八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

東京遊行

2014-09-30 11:59:43 | イケン!

 

NHKドラマ「みちしるべ」

(83年 プラハ国際テレビ祭グランプリ受賞)

 

ワンボックスカーで自炊・車中泊しながら

九州を旅する老夫婦のストーリー。

 

病気の妻(加藤治子)と

夫(鈴木清順)が熱演した記憶に残るドラマ。

 

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旅の途中、借家を見つけて

妻: 「ここに住んでみたいわ!」

夫: 「ここに住んで昔話ばかりして暮らすのか!」

という場面では、ヒマコとふたり笑った。

 

この会話のシーンに、

日本の老いに対するアンチテーゼが凝縮している。

 

老いの現実を停滞した回帰の視点で捉えることは、

年金制度の弊害かもしれない。

 

年金制度とは、お金の再配分の規定である。

心通わぬ事務的な数字のルールは、 

知らず知らずのうちに人間の暮らしを

金の定規で計る愚に陥ることもある。

 

そして、

その年金制度はすでに破綻している。

 

そもそも、

老いとは、死を待つ準備状態ではなく、

生きる進行形ではないのか?

 

進行形の生きる定規で老いを計れば、

すばらしい暮らしをしている高齢者を

たくさん発見できるだろう。

 

金の定規だけでなく、

各々の生きることに視点を据えた

社会福祉のあり方もあるのではないか?

 

あらかじめ国家にプログラムされた、

生まれてから死ぬまでのプロセスを、

ただただなぞって生きる規定演技には

強く疑問を持ちたい。

 

人生が形骸化してしまうからだ。

 

暗示的に、

NHKドラマ「みちしるべ」は、私に影響を与えている。

 

そんなことを考えながら、

この9月は、久々の東京行き。

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新幹線や飛行機に乗って、

距離の価値を時間の価値にかき消されたくないので、

NHKドラマ「みちしるべ」よろしく、

必然的にワンボックスカーで東京遊行。

 

ヒマコと川面をながめて暮らし、

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ヒマコと海をながめて暮らし、

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ヒマコとお仕事もこなし、

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ヒマコと食糧を調達しながら、

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長い車中泊生活で、

いろんなことが充電できた。

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けれど、

資本主義のクライマックスを迎えるニッポンで、

 

私も、ヒマコも、

果たしてどこへ進行するのやら?

 

 


行為の表現? と 一遍上人?

2014-09-03 01:17:24 | イケン!

  

 一般の人は、労働してお金を得る。

 得たお金で家を買う(建てる)。

 このプロセスのお金と消費を取っ払えば、

 家を建てる労働をする。

 というシンプルな話になる。

 私はそういう話が好きだ。

          (ブノサーマ・ラ・ハカータ)

 

  

今、自力建設をしている

自邸『54帖の中庭』は、

 

建築作品というより、 

行為の表現 というべきか・・・・ 

行為の表現 を模型でどう表現するか?

 

ということで、

頭によぎったものは、

 

京都文化博物館に展示してある

羅城門建設風景の模型(1/30)。

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表側が完成した羅城門になっていて、

内側は建設途中の模型になっている。

 

昔、この羅城門模型には感動したなあ。

平安時代の民の息づかいがムンムンと感じられた。

 

そんなムンムンとした感動をめざして、

自邸『54帖の中庭』の模型を作った。  

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自画自賛の安っぽいハリボテ感。

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ムンムンとした心地よい虚無感。

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しかしなぜ、

自邸『54帖の中庭』

一遍上人が登場するのだろうか?

 

寺をもたず、宗派をたてず、

衣食住への執着を捨て、

捨てようと思う自分の心さえ捨て、

「我が屍は野に捨てよ」と言う一遍上人・・・・

 

常に暗示的に、

私の中に一遍上人が居るのだが、

 

その辺のところは、

危なっかしいので、

今は深く考えないようにしている。

 

  


イスラームとマライの虎と東アジア

2014-08-12 03:07:37 | イケン!

 

日々毎日、胸を痛める

ガザとイスラエルの紛争・・・・というか、

イスラエルによる一方的な

ジェノサイド(民族浄化的大虐殺)。

 

また、遠く離れた

ウクライナ紛争の陰にもイスラエルあり?

 

ウクライナ首都キエフのユーロマイダン広場で

ヤヌコビッチ政権打倒を掲げた反政府デモでは、

右派勢力にPMC(米民間傭兵会社)が深く関わり、

IDF(イスラエル国防軍)元兵士の姿があったとされる。

 

そして、

イスラエル、ガザ、ウクライナ、アメリカの線を結ぶ

マレーシアの存在。

 

2013年11月、

マレーシアのクアラルンプール戦争犯罪法廷は、

ジェノサイドの罪、戦争犯罪で、

イスラエル国家に有罪を下している。

 

同法廷は過去(2011年)に、

イラクにおける平和に対する犯罪について、

元米国大統領ブッシュと元英国首相ブレアーに

有罪を下している。

 

イラク戦争を開始する理由の中心にあった

大量破壊兵器の存在の大嘘を踏まえれば、

当然の判決である。

 

また、

 

2013年、

マレーシアのナジブ首相はガザ地区を訪問し、

対立するハマスとファタハの関係を

解消しようと動いている。

 

