とっくの昔に、
晩春も過ぎて・・・・
本日は海の日、
世間は連休で忙しそうだが、
わが自邸『54帖の中庭』も、
広縁(舞台)の壁下地を張るのに忙しい。
汗だくで壁を張りながら、頭の中は・・・・
小津映画『晩春』の、
笠智衆と原節子が能を鑑賞するシーンが
脳裏に浮かんで離れない。
映画に出てくる能舞台は、染井能舞台。
演目は『杜若(かきつばた)』、シテ方は梅若万三郎。
染井能舞台は、
私の最も好きな能舞台である。
もともと、この能舞台は、
明治8年に旧加賀藩主前田斉泰公の
根岸の隠居屋敷に建てられたもので、
根岸能舞台と呼ばれていた。
その後、
東京染井の旧讃岐高松藩主
松平家の屋敷に移築されて、
染井能舞台として能再興の本拠地となった。
(『晩春』の撮影はこの時代)
その後の、その後、
老朽化甚だしく昭和40年に解かれ(解体)て、
宝生能楽堂の倉庫に保管されていたのだが、
その後の、その後の、その後、
舞台の部材が横浜市に寄贈され、
平成8年、横浜能楽堂として
再び結ばれる運命となった。
屋根は寄棟、平入り、檜皮葺き。
柱間に品のある人形型の蛙股がふたつ付いて、
数寄屋好みの優しく緊張感のある能舞台である。
こんな数奇な境遇を経て、
現存する能舞台は、極めて稀なことだろう。
古来、日本の建築は、
粗末な民家から貴族の舘まで、
解いて結ぶ仕組みとなっている。
建築だけでなく、
平城京、長岡京、平安京と、都市までも、
解いて結ぶ(遷都する)形式となっている。
日本人は神武天皇以来、
建物と共に移動する民族なのである。
我が自邸『54帖の中庭』も、
何年か住んだ後は、他人に譲ろうと考えている。
しかるべき人が、
しかるべき場所で、
再びこの庵を結んで暮らせばよい。
そんなことを考えつつ・・・・
わが自邸の広縁の壁に、
染井能舞台の鏡板をまねて、
チョークで、松に白梅、根笹を描いてみた。
か らころも
き つつ馴れにし
つ ましあれば
は るばるきぬる
た びをしぞ思ふ
シテ:植えおきし、昔の宿のかきつばた。
地謡:色ばかりこそ昔なりけれ。
色ばかりこそ昔なりけれ。色ばかりこそ
シテ:昔男の名をとめし、はなたちばなの匂いうつる。
あやめのかずらの、
地謡:色はいずれぞ
シテ:似たりや似たり
地謡:かきつばた花あやめ、梢になくは、
シテ:蝉のからころもの
地謡:そで白妙の卯の花の雪の、
夜もしらしらとあくるしののめの、
あさむらさきのかきつばたの、
花もさとりの心ひらけて
すわや今こそ草木国土。すわや今こそ草木国土。
悉皆成仏のみ法をえてこそかえりけれ。
小津安二郎が、
生涯 撮った映画は 54作品。
『54帖の中庭』がこだわる、
54という数字との 韻 のひとつ??? かもである。
『晩春』全編(1時間47分)は、こちらでどうぞ。