

2014-07-22 00:32:13 | イケン!

 

とっくの昔に、

晩春も過ぎて・・・・

本日は海の日、

世間は連休で忙しそうだが、

 

わが自邸『54帖の中庭』も、

広縁(舞台)の壁下地を張るのに忙しい。

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汗だくで壁を張りながら、頭の中は・・・・

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小津映画『晩春』の、

笠智衆と原節子が能を鑑賞するシーンが

脳裏に浮かんで離れない。

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映画に出てくる能舞台は、染井能舞台。

演目は『杜若(かきつばた)』、シテ方は梅若万三郎。

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染井能舞台は、

私の最も好きな能舞台である。

 

もともと、この能舞台は、

明治8年に旧加賀藩主前田斉泰公の

根岸の隠居屋敷に建てられたもので、

根岸能舞台と呼ばれていた。

 

その後、

東京染井の旧讃岐高松藩主

松平家の屋敷に移築されて、

染井能舞台として能再興の本拠地となった。

(『晩春』の撮影はこの時代)

 

その後の、その後、

老朽化甚だしく昭和40年に解かれ(解体)て、

宝生能楽堂の倉庫に保管されていたのだが、

 

その後の、その後の、その後、

舞台の部材が横浜市に寄贈され、

平成8年、横浜能楽堂として

再び結ばれる運命となった。

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屋根は寄棟、平入り、檜皮葺き。

柱間に品のある人形型の蛙股がふたつ付いて、

数寄屋好みの優しく緊張感のある能舞台である。

 

こんな数奇な境遇を経て、

現存する能舞台は、極めて稀なことだろう。

 

古来、日本の建築は、

粗末な民家から貴族の舘まで、

解いて結ぶ仕組みとなっている。

 

建築だけでなく、

平城京、長岡京、平安京と、都市までも、

解いて結ぶ(遷都する)形式となっている。

 

日本人は神武天皇以来、

建物と共に移動する民族なのである。

 

 

我が自邸『54帖の中庭』も、

何年か住んだ後は、他人に譲ろうと考えている。

 

しかるべき人が、

しかるべき場所で、

再びこの庵を結んで暮らせばよい。

 

そんなことを考えつつ・・・・

 

わが自邸の広縁の壁に、

染井能舞台の鏡板をまねて、

チョークで、松に白梅、根笹を描いてみた。 

 

  らころも

  つつ馴れにし

  ましあれば

  るばるきぬる

  びをしぞ思ふ

 

 

 シテ:植えおきし、昔の宿のかきつばた。

 地謡:色ばかりこそ昔なりけれ。

    色ばかりこそ昔なりけれ。色ばかりこそ

 シテ:昔男の名をとめし、はなたちばなの匂いうつる。

    あやめのかずらの、

 地謡:色はいずれぞ

 シテ:似たりや似たり

 地謡:かきつばた花あやめ、梢になくは、

 シテ:蝉のからころもの

 地謡:そで白妙の卯の花の雪の、

    夜もしらしらとあくるしののめの、

    あさむらさきのかきつばたの、

    花もさとりの心ひらけて

    すわや今こそ草木国土。すわや今こそ草木国土。

    悉皆成仏のみ法をえてこそかえりけれ。

 

 

小津安二郎が、

生涯 撮った映画は 54作品。

 

『54帖の中庭』がこだわる、

54という数字との のひとつ??? かもである。

 

『晩春』全編(1時間47分)は、こちらでどうぞ。

 

 

 


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