八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

イヤンとバカン①『国見峠』

2022-01-24 22:39:35 | 宣言!

イヤンとバカン①『国見峠』 配信中!

  作  高原次郎兵衛正伸

  語り 孫九郎


Youtube 54帖の中庭チャンネル

2021-11-22 16:13:39 | 54帖の中庭

日々、思いついた寓話を

YoutubeにUPしています。

『54帖の中庭チャンネル』

チャンネル登録よろしくお願いします。

 

54帖の中庭 チャンネル

 

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『54帖の中庭』のその後

2016-03-23 15:34:02 | 54帖の中庭

まだまだ使える物が大量に廃棄される社会に
胸を痛めて精神を分裂させてしまった人たちが、
ゴミ屋敷の主人たちだと思う。私もそのひとり。

私はゴミ屋敷の主人と同じ位相に立っている。
ただ、ゴミ屋敷の主人と違う点は、
建築家として表現手段を持っている点だ。

表現という武器の無いまま、精神の分裂を進行させると、
相当にひどい結果が待っている。

ゴミ屋敷の主人たちは、
社会との関係性を拒絶するほど、
悲壮な疾患を抱えているのだ。

テレビカメラに追い回される、
ゴミ屋敷の主人を見るたび、
大衆の残酷な仕打ちに哀しくなる。

住宅は消費の中でも、
もっとも不毛な商品の代表格である。

自然破壊と宅地開発。
流通過程で排出される膨大な無駄。
不可解な原価と売値と利潤。
終身刑のような住宅ローン。

住宅という商品をよくよく考えてみると、
消費の洗脳の手口が透けて見えてくる。

そんなマイホームは・・・夢なのか?

というわけで、

消費に逆行すべく、
拾ったもの、もらったもの、先祖が使っていたもの、
流通に乗り遅れたもの、格安で手に入れたもの・・・

等々の材料を試行錯誤を繰り返して構成し、
調子を整えながら、自力建設作品『54帖の中庭』の3棟が完成した。

狂っているのは、
ゴミ屋敷の主人なのか? 異常な消費社会なのか?

この家にゆっくりと暮らし、
できるだけ消費をせず、できるだけ仕事もせず、
精神の安定を図りながら、よくよくこの時代を考えてみたい。

 

 

  


岡山のワイゼンホフ・ジードルンク

2015-06-11 00:53:45 | ハッケン

 

 

1927年、

ドイツ、シュトゥットガルトにあるワイゼンホフの丘で

ドイツ工作連盟展 が開かれた。

 

ワイゼンホフ・ジードルンク

300pxweisenhof1927

 

ミース、コルビジェ、グロピウス、タウト ・・・・

 

モダニズムを代表する建築家17人の

豪華キャストによる 実験住宅展 であった。

P020561945

 

1927年といえば、昭和2年。 

日本では モボ・モガ が大流行していた時代である。

 

 

話は変わって、

 

そのワイゼンホフ・ジードルンク

彷彿とさせる住宅群が岡山市に存在する。

 

 岡山県営住宅『光ヶ丘団地』(昭和33年~) 

 

どことなく西欧を漂わせるムード。

2階部分の水平連続窓がニクイ。

丘の形状に沿った配置計画がワイゼンホフ!

タテヨコ比率の決め方がモダニズム。

この県営団地を新しいコンセプトでプロデュースし直せば、

きっと面白い化学変化が起こるだろう。

センスのいい人たちがこの団地に住み着くと、

風景は一変するはずだが・・・・

 

新規の入居者を受け付けていないところをみると、

 

この建物群は取り壊されるのかな?

 

 

 

ああ、もったいない! 