TPP環太平洋パートナーシップ協定交渉において、

マレーシアは完全拒絶を貫いている。

 

アメリカとイスラエル側からみれば、

マレーシアほど目障りな存在は無い。

 

そんな最中に起こった

マレーシア航空370便(MH370)行方不明事件と

マレーシア航空17便 (MH17)撃墜事件。

 

どちらの機種も、

遠隔操作が可能な??? ボーイング777。

 

憶測は、憶測を呼ぶが、

真実も事実も、今はまだ藪の中である。

 

 

そんなマレーシアであるが、

私が、もっとも気になるのは、

マレーシアにおけるイスラームの正義心について。

 

マレーシアで連想するのは、

谷豊(たにゆたか)という日本人のこと。

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谷豊は1911年、

福岡県日佐村五十川(福岡市五十川)で生まれ、

2歳の頃、家族とマレーシアに移住。

 

1916年、帰国し福岡市立曰佐小学校に入学する。

1924年、マレーシアへ戻りイスラム教に帰依。

1931年、日本に帰国。

 

マレーシアでは、

満州事変抗議する暴徒化した華僑たちによって

谷豊の妹が斬首され、首は晒しものにされる。

 

事件のことを聞いた谷豊は激怒し、

1934年、単身マレーシアへ向かい、

当時、植民地支配をしていたイギリスに

真相究明を訴えるも、門前払いが続いた。

 

業を煮やした谷豊は、

現地の仲間と徒党を組み、

華僑とイギリス人を襲う盗賊団を結成する。

 

以後、谷豊は、

マライのハリマオ(マライの虎)として名を馳せ

配下3000人を束ねる頭目となった。

 

 

ムスリム名 モハマッド・アリー・ビン・アブドラー

日本名 谷豊(たにゆたか)にみる正義心の根源も、

マレーシアのイスラームに見出すことができるのだろうか?

  

今、もっとも気になるマレーシアである。

 

かつて、

マレーシアのマハティール元首相は、

日本について次のように発言している。

 

「日本は、いつまでアメリカの

 言いなりになり続けるのか。

 なぜ欧米の価値観に振り回され、

 古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。

 一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。

 そして、若者は何を目指せばいいのか。

 日本人には、先人の勤勉な血が流れている。

 自信を取り戻し、アジアのため世界のために

 リーダーシップを発揮してほしい。

 ・・・・

 日本の戦争責任を問うならば、

 それより以前、非人間的な支配と収奪をつづけた

 欧米の宗主国の責任はどうなるのか。

 日本が来たことで植民地支配から解放され

 近代化がもたらされた」

 

 

 


"First Message For Hirohito"と"Second Kiss For Hirohito"

2014-08-06 12:13:50 | イケン!

 

Bomb

 

子供の頃から、

 

日本は唯一の被爆(曝)国として平和を 云々・・・・

という言葉に引っかかっている。

 

被爆(曝)した という事実は天罰でも天災でもない。

被害者がいれば、必ず加害者がいる。

 

広島と長崎に、

原子爆弾 を落としたのは アメリカ である。 

 

広島に落とされた原子爆弾は、

"First Message For Hirohito" と落書きされた

 リトルボーイ(ウラン濃縮型) 

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長崎に落とされた原子爆弾は、

"Second Kiss For Hirohito" と落書きされた

ファットマン(プルトニウム型)

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2種類の 原子爆弾 が実戦で実験され、

 

広島では 14万人 

長崎では  7万4千人 が犠牲となった。

 

アメリカの行った原子爆弾の投下という

非戦闘員を大量殺戮、大量虐殺した行為は、

国際法に照らしても、明らかに犯罪行為である。

 

 

アメリカを恨め! という話ではない。

 

加爆国であるアメリカと、

被爆国である日本を同時に語らなければ、

平和への願いは伝わらない。

 

日本は唯一の被爆(曝)国として平和を訴え 云々・・・・

という言葉は、お人好し過ぎて気持ちが悪いのだ。

 

 

また、

 

原子爆弾を落とした

アメリカにシッポを振り、

 

アメリカの兵隊さんに

チョコレートとチューインガムをおねだりし、

 

かつて出征兵士を見送った日の丸を振って

マッカーサーに感謝し、

 

アメリカにせっせと、

多額のみかじめ料を払い続け、

 

アメリカの核の傘の中に、

ちゃっかりと、すっぽり納まって、

 

日本の空は、

自由自在に米軍機が飛び交い・・・・

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非核三原則!

核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず・・・・ 

なんて言っても、説得力はない。

  

原子爆弾を落とされたにも関わらず

恐いアメリカについてゆく日本の現状は、

救いようのない ストックホルム症候群 なのだろうか?

  

2発の原子爆弾を落とされて

敗戦した日本を精神分析すれば、

  

やはり、

DV(ドメスティック・バイオレンス)後の

PTSD(心的外傷後ストレス障害)ではないかと思う。

  

アメリカの袖の下で、

のんべんだらりと茹で上がっていると、

最後の最後に、墓穴を掘らされるハメになる。

 

そんなのは御免だ。

  

 原爆は恐い

 恐いはメリケン

 メリケンはカウボーイ

 カウボーイはガンマン

 夕陽のガンマンはこう言った・・・・

 

 

  この世の中にはな、

  2種類の人間がいるんだ。

  銃を構える奴に、

  穴を掘る奴だ!

