紫雲丸 と 第三宇高丸 は、
昭和30年5月11日、濃霧の中、女木島沖で衝突し、
紫雲丸 は沈んだ。
![05 05](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/c2/5bb40dd31970943941429554d7baa3b4.jpg)
168名もの命が犠牲になった
紫雲丸 2度目の沈没である。
![Okayama_042a Okayama_042a](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/2a/aaf94c6dfaa21b18fa215c986ca1dd77.jpg)
紫雲丸 には、
修学旅行中の生徒及び引率の教師などが多数乗船していた。
児童生徒の遭難者及び犠牲者数は以下のとおりである。
広島県木江南小学校 97名中 22名
島根県川津小学校 58名中 21名
愛媛県庄内小学校 77名中 29名
高知県南海中学校 117名中 28名
合計 349名中 100名
また、
各学校の旅行行程は以下のとおりである。
■ 木江南小学校104名(児童97名)
5月9日早朝、大崎上島を出発する。
学校近くの桟橋から伝馬船に乗り、
沖で停泊している富士丸に乗り移る。
富士丸は今治に渡り、
一行は波止浜駅から蒸気機関車に乗って
金刀比羅宮へ参拝に向かう。
金刀比羅宮の参道では、
子供たちはたくさんのお土産を買ったという。
この日の宿は、琴平 魚清旅館。
翌5月10日、一行は栗林公園、動物園をまわり、
琴電で屋島に向かう。
屋島ではケーブルカーに乗り
山頂でカワラ投げを楽しんだ。
この日の宿は、高松 三松旅館。
旅館では、子供たちが、家族への土産物を宝物のように扱い、
何度も広げ、何度もしまい、何度も何度も確認していたという。
そして5月11日早朝、
一行は高松桟橋から運命の 紫雲丸 に乗り込む。
見送りに来た三松旅館の人たちと
五色のテープをつなぎあっていた。
宇野港到着後は倉敷大原美術館を見学し、
尾道経由で大崎上島に帰る予定だった。
■ 川津小学校66名(児童58名)
5月9日早朝、川津農協前で集合し、
市営バスに乗って松江駅に向かう。
松江から米子へ。米子から伯備線に乗り換えて岡山へ。
岡山から宇野線に乗り換えて宇野へ。
宇野桟橋から眉山丸に乗って、宇高航路を渡り高松へ。
高松から琴電に乗って琴平へ。
この日の宿は 琴平 すし駒旅館。
翌5月10日、金刀比羅宮に参拝する。
土讃線経由で高松に向かい、高松で三越を見学。
そして屋島、栗林公園、動物園をまわる。
この日の宿は、瓦町 丸天旅館。
丸天旅館の若主人が、子供たちに
バイオリンで“一人演奏会”を催してくれたという。
そして5月11日早朝、
一行は高松桟橋から運命の 紫雲丸 に乗り込む。
見送りに来た丸天旅館の人たちと
五色のテープをつなぎあっていた。
宇野港到着後は、宇野線に乗り
岡山で動物園見学などをして、
伯備線経由で松江に帰る予定だった。
■ 庄内小学校83名(児童77名)
5月10日夜、
運動場、大野四辻の2ヶ所に集合した子供たちは、
それぞれ農協のトラックの荷台に乗り、
途中で合流して壬生川駅に向かった。
一行は待合室で夜行汽車を待ち、
時計は深夜12時をまわり、
翌5月11日午前1時33分、
壬生川駅を発車し高松へ向かう。
午前5時52分、高松桟橋駅着。
一行は高松桟橋から運命の 紫雲丸 に乗り込む。
■ 高知市立南海中学校121名(生徒117名)
一行は高知から高松に出て、5月11日早朝、
高松桟橋から運命の 紫雲丸 に乗り込む。
宇野から京阪神をまわり、大阪から船で高知に帰る
4泊5日の旅程だった。
5月11日早朝、
それぞれの事情をもった乗客が高松桟橋に集結し、
![Kouwan3 Kouwan3](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/0c/b612aa6f1e5f1a587ceaa5f0d6689814.jpg)
紫雲丸 は五色のテープで見送られ、
午前6時40分、船客781人と貨車等19両を載せて
高松を出航し、約10ノットの全速力で宇野港に向かった。
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