 

また宿題が増えたみたい。

 

 

きっと、この県営住宅設計した人の脳裏には、

時代を経て伝え聞いたワイゼンホフ・ジードルンクのことが

インプットされていたに違いない。

 

 

食い散らかして捨て去られるモダニズムは、

哀れとしか言いようがないが・・・・

 

この県営住宅は築50年を過ぎてもなお、

まだまだ洗練される余地が残っていると思う。

 

   


タリマセンの丘

2014-12-28 01:04:28 | 暮らし

福岡に住んでいた頃、

糸島半島から玄界灘に
こぼれ落ちてしまいそうなところで、
『タリマセン』という共同体を組織して
学校化しようとしたことがある。

その『タリマセン』を岡山で組織したい
という思いが日々強くなってきた。

『タリマセン』という名称は、
文字通り「足りません」という意味で、
知恵も人材も資金も時間も足りません。
とにかく何もかも足りませんという状況から命名された。

『タリマセン』は学校であるが、
先生も生徒も授業料も存在しない。

『タリマセン』は、
気の合った仲間がひとつの土地に集まり、
1本の木の下で会話をするところから始まる。

仲間たちの中で、

いちばん野菜を作るのが上手い人が「農」の先生であり、
いちばん魚を捕るのが上手い人が「漁」の先生であり、
いちばん糸と布を扱うのが上手い人が「衣」の先生であり、
いちばん料理の上手い人が「食」の先生であり、
いちばん小屋を作るのが上手い人が「住」の先生であり、
いちばん心の透き通った人が「心」の先生なのだ。

そうやって、
『タリマセン』で繰り広げられる授業によって、
衣食住その他もろもろの糧が手に入る仕組みとなり、
既成社会の貨幣経済から距離を置いて
ゆっくりと暮らすことができる。

『タリマセン』での授業は生きるための労働である。

労働をして、お金を得て、消費して、生活するといった
貨幣経済のプロセスからお金と消費を取っ払い、
労働して生活するというシンプルな行為だけが残ればいい。

これから先、
日本の経済は急速に悪化して
難民が溢れることだろう。
大衆が信じて疑わなかった価値観の喪失が
大規模に起こるだろう。

だがしかし、
それに代わる新しい価値観は
社会のどこにも用意されていない。

新しい価値観は教えられるものではなく、
自分で作り出すものである。

『タリマセン』は、今日の形骸化した社会システムに基づく価値観からの解放を目指し、
それぞれの人が、その人なりに価値観を見出す手助けになればいい。 


参考までに、

ドラマチックな建築家 F・L・ライトが組織したのは『タリアセン』である。
その『タリアセン』が日本風に訛って『タリマセン』となった。
ちなみに、岡山弁では『タリャアセン』となって F・L・ライトに近くなる。

 F・L・ライトの『タリアセン』は自給自足を基にする理想郷、あるいは共同体、
建築学校として『タリアセン』は存在した。

『タリマセン』は『タリアセン』へのオマージュでもある。


 


備前福岡 『うごくいち』

2014-11-18 21:09:25 | ゲージツ

 

中世の昔から、

西国一の賑わいを誇った備前福岡の市。

鎌倉中期に描かれた一遍聖絵(一遍上人絵伝)には、

福岡の市の賑わいが克明に描写されている。

この絵に描かれている商人の小屋は、

梁を支える両端の二本の柱と

棟木を支える真ん中の一本の柱が梁間方向に並び、

桁行方向にこの構成を繰り返して

切妻の屋根を長く掛ける形式となっている。

棟木を支えるために小屋束を用いないのは、

古代から続く伝統的な棟持柱(むなもちばしら)の様式を

踏襲しているのかもしれない。

作品『うごくいち』の軸組も

商人の小屋と等しく梁間方向に三本の柱を並べた構成とし、

棟を支える真ん中の柱を梁より外側にずらして

棟持柱の精神性を強調させている。

 

 

宗派を立てず寺を建てず

捨聖として生きた一遍上人が、

全国を遊行した時代は、

 

貨幣経済が日本中に浸透し、

富める者はさらに富み、

貧しいものはさらに貧しくなった時代である。

 