 

 

  


河原者と阿弥者

2014-07-27 10:34:03 | イケン!

 

和歌山新宮の熊野川には

組立て式の住居に暮らす民がいた。

 

川原家(かわらや) という住居群である。

 

かつて、

熊野速玉大社 の川原には

百数十軒の 川原家 が建ち並んでいた。

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釘を1本も使わず、

組立て、解体が簡単にでき、

 

大水の時は、

瞬く間に解体して、家ごと避難できる

モバイルな住居である。

 

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川原家 による町並みは

宿屋、鍛冶屋、散髪屋、銭湯、飲食店・・・・ と

何でも揃っていたという。

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そんなシンプルな 川原家 も

ダムや道路の整備などで川の水運が途絶え

昭和20年代に無くなったという。 

 

  ・・・・  

 一遍上人 ・・・・  

 世阿弥 ・・・・  

 蓑虫山人 ・・・・ 

 井上井月(せいげつ) ・・・・ 

 尾崎放哉 ・・・・ 

 山窩(さんか)・・・・ 

 家船(えぶね)・・・・

 

そんなベースがあって、 

やっぱりこうなるの???

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という私の人生であるが・・・・

  

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やはり、

まっすぐ導かれてゆく先は・・・・ 

 

阿弥文化の基を成した、 

遊行の捨聖 一遍上人 なのか?

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そもそも、 

時代が 一遍上人 を、

呼び起こそうとしているのか? 

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と、あれこれ考えると、

不思議と気持ちが楽ちんになる。

 

 

 


色ばかりこそ昔なりけれ。色ばかりこそ

2014-07-22 00:32:13 | イケン!

 

とっくの昔に、

晩春も過ぎて・・・・

本日は海の日、

世間は連休で忙しそうだが、

 

わが自邸『54帖の中庭』も、

広縁(舞台)の壁下地を張るのに忙しい。

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汗だくで壁を張りながら、頭の中は・・・・

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小津映画『晩春』の、

笠智衆と原節子が能を鑑賞するシーンが

脳裏に浮かんで離れない。

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映画に出てくる能舞台は、染井能舞台。

演目は『杜若(かきつばた)』、シテ方は梅若万三郎。

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染井能舞台は、

私の最も好きな能舞台である。

 

もともと、この能舞台は、

明治8年に旧加賀藩主前田斉泰公の

根岸の隠居屋敷に建てられたもので、

根岸能舞台と呼ばれていた。

 

その後、

東京染井の旧讃岐高松藩主

松平家の屋敷に移築されて、

染井能舞台として能再興の本拠地となった。

(『晩春』の撮影はこの時代)

 

その後の、その後、

老朽化甚だしく昭和40年に解かれ(解体)て、

宝生能楽堂の倉庫に保管されていたのだが、

 

その後の、その後の、その後、

舞台の部材が横浜市に寄贈され、

平成8年、横浜能楽堂として

再び結ばれる運命となった。

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屋根は寄棟、平入り、檜皮葺き。

柱間に品のある人形型の蛙股がふたつ付いて、

数寄屋好みの優しく緊張感のある能舞台である。

 

こんな数奇な境遇を経て、

現存する能舞台は、極めて稀なことだろう。

 

古来、日本の建築は、

粗末な民家から貴族の舘まで、

解いて結ぶ仕組みとなっている。

 

建築だけでなく、

平城京、長岡京、平安京と、都市までも、

解いて結ぶ(遷都する)形式となっている。

 

日本人は神武天皇以来、

建物と共に移動する民族なのである。

 

 

我が自邸『54帖の中庭』も、

何年か住んだ後は、他人に譲ろうと考えている。

 

しかるべき人が、

しかるべき場所で、

再びこの庵を結んで暮らせばよい。

 

そんなことを考えつつ・・・・

 

わが自邸の広縁の壁に、

染井能舞台の鏡板をまねて、

チョークで、松に白梅、根笹を描いてみた。 

 

  らころも

  つつ馴れにし

  ましあれば

  るばるきぬる

  びをしぞ思ふ

 

 

 シテ:植えおきし、昔の宿のかきつばた。

 地謡:色ばかりこそ昔なりけれ。

    色ばかりこそ昔なりけれ。色ばかりこそ

 シテ:昔男の名をとめし、はなたちばなの匂いうつる。

    あやめのかずらの、

 地謡:色はいずれぞ

 シテ:似たりや似たり

 地謡:かきつばた花あやめ、梢になくは、

 シテ:蝉のからころもの

 地謡:そで白妙の卯の花の雪の、

    夜もしらしらとあくるしののめの、

    あさむらさきのかきつばたの、

    花もさとりの心ひらけて

    すわや今こそ草木国土。すわや今こそ草木国土。

    悉皆成仏のみ法をえてこそかえりけれ。

 

 

小津安二郎が、

生涯 撮った映画は 54作品。

 

『54帖の中庭』がこだわる、

54という数字との のひとつ??? かもである。

 

『晩春』全編(1時間47分)は、こちらでどうぞ。

 

 

 


自作 自演 自力建設 の その後・・・

2014-07-19 10:34:00 | イケン!

