NHKドラマ「みちしるべ」
(83年 プラハ国際テレビ祭グランプリ受賞)
ワンボックスカーで自炊・車中泊しながら
九州を旅する老夫婦のストーリー。
病気の妻(加藤治子)と
夫(鈴木清順)が熱演した記憶に残るドラマ。
旅の途中、借家を見つけて
妻: 「ここに住んでみたいわ!」
夫: 「ここに住んで昔話ばかりして暮らすのか!」
という場面では、ヒマコとふたり笑った。
この会話のシーンに、
日本の老いに対するアンチテーゼが凝縮している。
老いの現実を停滞した回帰の視点で捉えることは、
年金制度の弊害かもしれない。
年金制度とは、お金の再配分の規定である。
心通わぬ事務的な数字のルールは、
知らず知らずのうちに人間の暮らしを
金の定規で計る愚に陥ることもある。
そして、
その年金制度はすでに破綻している。
そもそも、
老いとは、死を待つ準備状態ではなく、
生きる進行形ではないのか?
進行形の生きる定規で老いを計れば、
すばらしい暮らしをしている高齢者を
たくさん発見できるだろう。
金の定規だけでなく、
各々の生きることに視点を据えた
社会福祉のあり方もあるのではないか?
あらかじめ国家にプログラムされた、
生まれてから死ぬまでのプロセスを、
ただただなぞって生きる規定演技には
強く疑問を持ちたい。
人生が形骸化してしまうからだ。
暗示的に、
NHKドラマ「みちしるべ」は、私に影響を与えている。
そんなことを考えながら、
この9月は、久々の東京行き。
新幹線や飛行機に乗って、
距離の価値を時間の価値にかき消されたくないので、
NHKドラマ「みちしるべ」よろしく、
必然的にワンボックスカーで東京遊行。
ヒマコと川面をながめて暮らし、
ヒマコと海をながめて暮らし、
ヒマコとお仕事もこなし、
ヒマコと食糧を調達しながら、
長い車中泊生活で、
いろんなことが充電できた。
けれど、
資本主義のクライマックスを迎えるニッポンで、
私も、ヒマコも、
果たしてどこへ進行するのやら?