また、蒙古襲来という外圧の脅威や

財政難によって内政が混乱し、

南北朝の動乱へ続く不穏な時代でもある。

 

一遍上人による救済とは

金銭で人々の生活を救済したのではなく、

踊り念仏によって層の人々の心持ちを救済したのである。

絶望に打ちひしがれる人々に、

「死の安心」を説いて「生の肯定」を示したのである。

 

民衆を踊り念仏によって熱狂させ、

生きる行為を誘発・連鎖 させる。

これこそが一遍上人の遊行による救済であった。

  

 

現在の日本の現状といえば、

金融主導のグローバル経済による貧富の格差の増大、

出口のない慢性的な財政難、外圧の脅威といった状況は、

一遍上人が生きた鎌倉中期と奇しくも重なる。

  

経済成長が鈍化した日本を

人間の身体に例えるならば、

血行障害、慢性肩こり、遺伝子障害、

免疫力が著しく低下して閉塞している状態である。

この症状を回復する手だては、

補助金や交付金といった

大手術や薬物(カンフル剤)投与のような

西洋医学を用いてはいけない。

必ず後で深刻な後遺症に悩まされるからだ。

町の健康を回復する手だては、

漢方医学のように気を整えることが大切である。

つまり、血行やリンパの流れを促進させることによって

病気にならないための町づくり、

免疫力の向上と基礎体力づくりが必要なのである。

 

 

  <予防医学としての町づくり>

 ・町が病気になってからでは遅い。

 ・町が病気にならない精神と体力をつくる。

 ・町の病気を予防し、健康な町を維持する。

 

 

一遍上人の遊行に習い、

生きる行為の誘発・連鎖 を促す仕掛けが、

病気にならないための町づくりにつながるのではないだろうか。

 

そのような思いから、

一遍上人の遊行を建築化した作品『うごくいち』が生まれた。

 

『うごくいち』は文字通り 「動く」「市」であり、

生きる行為の象徴でもある。

 

まちアートマネジメント講座を通して

備前福岡に馳せ参じた人たちの熱意と

備前福岡の人たちの誇りが、

願いと遊び心と共に重なり合って「動く」を実践し、

歴史的覚醒を促す「市」を町に出現させることであろう。

 

『うごくいち』が

能動的に遊撃的に町を動き回ることによって、

歴史ある備前福岡の気を整え、

血行やリンパの流れを促進させ、

病気にならない基礎体力を備えた町の原動力となれば本望である。

 

子供からお年寄りまでが

笑顔で活き活きと暮らしてゆける、

心身ともに健康な町ほど心強いものはない。

 

 

 

下記スケジュールにて『うごくいち』が出動します!

11月22日(土)17時~ 備前福岡ART小路 前夜祭

11月23日(日) 9時~ 備前福岡の大市

 

 

 

 

 


メリケン亀やん

2014-11-05 00:05:45 | シーパラダイス

密航漁夫 吉田亀三郎

吉田亀三郎とは、
1912年(タイタニック号が沈没した年)に
木造船『住吉丸』でアメリカへ密航した男である。 

太平洋を渡り、
サンディエゴへ到着した吉田亀三郎らは
不法侵入者として捕らえられ、強制送還される。 

『住吉丸』は、
カワラ長5ヒロ(全長10メートル)の打瀬船だったという。

 

翌1913年、  

吉田亀三郎はあきらめることなく、
『東行丸』という廃船を手に入れて修理し、
25人の仲間と再び密航を企てる。 

ボロ船『東行丸』は、
厳しい航海を成し遂げ、無事カナダに到着し、 

カナダでの吉田亀三郎は、
地元漁師たちを凌ぐ伝説的な漁師となり、
財を築いたという。 

『東行丸』は、
カワラ長8.3ヒロ(全長16メートル)の打瀬船だったという。 

その、密航漁夫  吉田亀三郎の生まれ育った町、
保内町川之石(八幡浜市)をユニックで訪ねたことがある。 

川之石は、
かつて、海運で栄えた港町である。

 