  

 一般の人は、労働してお金を得る。

 得たお金で家を買う(建てる)。

 このプロセスのお金と消費を取っ払えば、

 家を建てる労働をする。

 というシンプルな話になる。

 私はそういう話が好きだ。

          (ブノサーマ・ラ・ハカータ)

 

ということで、

みなさんご心配の・・・・

 

自力建設作品『54帖の中庭』は、

どうなったか? というと・・・

 

名曲『さようなら世界夫人よ』にのせて、

 

  世界は僕らに愛と涙を

  絶えまなく与え続けてくれた

  でも僕等は君の魔法には

  もう夢など持っちゃいない

 

  さようなら世界夫人よ さあまた

  若くつやつやと身を飾れ

  僕等は君の泣き声と君の笑い声には

  もう飽きた

 

資本主義にはもう飽きた?気分で、

1棟目の棟上げをし・・・・

 

謎の反原発歌にのせて、

オールドトラクター ヤンマーYM1700 で、

動く実験を繰り返し・・・・

 

小津的日本的メロディーにのせて、

2棟目、3棟目を建設し・・・・ 

 

 

そして、

 

やっとこさ、

外壁の杉板下見張りを

センチメンタルに実施して・・・・

 

流通に乗ることなく廃棄される予定だった

ユニットバスの下だけ部分(新品)を、

救出して、洗浄して・・・・ 

 

 

問題は、

いつ完成するのか? ではなくて、

どう暮らしを楽しむのか? であるが、

 

正直言うと、

中学の時からの悩みである

どう生きるのか? の答えがまだ見つからない。

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 手が届くほど小さな家を 

 身の丈に合った予算で作り、 

 たっぷりと時間を使って、

 ゆっくりと暮らすのがよい 

 余分なものを引き算すれば、

 気取らずデザインせずとも良し

          (ブノサーマ・ラ・ハカータ)

 

 


いでいで いと いみじう めでたしや!

2014-07-14 18:37:20 | イケン!

 

言葉の発音を文字にすると、

固定概念にとらわれやすい。

 

たとえば、

日本語で「ドイツ」の実際は「ディエーツェ」である。

 

今では

「クリスチャン」を「キリシタン」と呼ぶ人もいない。

「イングランド」を「エゲレス」と呼ぶ人もいない。

 

反対に「ニッポン」という発音は、

外国で「ジャパン」「ヤーパン」「ジパング」だったりする。

 

また、「邪馬台国」についても

「ヤマタイコク」なんて読むから混乱が起きる。

 

実は、「ヤメテーコク」かもしれない。

 

だから、 

歴史を推理する上で

文字や表記(漢字)にとらわれると

全体像を見失った論説になったりするので、

 

私は、

ツェーツェー弁で歴史を捉えることにしている。

ツェーツェー弁歴史観である。

 

ツェーツェー弁とは、

「た行」と「さ行」を

「ツァ行」に変換すれば簡単に出来上がる。

 

 た  ち  つ  て  と

 さ  し  す  せ  そ

 ツァ ツィ ツゥ ツェ ツォ

 

たとえば、魏志倭人伝に記された

伊都国(イトコク)を例にあげて、

時系列に並べると・・・・ 

 

  伊都国  (魏志倭人伝)

   ↓

  伊斗村  (古事記)

   ↓

  伊都県主 (日本書紀)

   ↓

  怡土郡  (倭名抄)

   ↓ 

  絲州大主 (海東諸国記)

   ↓

  糸島

 

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となるが、

伊都国の伊都をツェーツェー弁で発音すると、

 

   伊都

   ↓

   イト

   ↓

  イトゥ

   ↓

  イツァ → 伊佐 諫

  イツィ → 壱岐

  イツゥ → 伊豆 出雲

  イツェ → 伊勢

  イツォ → 伊東

 

記紀に登場する国生みの

伊邪那美と伊邪那岐は・・・・

 

   伊邪那美      伊邪那岐

    ↓          ↓

  イザ ナミ      イザ ナギ

    ↓          ↓

  イヅァ ナミ     イヅァ ナギ

    ↓          ↓

  イツァ ナミ     イツァ ナギ

  イツィ ナミ     イツィ ナギ

  イツゥ ナミ     イツゥ ナギ

  イツェ ナミ     イツェ ナギ

  イツォ ナミ     イツォ ナギ

    ↓          ↓

  伊都 + 波      伊都 + 凪

 

伊都+波 とは、

糸島半島の外海=玄界灘か?

 

伊都+凪 とは、

糸島半島の内海=糸島水道 か? 

 

だとすれば、

  

イザナミ(伊都+波)が

死んだ原因は暴風雨だろうか?

