八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

イスラームとマライの虎と東アジア

2014-08-12 03:07:37 | イケン!

 

日々毎日、胸を痛める

ガザとイスラエルの紛争・・・・というか、

イスラエルによる一方的な

ジェノサイド(民族浄化的大虐殺)。

 

また、遠く離れた

ウクライナ紛争の陰にもイスラエルあり?

 

ウクライナ首都キエフのユーロマイダン広場で

ヤヌコビッチ政権打倒を掲げた反政府デモでは、

右派勢力にPMC(米民間傭兵会社)が深く関わり、

IDF(イスラエル国防軍)元兵士の姿があったとされる。

 

そして、

イスラエル、ガザ、ウクライナ、アメリカの線を結ぶ

マレーシアの存在。

 

2013年11月、

マレーシアのクアラルンプール戦争犯罪法廷は、

ジェノサイドの罪、戦争犯罪で、

イスラエル国家に有罪を下している。

 

同法廷は過去(2011年)に、

イラクにおける平和に対する犯罪について、

元米国大統領ブッシュと元英国首相ブレアーに

有罪を下している。

 

イラク戦争を開始する理由の中心にあった

大量破壊兵器の存在の大嘘を踏まえれば、

当然の判決である。

 

また、

 

2013年、

マレーシアのナジブ首相はガザ地区を訪問し、

対立するハマスとファタハの関係を

解消しようと動いている。

 

TPP環太平洋パートナーシップ協定交渉において、

マレーシアは完全拒絶を貫いている。

 

アメリカとイスラエル側からみれば、

マレーシアほど目障りな存在は無い。

 

そんな最中に起こった

マレーシア航空370便(MH370)行方不明事件と

マレーシア航空17便 (MH17)撃墜事件。

 

どちらの機種も、

遠隔操作が可能な??? ボーイング777。

 

憶測は、憶測を呼ぶが、

真実も事実も、今はまだ藪の中である。

 

 

そんなマレーシアであるが、

私が、もっとも気になるのは、

マレーシアにおけるイスラームの正義心について。

 

マレーシアで連想するのは、

谷豊(たにゆたか)という日本人のこと。

Yutaka_tani

 

谷豊は1911年、

福岡県日佐村五十川(福岡市五十川)で生まれ、

2歳の頃、家族とマレーシアに移住。

 

1916年、帰国し福岡市立曰佐小学校に入学する。

1924年、マレーシアへ戻りイスラム教に帰依。

1931年、日本に帰国。

 

マレーシアでは、

満州事変抗議する暴徒化した華僑たちによって

谷豊の妹が斬首され、首は晒しものにされる。

 

事件のことを聞いた谷豊は激怒し、

1934年、単身マレーシアへ向かい、

当時、植民地支配をしていたイギリスに

真相究明を訴えるも、門前払いが続いた。

 

業を煮やした谷豊は、

現地の仲間と徒党を組み、

華僑とイギリス人を襲う盗賊団を結成する。

 

以後、谷豊は、

マライのハリマオ(マライの虎)として名を馳せ

配下3000人を束ねる頭目となった。

 

 

ムスリム名 モハマッド・アリー・ビン・アブドラー

日本名 谷豊(たにゆたか)にみる正義心の根源も、

マレーシアのイスラームに見出すことができるのだろうか?

  

今、もっとも気になるマレーシアである。

 

かつて、

マレーシアのマハティール元首相は、

日本について次のように発言している。

 

「日本は、いつまでアメリカの

 言いなりになり続けるのか。

 なぜ欧米の価値観に振り回され、

 古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。

 一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。

 そして、若者は何を目指せばいいのか。

 日本人には、先人の勤勉な血が流れている。

 自信を取り戻し、アジアのため世界のために

 リーダーシップを発揮してほしい。

 ・・・・

 日本の戦争責任を問うならば、

 それより以前、非人間的な支配と収奪をつづけた

 欧米の宗主国の責任はどうなるのか。

 日本が来たことで植民地支配から解放され

 近代化がもたらされた」

 

 

 


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