吉田亀三郎が、
生まれ育った川之石の宮内川沿い歩くと、 

太平洋の彼方に向かって、
打瀬船の帆をいっぱいに広げて出港した気持ちが
解るような気がする。

 

この港町は、
海に向かって開かれているのだ。 

宇和海は、
そのまま太平洋に直結してるのだ。

それにしても、
わずか全長10メートルの打瀬船で太平洋を渡り、
アメリカへ密航するって・・・・

明治の男は・・・ 
宇和海の男は・・・ ただただスゴイ!  

堀江謙一が『マーメイド号』で
太平洋を単独横断(これも密航)したのは1962年だから、
それより、50年も前の話である。

さてさて、
うちの廃船コレクション。

いつになったら、
修理をするのだろうか?

 

 


世界大恐慌前夜でもあるので・・・・

2014-10-18 00:39:36 | インポート

  

もう一度、

ボニーとクライド の話。

 

 

 

Bonnieclyde

 

 

11_2

 

世界大恐慌時代、

アメリカ中を騒がせた

お尋ね者の二人 ボニーとクライド!

  

過熱する投機バブルの中、

欲に溺れたウォール街に

せっせと金を供給していた銀行。

 

そんな金融筋が招いた

挙句の果ての株価大暴落、そして大恐慌。

 

 

ボニーとクライド は、

大失業時代の戦犯 である銀行を

次々に襲って逃亡する。

  

当時最速の フォードV8 で逃亡しながら、

最新の写真機で記念撮影して、

ダイレクトに新聞社に送り、

タイムリーにデカデカと取り上げられる。

 

警察よりはるかに早く、

情報戦略を駆使する ボニーとクライド

 

ボニーとクライド は、

間違いなく、痛快な 庶民の英雄 でありえた。

  

しかし、

英雄であるがうえに、その最期は・・・・

 

待ち伏せをする警官隊によって

数十発の銃弾を浴びせられ、宿命的に終わる。

 

まるで蜂の巣のように・・・・

 

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後に、映画化されたのが、 

『俺たちに明日はない』(1967年 監督アーサー・ペン)

 

ボニー・パーカー 役は フェイ・ダナウェイ

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227dd4cd15ea4cc689e65f217b6f1405  カッコイイ!

 

ラストの死のダンスは、

思い出しただけでも泣けてくる。

 

さてさて、

世界恐慌前夜の今、

21世紀のヒーローは登場するのだろうか?

 

そして、

宿命的な悲劇が待ち受けているのだろうか? 

 

 


東京遊行

2014-09-30 11:59:43 | イケン!

 

NHKドラマ「みちしるべ」

(83年 プラハ国際テレビ祭グランプリ受賞)

 

ワンボックスカーで自炊・車中泊しながら

九州を旅する老夫婦のストーリー。

 

病気の妻(加藤治子)と

夫(鈴木清順)が熱演した記憶に残るドラマ。

 

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旅の途中、借家を見つけて

妻: 「ここに住んでみたいわ!」

夫: 「ここに住んで昔話ばかりして暮らすのか!」

という場面では、ヒマコとふたり笑った。

 

この会話のシーンに、

日本の老いに対するアンチテーゼが凝縮している。

 

老いの現実を停滞した回帰の視点で捉えることは、

年金制度の弊害かもしれない。

 

年金制度とは、お金の再配分の規定である。

心通わぬ事務的な数字のルールは、 

知らず知らずのうちに人間の暮らしを

金の定規で計る愚に陥ることもある。

 

そして、

その年金制度はすでに破綻している。

 

そもそも、

老いとは、死を待つ準備状態ではなく、

生きる進行形ではないのか?

 

進行形の生きる定規で老いを計れば、

すばらしい暮らしをしている高齢者を

たくさん発見できるだろう。

 

金の定規だけでなく、

各々の生きることに視点を据えた

社会福祉のあり方もあるのではないか?