 

イザナギ(伊都+凪)が禊をした

筑紫の日向の橘の小戸(福岡市西区小戸)

と糸島水道とは場所的にも符合する。

 

また、密かに、

 

伊都国の伊都(イト)の語源は、

伊豆能売神(イヅノメノカミ)ではないかと思う。

 

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伊豆能売神とは、

黄泉国から逃げ帰ったイザナギが、

筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で

禊ぎをした時に産まれた神で、

 

世の中の禍(わざわい)を直すために

神と交信する巫女のような存在である。

 

伊豆=イヅ → イツゥ とは、

 

 斎宮  イツゥ キノミヤ

 厳島  イツゥ クシマ

 厳原  イツゥ ハラ

 出雲  イツゥ モ

 伊東  イツゥ ウ

 ・・・・

 

斎(イツゥキ)とは、

「神に仕える」という意味。

 

厳島(イツゥクシマ)=伊都岐島(イツゥクシマ)も、

イツゥキマツル島=神に仕える島。

 

市杵島姫命(イツゥキシマヒメノミコト)も、

日出(ヒ イヅゥル)国も語源的には気になってくる。

 

ちょっと待てよ!

 

厳しい(イツクシイ)、美しい(ウツクシイ)

という言葉も気になってくる。

 

イツクシイ ウツクシイ の ツクシ?!

 

ツクシ=筑紫 ???

筑紫国とは、美しい国、厳しい国??

神に仕える国=筑紫国?

 

筑紫の日向の橘の小戸の・・・・

伊都と筑紫は同じ語源なのだろうか?

 

・・・・みたいなことを考えながら、

ヒマコ相手にツェーツェー弁をしゃべってると、

 

 「アナツァ ノ ヌァマエ ハ

  ナン ヅェツゥツァ?」

 

 「ワツァツィ ノ ヌァマエ ハ

  ナン ヅェツゥツァ?」

 

 「コンヤ ノ オカツゥ ハ

  ナン ヅェツゥツァ?」

 

 「ブツァニク ヲ イツァメツェ
 
  ナツゥビ ヲ ツァキアワツェ マス!」

 

 「アア ツォウデツゥツァ。

  ツォレハ ツァイヘン オイツィツォウ!」

 

すると、

頭の中は イツゥ の疑問でいっぱいになり・・・・

   

 何時頃 の イツゥ 

 何処 の イヅゥ 

 人斬り以蔵 の イヅゥオウ 

 五木ひろし の イツゥ 

 京都いづう の イヅゥ 

 どいつもこいつも の イツゥ 

 あいつとララバイ の イツゥ 

 ファイトいっぱつ の イツゥ 

 胃痛 の イツゥ

 

どうやら、

今夜も眠れそうになく、

 

イヅェ イヅェ イツォ イミヅィウ メヅェツァツィヤ

いで  いで  いと  いみじう  めでたしや !

(いやもう 非常に すばらしく めでたいことだ!)

   

 

 

  


金刀比羅の宮は畏し舟人が流し初穂を捧ぐるもうべ

2014-07-12 02:12:02 | イケン!

 

遠くの地の者が、

金刀比羅宮へ神酒を奉納したいときに、

酒を詰めた樽を海に流す。

 

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いわゆる、

『流し樽(金毘羅樽)』である。

 

この樽を発見した舟人は、

次々と送って丸亀か多度津の港へ届くようにし、

その付近の者が金刀比羅宮へ運んで代参する。

 

他に、流し絵馬、流し初穂、

賽銭を入れた樽なども流されて、

同じように金刀比羅宮へ奉納されたという。

 

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この話は、

当時、金刀比羅宮が瀬戸内沿岸の大衆の間で

いかに熱烈な尊崇を集めていたかをよく表している。

 

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また、

備前児島の瑜伽山と、

讃岐金刀比羅宮の両参りの信仰もあり、

 

瑜伽山だけしか参れなかった参拝者が、

備前児島下村浦から讃岐へ向けて、

数多く『流し樽(金毘羅樽)』を流したことだろう。

 

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ところで、

備前と讃岐の国境を決めた

『樽流し伝説』の話は、

 

児島郡小川村の庄屋 菅野彦九郎 が

発案したアイデアだとされているが、

 

菅野彦九郎 の脳裏には、

流した樽は、必ず讃岐にたどり着くという

信念があったのかもしれない。

 

実際のところ『流し樽』は、

最終的に金刀比羅宮へたどり着くのだが、

 

多くの漁民や船乗りが、

信仰心によって樽を渡し繋いでいる事実を

菅野彦九郎 は見落としていたのだろう。

 

金刀比羅信仰と関係のない樽は、

ただただ潮に乗って備前側の海を通り、 

瀬戸内海の多くの島は讃岐領となった。

 

 

ぜひ、

 

泣きのもう一回!

岡山県から香川県に頼み込んで、

 

もう一度、

樽を流して国境を決める実験をしてみたい。

Tarunagashi

http://blog.goo.ne.jp/sholly/d/20110615

 

それでも、

流し樽で勝負がつかないならば、

 

岡山、香川の両県知事が対決する

お座敷『こんぴらふねふね』決戦を観てみたい。

 

おもしろきこともなき世をおもしろく。

 

 


戦後レジームの同じ穴のムジナ

2014-07-09 13:02:09 | イケン!

