宇野港 産業振興ビル の1階ロビーに
旧宇野駅 の模型が展示されている。
旧宇野駅 を知っている人間にとっては
大興奮の模型である。
おまけに、
客貨船桟橋に舫をとる 連絡船 は・・・・
なんと
「紫雲丸(瀬戸丸)」 である。
もひとつ、おまけに
貨物船桟橋に舫をとる 連絡船 は・・・・
「第三宇高丸」 である。
このふたつの 連絡船 は、
昭和30年5月11日、
濃霧の中、女木島沖で衝突し、
「紫雲丸」 は沈んだ。
修学旅行中の児童生徒100名を含む
168名もの人命が犠牲になった
紫雲丸事故 である。
事故後、
沈没した 「紫雲丸」 は引き上げられ、
「瀬戸丸」 と改名されて、
昭和41年まで宇高航路を就航した。
私も幼少の頃、祖母に手を引かれ、
「瀬戸丸(紫雲丸)」 に
乗船しているかもしれない。
「紫雲丸(瀬戸丸)」 は引退後、
広島 金輪島 のドックで
浮桟橋(クレーン台船)として活躍したという。
昭和56年の
空中写真で確認すると・・・・
「紫雲丸」 らしき船影がある。
ダダダ、大興奮! である。
ちなみに、
「紫雲丸」 右側の大きな浮桟橋は
洞爺丸台風 で沈んだ
青函連絡船 「日高丸」 か?
紫雲丸事故 はその後、
様々な思惑を持った人たちによって
マンモス公共事業 本四架橋 の
推進理由に掲げられて・・・・
年間経費2200億円超の
最初から破綻している
馬鹿げた橋 が完成する。
この 馬鹿げた橋 のおかげで、
どれだけの町や会社や人が
衰退しているのだろうか?
紫雲丸事故 を利用して
莫大な事業費が、
投じられたにもかかわらず・・・・
紫雲丸事故 の
犠牲者への慰霊には
予算が廻っていない。
今からでも遅くはない。
「紫雲丸」 を探し出そう!
浮桟橋(船体)が残っていなければ、
錆びついた鉄板でもいい。
「紫雲丸」 をもう一度
メモリアルモニュメントとして
宇野港 に帰港させることはできないものだろうか?
国策 本四架橋 によって、
衰退させられた街だからこそ
私たちは、
まだまだ、考えることがあるはずだ!
参考HP