 

あらかじめ国家にプログラムされた、

生まれてから死ぬまでのプロセスを、

ただただなぞって生きる規定演技には

強く疑問を持ちたい。

 

人生が形骸化してしまうからだ。

 

暗示的に、

NHKドラマ「みちしるべ」は、私に影響を与えている。

 

そんなことを考えながら、

この9月は、久々の東京行き。

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新幹線や飛行機に乗って、

距離の価値を時間の価値にかき消されたくないので、

NHKドラマ「みちしるべ」よろしく、

必然的にワンボックスカーで東京遊行。

 

ヒマコと川面をながめて暮らし、

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ヒマコと海をながめて暮らし、

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ヒマコとお仕事もこなし、

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ヒマコと食糧を調達しながら、

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長い車中泊生活で、

いろんなことが充電できた。

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けれど、

資本主義のクライマックスを迎えるニッポンで、

 

私も、ヒマコも、

果たしてどこへ進行するのやら?

 

 


行為の表現? と 一遍上人?

2014-09-03 01:17:24 | イケン!

  

 一般の人は、労働してお金を得る。

 得たお金で家を買う(建てる)。

 このプロセスのお金と消費を取っ払えば、

 家を建てる労働をする。

 というシンプルな話になる。

 私はそういう話が好きだ。

          (ブノサーマ・ラ・ハカータ)

 

  

今、自力建設をしている

自邸『54帖の中庭』は、

 

建築作品というより、 

行為の表現 というべきか・・・・ 

行為の表現 を模型でどう表現するか?

 

ということで、

頭によぎったものは、

 

京都文化博物館に展示してある

羅城門建設風景の模型(1/30)。

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表側が完成した羅城門になっていて、

内側は建設途中の模型になっている。

 

昔、この羅城門模型には感動したなあ。

平安時代の民の息づかいがムンムンと感じられた。

 

そんなムンムンとした感動をめざして、

自邸『54帖の中庭』の模型を作った。  

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自画自賛の安っぽいハリボテ感。

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ムンムンとした心地よい虚無感。

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しかしなぜ、

自邸『54帖の中庭』

一遍上人が登場するのだろうか?

 

寺をもたず、宗派をたてず、

衣食住への執着を捨て、

捨てようと思う自分の心さえ捨て、

「我が屍は野に捨てよ」と言う一遍上人・・・・

 

常に暗示的に、

私の中に一遍上人が居るのだが、

 

その辺のところは、

危なっかしいので、

今は深く考えないようにしている。

 

  


第33回建築・環境・インテリアのドローイングと模型の入選展

2014-08-24 00:49:16 | 八浜

 

SDレビュー2014入選展

フライヤーとハガキが届く。

 

正式発表ということかな?

http://kajima-publishing.co.jp/sd2014/index.html

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末席ながら、

自作 自演 自力建設『54帖の中庭』出展いたします。

 

SDレビュー2014

第33回建築・環境・インテリアのドローイングと模型の入選展

http://kajima-publishing.co.jp/sd2014/info.html

 

【東京展】

 会期:2014年9月10日[水]~9月21日[日]

    12:00~19:00(最終日は16:00まで)

    会期中無休

 会場:代官山ヒルサイドテラスF棟 ヒルサイドフォーラム

    東京都渋谷区猿楽町18-8

【京都展】

 会期:2014年9月27日[土]~10月13日[月・祝]

    10:00~17:00(入館は16:30まで)

    会期中無休

 会場:京都工芸繊維大学 美術工芸資料館

    京都府京都市左京区松ヶ崎橋上町

 シンポジウム:「入選者と審査員に話を聞く」

 http://www.museum.kit.ac.jp/20140927.html#event 

   日時 10月5日(日)14:00~17:00

   会場 京都工芸繊維大学60周年記念館

 

 


イスラームとマライの虎と東アジア

2014-08-12 03:07:37 | イケン!