 

集団的自衛権行使の賛否を眺めていると、

DV(ドメスティック・バイオレンス)後の

PTSD(心的外傷後ストレス障害)を連想する。

 

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反対派は『解離性障害』と重なるし、

賛成派は『ストックホルム症候群』と重なる。

 

『解離性障害』の症状とは、

 

記憶が部分的に抜け落ちたり、

思い出すことが出来なくなったり、

自分の意志とは関係なく

急に別人格になったりする障害。

 

日本が平和を保っている理由についても、

「在日米軍+自衛隊+安保条約」という

現実が抜け落ちて、

 

建前の「平和憲法」のみを

大々的に主張している人たちを見ると、

 

ついつい、

『解離性障害』を連想してしまう。

 

 

一方、

 

『ストックホルム症候群』の症状とは、

 

2009年に起こった、

千葉団地殺人・次女連れ去り事件に

見出すことができる。

 

目の前で母親が殺されたにもかかわらず、

犯人に沖縄まで恋人気取りでついていった次女。

 

支配者(犯人)へ追従することによって、

恐怖から逃れようとする障害。

 

アメリカの戦争に、

ひたすら付き従うかもしれない集団的自衛権行使に

賛成をしている人たちを見ると、

 

ついつい、

『ストックホルム症候群』を連想してしまう。

 

 

そもそも、

日本人の救いようのない集団的PTSDの苦しみは、

アメリカによる恐怖・脅迫に起因している。

 

2発の原子爆弾を落とされて

敗戦した日本を精神分析すれば、

 

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やはり、

DV(ドメスティック・バイオレンス)後の

PTSD(心的外傷後ストレス障害)ではないかと思う。

 

このPTSDこそが、

戦後レジームの正体だ。

 

集団的自衛権行使について、

反対派も賛成派も、

戦後レジームの同じ穴のムジナのように思える。

 

PTSDの症状を重症化させず、

より早く回復するためには、

 

真正面から記憶に向かい、

全体像を認知する以外にない。

 

先の戦争を都合よく記憶喪失して、

自律的に総括できないまま、

 

アメリカの袖の下で、

のんべんだらりと茹で上がっていると、

最後の最後に、墓穴を掘らされるハメになる。

 

そんなのは御免だ。

 

 

 原爆は恐い

 恐いはメリケン

 メリケンはカウボーイ

 カウボーイはガンマン

 夕陽のガンマンはこう言った・・・・

 

 

  この世の中にはな、

  2種類の人間がいるんだ。

  銃を構える奴に、

  穴を掘る奴だ!

 

 

  


天正9年 八浜合戦

2014-06-30 01:28:59 | イケン!

 

天正9年3月。

 

直島高田浦の浜辺に、

船大工たちが叩くツバノミの音が、

賑やかに共鳴して響き渡る。

 

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                           直島本村

 

沖合にひしめく直島の小早船は、

胴が太くぼってりとして、

船合戦よりも荷役に適した船形をしている。

 

その小早船に囲まれて浮かぶ

輪抜きの船印を掲げた安宅船の矢倉にて、

小西弥九郎が、無駄のない手つきで濃茶を立てる。

 

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                           輪抜き船印

  

小西弥九郎とは、後の小西行長のこと。

商人の身ながら宇喜多と羽柴秀吉との

連絡役を務めている。

 

小西弥九郎を直島に呼んだのは、

直島当主の高原次利である。

 

次利は、海賊の大将らしく、

髪は茶色く縮れ、浅黒く潮焼けした顔に

鋭い目だけがぎょろっと光る。

 

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                           高原城

  

茶の湯の作法など習う気もなく、

椀を鷲掴みしたまま矢倉の障子窓に腰かけ、

東の海を見渡しながら濃い茶を一気に飲み干し、

次利は、小声で弥九郎に訊ねる。

 

「直家殿は・・・・?」

 

弥九郎は、次利には包み隠さず正直に答える。

 

「はい。おそらく・・・」

 

宇喜多直家は尻はすの病にて

この年の2月に死去した。

死の事実を知るものは近親者のみで

外部には一切伏せられていた。

 

利次は、顔色ひとつ変えず、

続けて話しかける。

 

「ここの海も、村上の軍船がうじゃうじゃしとる。

 兒島の胸上も番田も毛利に押さえられてはのう。

 こげんな中、宇喜多から加勢の催促、

 来る日も来る日も、うるそうてかなわん。

 陸の大名どもは都合のよい時だけ

 海賊を利用する魂胆が丸見えじゃ」

 

堺の商人らしく、

落ち着き払った口調で弥九郎は答える。

 

「宇喜多方にしてみれば、

 こたびの毛利方との戦は避けられぬゆえ

 必死でございましょう。

 目と鼻の先の兒島で、

 常山、麦飯山、八浜両児山が戦場となれば、

 毛利方は村上の水軍を大挙差し向けるは必至。

 宇喜多方の水軍では心もとないゆえ、

 直島の高原水軍の加勢が

 どうしても必要なのでございましょう。

 しかしながら、こたびの戦、

 何か腑に落ちないものがございます」

 

そこへ、

備前八浜の豪商、山下祐徳が遅れて現れる。

高原次利とも、小西弥九郎とも

深い仲の祐徳は宇喜多きっての御用商人。

もともとは武士であり、南朝方楠家の末裔である。

 

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                            備前八浜

 

祐徳は宇喜多からの要請で、

鉄砲、樟脳、兵糧の買い付けに忙しく、

ひっきりなしに九州へ船を出している。

 

「これはこれは祐徳殿、

 お忙しい折、お呼び立てして相すまん。

 先ほどから、弥九郎殿の立てる苦い茶を

 飲まされておるところじゃ」

 

祐徳は、潮気を含んだ羽織を脱ぎながら、

湯気の向こうで茶を立てる弥九郎を見て

会釈を交わし、次利に言う。

 

「次利殿は、毛利の腹が知りたいのでありますな」

 

次利は板の間に腰を下ろし、祐徳に言う。

 

「そうじゃそうじゃ。知りたいのは毛利の腹じゃ」

 

弥九郎が、祐徳に茶を差し出しながら言う。

 

「毛利に腹はなし、と私は読んでいますが・・・」

 

祐徳は作法どおり茶碗を愛でながら答える。

 

「さすが弥九郎殿。そのとおり。

 毛利がこだわるは面子のみと私も読んでおる」

 

「どういうことじゃ?」 と次利は理由を聞く。

 

祐徳は答える。

 

「私どもの船が西国へ下る折は、

 決まって毛利方に積み荷を調べられまする。

 当然、上方へ上る戦道具の鉄砲や樟脳は、

 没収されると思いきや、何の咎めもなく、

 村上殿に帆別銭さへ払えば、 

 船は自由に往来できるので

 拍子抜けをしているところでございまする」

 

柱にもたれかけ、脚を投げ出し、

懐手に首を掻きむしりながら次利が言う。

 

「ということは、毛利は織田勢と

 面と向かって戦う意志は無いということか。

 なるほど、因縁つくらずじゃな。

 さすれば毛利がこだわる面子とは、

 織田と優位に和睦するための条件ということか。

 面子やら、和睦の条件やら、

 ほんに、陸の大名は面倒くさいのう。

 で、宇喜多はどうじゃ?」

 

祐徳が答える。

 

「宇喜多方がほしいのは信用。

 織田方からの信用と毛利方からの信用でござる。

 つまり、

 宇喜多方がすべきことは、

 織田方に忠誠を誓う儀式と、

 毛利方に詫びを入れる儀式でござる」

 

少し考えて、次利は言う。

 

「忠誠を誓う、詫びを入れる儀式とは・・・・

 要するに、それ相応の首級(しるし)を

 毛利に差し出すということか?

 しかし、宇喜多の誰の首を差し出すんじゃ?

 まさか、嫡男八郎(秀家)殿の首じゃあるまい」

 

弥九郎が答える。

 

「おそらく、与太郎基家殿の首級。

 これから始まる八浜の芝居じみた合戦で

 与太郎基家殿の首が毛利に取られれば、

 毛利殿と宇喜多殿の双方の面子も立ち、

 これまでの遺恨も帳消しとなりましょう」

 

次利は怒ったように言う。

 

「与太郎基家殿の首級と引き換えに、

 毛利が兒島から兵を引くことになれば、

 とりあえず、備前は丸く収まる。

 とは言え、おぞましい話じゃ。

 何も知らない基家殿が気の毒でならん。

 しかし、毛利から織田方に差し出すものも必要であろう」

 

弥九郎が答える。

 

「それは備中高松城、清水宗治殿の首級と

 備中・備後・美作・伯耆・出雲の領地でござる

 清水宗治殿が討たれたとなれば、

 他の毛利方の武将、誰ひとり和睦に異は唱えません」

 

次利はふんと笑い、呆れたように言う。

 

「しかしのう、面子とか忠誠心で駆り立てられて

 間に入って命を落とす武将が哀れじゃ。

 おそらく直家殿の筋書きじゃろう。

 梟雄、死してなお恐るべし。

 陸の怪物のすることは、狂気の沙汰じゃ」

 

弥九郎は、宇喜多直家を弁護するように言う。

 

「然るに、宇喜多直家殿の

 どちらつかずの振舞いがあったからこそ、

 毛利殿も羽柴殿も救われたのかもしれません」

 

次利は妙に納得して言う。

 

「そうじゃのう。直家殿は底知れぬ男じゃ。

 流した血も大きいが、直家殿が居なければ、

 何倍もの血が中国で流れたことよのう」

 

弥九郎も祐徳も口をそろえて言う。

 

「たしかに」

 

毛利と宇喜多の腹が見えて安心したのか、

次利は雄弁に語りだす。

 

「わしとおぬしらとは旧知の仲じゃ

 互いに海の自由を知り、陸の不自由を知るものとして

 海賊の本心を言おう」

 

弥九郎と祐徳が身を乗り出す。

 

「実はのう、

 笠岡の村上景広殿から使いがやってきて、

 兒島の海でおしぐらんご(押しくらべ)を

 やろうと言ってきおった」

 

弥九郎が聞き返す。

 

「おしぐらんご?」

 

次利が説明する。

 

「そうよ、合戦では無く、おしぐらんごじゃ。

 つまりじゃ、互いに船を派手に走らせて

 船合戦ごっこをしようという申し出よ」

 

                            おしぐらんご 

 

祐徳が合点して言う。

「戦をするふりということでござるか」

 

空の茶碗を板間にどんと置き、

次利は、にやにやしながら言う。

 

「そうよ、海の人間がよ、

 なんで陸の人間のために命を捨てにゃならん。

 村上景広殿が毛利に加勢するふりをすれば、

 わしは宇喜多に加勢するふりをするまでよ。

 互いに派手に小早船の10艘でも焼き沈めれば、

 宇喜多も毛利も納得するであろう。

 それよりも、八浜合戦の次は備中高松城じゃ。

 足守川を遡る軍船が必要じゃろう。

 ここは、羽柴殿に味方をすれば商売になる。

 ほら、直島本村はツバノミの音でうるさかろうて。

 祐徳殿の金でぎょうさん船を仕立てとるところじゃ」

 