 

日々毎日、胸を痛める

ガザとイスラエルの紛争・・・・というか、

イスラエルによる一方的な

ジェノサイド(民族浄化的大虐殺)。

 

また、遠く離れた

ウクライナ紛争の陰にもイスラエルあり?

 

ウクライナ首都キエフのユーロマイダン広場で

ヤヌコビッチ政権打倒を掲げた反政府デモでは、

右派勢力にPMC(米民間傭兵会社)が深く関わり、

IDF(イスラエル国防軍)元兵士の姿があったとされる。

 

そして、

イスラエル、ガザ、ウクライナ、アメリカの線を結ぶ

マレーシアの存在。

 

2013年11月、

マレーシアのクアラルンプール戦争犯罪法廷は、

ジェノサイドの罪、戦争犯罪で、

イスラエル国家に有罪を下している。

 

同法廷は過去(2011年)に、

イラクにおける平和に対する犯罪について、

元米国大統領ブッシュと元英国首相ブレアーに

有罪を下している。

 

イラク戦争を開始する理由の中心にあった

大量破壊兵器の存在の大嘘を踏まえれば、

当然の判決である。

 

また、

 

2013年、

マレーシアのナジブ首相はガザ地区を訪問し、

対立するハマスとファタハの関係を

解消しようと動いている。

 

TPP環太平洋パートナーシップ協定交渉において、

マレーシアは完全拒絶を貫いている。

 

アメリカとイスラエル側からみれば、

マレーシアほど目障りな存在は無い。

 

そんな最中に起こった

マレーシア航空370便(MH370)行方不明事件と

マレーシア航空17便 (MH17)撃墜事件。

 

どちらの機種も、

遠隔操作が可能な??? ボーイング777。

 

憶測は、憶測を呼ぶが、

真実も事実も、今はまだ藪の中である。

 

 

そんなマレーシアであるが、

私が、もっとも気になるのは、

マレーシアにおけるイスラームの正義心について。

 

マレーシアで連想するのは、

谷豊(たにゆたか)という日本人のこと。

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谷豊は1911年、

福岡県日佐村五十川(福岡市五十川)で生まれ、

2歳の頃、家族とマレーシアに移住。

 

1916年、帰国し福岡市立曰佐小学校に入学する。

1924年、マレーシアへ戻りイスラム教に帰依。

1931年、日本に帰国。

 

マレーシアでは、

満州事変抗議する暴徒化した華僑たちによって

谷豊の妹が斬首され、首は晒しものにされる。

 

事件のことを聞いた谷豊は激怒し、

1934年、単身マレーシアへ向かい、

当時、植民地支配をしていたイギリスに

真相究明を訴えるも、門前払いが続いた。

 

業を煮やした谷豊は、

現地の仲間と徒党を組み、

華僑とイギリス人を襲う盗賊団を結成する。

 

以後、谷豊は、

マライのハリマオ(マライの虎)として名を馳せ

配下3000人を束ねる頭目となった。

 

 

ムスリム名 モハマッド・アリー・ビン・アブドラー

日本名 谷豊(たにゆたか)にみる正義心の根源も、

マレーシアのイスラームに見出すことができるのだろうか?

  

今、もっとも気になるマレーシアである。

 

かつて、

マレーシアのマハティール元首相は、

日本について次のように発言している。

 

「日本は、いつまでアメリカの

 言いなりになり続けるのか。

 なぜ欧米の価値観に振り回され、

 古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。

 一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。

 そして、若者は何を目指せばいいのか。

 日本人には、先人の勤勉な血が流れている。

 自信を取り戻し、アジアのため世界のために

 リーダーシップを発揮してほしい。

 ・・・・

 日本の戦争責任を問うならば、

 それより以前、非人間的な支配と収奪をつづけた

 欧米の宗主国の責任はどうなるのか。

 日本が来たことで植民地支配から解放され

 近代化がもたらされた」

 

 

 


"First Message For Hirohito"と"Second Kiss For Hirohito"

2014-08-06 12:13:50 | イケン!

 

Bomb

 

子供の頃から、

 

日本は唯一の被爆(曝)国として平和を 云々・・・・

という言葉に引っかかっている。

 

被爆(曝)した という事実は天罰でも天災でもない。

被害者がいれば、必ず加害者がいる。

 

広島と長崎に、

原子爆弾 を落としたのは アメリカ である。 

 

広島に落とされた原子爆弾は、

"First Message For Hirohito" と落書きされた

 リトルボーイ(ウラン濃縮型) 

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長崎に落とされた原子爆弾は、

"Second Kiss For Hirohito" と落書きされた

ファットマン(プルトニウム型)

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2種類の 原子爆弾 が実戦で実験され、

 

広島では 14万人 

長崎では  7万4千人 が犠牲となった。

 

アメリカの行った原子爆弾の投下という

非戦闘員を大量殺戮、大量虐殺した行為は、

国際法に照らしても、明らかに犯罪行為である。

 

 

アメリカを恨め! という話ではない。

 

加爆国であるアメリカと、

被爆国である日本を同時に語らなければ、

平和への願いは伝わらない。

 

日本は唯一の被爆(曝)国として平和を訴え 云々・・・・

という言葉は、お人好し過ぎて気持ちが悪いのだ。

 

 

また、

 

原子爆弾を落とした

アメリカにシッポを振り、

 

アメリカの兵隊さんに

チョコレートとチューインガムをおねだりし、

 

かつて出征兵士を見送った日の丸を振って

マッカーサーに感謝し、

 

アメリカにせっせと、

多額のみかじめ料を払い続け、

 

アメリカの核の傘の中に、

ちゃっかりと、すっぽり納まって、

 

日本の空は、

自由自在に米軍機が飛び交い・・・・

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非核三原則!

核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず・・・・ 

なんて言っても、説得力はない。

  

原子爆弾を落とされたにも関わらず

恐いアメリカについてゆく日本の現状は、

救いようのない ストックホルム症候群 なのだろうか?

  

2発の原子爆弾を落とされて

敗戦した日本を精神分析すれば、

  

やはり、

DV(ドメスティック・バイオレンス)後の

PTSD(心的外傷後ストレス障害)ではないかと思う。

  

アメリカの袖の下で、

のんべんだらりと茹で上がっていると、

最後の最後に、墓穴を掘らされるハメになる。

 

そんなのは御免だ。

  

 原爆は恐い

 恐いはメリケン

 メリケンはカウボーイ

 カウボーイはガンマン

 夕陽のガンマンはこう言った・・・・

 

 

  この世の中にはな、

  2種類の人間がいるんだ。

  銃を構える奴に、

  穴を掘る奴だ!

 

 

  


河原者と阿弥者

2014-07-27 10:34:03 | イケン!

 

和歌山新宮の熊野川には

組立て式の住居に暮らす民がいた。

 

川原家(かわらや) という住居群である。

 

かつて、

熊野速玉大社 の川原には

百数十軒の 川原家 が建ち並んでいた。

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釘を1本も使わず、

組立て、解体が簡単にでき、

 

大水の時は、

瞬く間に解体して、家ごと避難できる

モバイルな住居である。

 

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川原家 による町並みは

宿屋、鍛冶屋、散髪屋、銭湯、飲食店・・・・ と

何でも揃っていたという。

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そんなシンプルな 川原家 も

ダムや道路の整備などで川の水運が途絶え

昭和20年代に無くなったという。 

 

  ・・・・  

 一遍上人 ・・・・  

 世阿弥 ・・・・  

 蓑虫山人 ・・・・ 

 井上井月(せいげつ) ・・・・ 

 尾崎放哉 ・・・・ 

 山窩(さんか)・・・・ 

 家船(えぶね)・・・・

 

そんなベースがあって、 

やっぱりこうなるの???

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という私の人生であるが・・・・

  

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やはり、

まっすぐ導かれてゆく先は・・・・ 

 

阿弥文化の基を成した、 

遊行の捨聖 一遍上人 なのか?

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そもそも、 

時代が 一遍上人 を、

呼び起こそうとしているのか? 

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と、あれこれ考えると、

不思議と気持ちが楽ちんになる。

 

 

 


色ばかりこそ昔なりけれ。色ばかりこそ

2014-07-22 00:32:13 | イケン!

 

とっくの昔に、

晩春も過ぎて・・・・

本日は海の日、

世間は連休で忙しそうだが、

 

わが自邸『54帖の中庭』も、

広縁(舞台)の壁下地を張るのに忙しい。

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汗だくで壁を張りながら、頭の中は・・・・

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小津映画『晩春』の、

笠智衆と原節子が能を鑑賞するシーンが

脳裏に浮かんで離れない。

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映画に出てくる能舞台は、染井能舞台。

演目は『杜若(かきつばた)』、シテ方は梅若万三郎。

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染井能舞台は、

私の最も好きな能舞台である。

 

もともと、この能舞台は、

明治8年に旧加賀藩主前田斉泰公の

根岸の隠居屋敷に建てられたもので、

根岸能舞台と呼ばれていた。

 

その後、

東京染井の旧讃岐高松藩主

松平家の屋敷に移築されて、

染井能舞台として能再興の本拠地となった。

(『晩春』の撮影はこの時代)

 

その後の、その後、

老朽化甚だしく昭和40年に解かれ(解体)て、

宝生能楽堂の倉庫に保管されていたのだが、

 

その後の、その後の、その後、

舞台の部材が横浜市に寄贈され、

平成8年、横浜能楽堂として

再び結ばれる運命となった。

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屋根は寄棟、平入り、檜皮葺き。

柱間に品のある人形型の蛙股がふたつ付いて、

数寄屋好みの優しく緊張感のある能舞台である。

 

こんな数奇な境遇を経て、

現存する能舞台は、極めて稀なことだろう。

 

古来、日本の建築は、

粗末な民家から貴族の舘まで、

解いて結ぶ仕組みとなっている。

 

建築だけでなく、

平城京、長岡京、平安京と、都市までも、

解いて結ぶ(遷都する)形式となっている。

 

日本人は神武天皇以来、

建物と共に移動する民族なのである。

 

 

我が自邸『54帖の中庭』も、

何年か住んだ後は、他人に譲ろうと考えている。

 

しかるべき人が、

しかるべき場所で、

再びこの庵を結んで暮らせばよい。

 

そんなことを考えつつ・・・・

 

わが自邸の広縁の壁に、

染井能舞台の鏡板をまねて、

チョークで、松に白梅、根笹を描いてみた。 

 

  らころも

  つつ馴れにし

  ましあれば

  るばるきぬる

  びをしぞ思ふ

 

 

 シテ:植えおきし、昔の宿のかきつばた。

 地謡:色ばかりこそ昔なりけれ。

    色ばかりこそ昔なりけれ。色ばかりこそ

 シテ:昔男の名をとめし、はなたちばなの匂いうつる。

    あやめのかずらの、

 地謡:色はいずれぞ

 シテ:似たりや似たり

 地謡:かきつばた花あやめ、梢になくは、

 シテ:蝉のからころもの

 地謡:そで白妙の卯の花の雪の、

    夜もしらしらとあくるしののめの、

    あさむらさきのかきつばたの、

    花もさとりの心ひらけて

    すわや今こそ草木国土。すわや今こそ草木国土。

    悉皆成仏のみ法をえてこそかえりけれ。

 

 

小津安二郎が、

生涯 撮った映画は 54作品。

 

『54帖の中庭』がこだわる、

54という数字との のひとつ??? かもである。

 

『晩春』全編(1時間47分)は、こちらでどうぞ。