弥九郎は感心して言う。

 

「なるほど、それは妙案。次利殿らしい海賊の所業。

 人をくった面白き話」

 

祐徳もにやりと笑みを浮かべ、

 

「船もたくさん要りますが、

 これからは石の値が上がりましょう。

 早速、飽浦や阿津の備前石工を手配しておりまする」

 

次利はしみじみと言う。

 

「ほんに、わしは海に生まれてよかった。

 陸の不自由はまっぴらごめんじゃ。

 面子とか、儀式とか、なんぼ命があっても足らんわ。

 しかしなぜ、

 陸の人間は血で血を洗うことをくり返すのかのう。

 殺生の業が深すぎて、誰も極楽浄土へ行けはしまい」

 

弥九郎は言う。

 

「殺生の業から救われるために、

 武将は茶の湯を好みまする。

 刀掛けに刀を預けて、丸腰で茶人と向かい合い、

 身体を禊ぎ、心を洗い、穢れを落とすために

 無常の境地で、いっぷくの茶を飲み干しまする」

 

次利は、さっぱりわからないと顔で答えて、

ひとりつぶやく。

 

「キリシタンの弥九郎殿が、

 無常の境地を語るのも面白い。

 わざわざ穢れて、わざわざ穢れを落とす?

 茶の湯とは窮屈で面倒くさい儀式よのう」

 

それから数か月後、

高原次利、小西弥九郎、山下祐徳の予測通り、

八浜合戦にて宇喜多八郎基家は毛利に討ち取られる。

(一説に味方の鉄砲の玉に当たり討死したという)

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                          八浜与太郎様

 

翌 天正10年、

備中高松城は壮大な水攻めの末、陥落し、

城主清水宗治は船の上で舞を踊った後、

「浮世をば 今こそ渡れ もののふの 名を高松の 苔に残して」

という辞世の句を詠み自害した。

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                           備中高松城水攻め

 

備中高松城水攻めでは、

直島高原水軍と八浜の豪商山下祐徳が、

足守川の荷役を一手に請け負い、

 

秀吉が明智を討つために行軍した

奇跡の中国大返しにおいても、

上方へ上る海上荷役で功を成したという。

  

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                           高原氏墓標群

 

『八浜合戦』『備中高松城水攻め』は、

織田と毛利が和睦するに相応しい、

手の込んだ大芝居だったかもしれない。

 

 

 


ファイナルハウス

2014-06-28 00:03:38 | イケン!

 

私は、もう15年ほど前から、

終の棲家は路上と決めている。

 

今、自作している自邸

『54帖の中庭』が完成した後に、

路上生活するための箱を制作するつもりでいる。

 

そんな折、頭で描いている

イメージどおりの箱が、

私の住む町、八浜を通り過ぎた。

 

山口宇部から、

この車(寝台)を引いて旅をしているそうだ。

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旅人 芳澤さん なんと御年72歳!

 

四国一周、九州一周、北海道一周を終えて、

最後の本州一周にチャレンジ中だとか。

 

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まったく無駄のないシンプルな箱、

フラットルーフがイカしている。

 

いろいろと貴重な路上生活の

ノウハウをお聞きしてお別れした。

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後ろ姿もかっこいい。路上に幸あれ。

 

不思議なもので、 

私は、この手の人に

遭遇する確率がすこぶる高い。

 

そういえば、

昔よく遭遇したユニックハウスの人も、

山口宇部の人だったなあ。

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かくゆう私の路上生活ハウスは、

15年の間、紆余曲折を経ながら、 

頭の中でグルグル堂々巡り。

 

リートフェルトちっくな箱とか・・・・

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バウハウスちっくな箱とか・・・・

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投入堂ちっくな箱とか・・・・ 

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日本の不可解な住宅事情に対案を示すために

九州を遊行をした『対庵』とか・・・・

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などなど、

 

浮かんでは消え、消えては浮かび、

 

最後に到達したのが、

一遍聖絵ちっくな 遊行車箪笥!

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早く、

制作に取り掛かりたいと思いつつ、

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問題は、

終の棲家という・・・・

 

出発したら最期、もう戻らないという

私のテーマ設定にある。

 

寺を建てず、宗派を立てず、

生涯を遊行僧として過ごした一遍上人。

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一遍聖絵を見れば、

いかに層の人々が、

この男に熱狂したかがうかがえる。

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私の眼差しも、

社会の底辺を捉えたい。

 

路上こそ身の捨てどころ。

高原次郎兵衛・・・捨聖まであと何年?

 

 


『奥ノ院』

2014-06-10 00:09:41 | イケン!

 

ここは京都貴船の御社、

荒れ果てた奥ノ院。 

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深秋の丑の刻、逆さ五徳に蝋燭灯し

藁人形に五寸の釘を打つ女がいた。

 

白装束の裾から見える

透きとおるようなふくらはぎに、

びんと力を入れてつま先立ち、

袖をめくり色白のか細い腕で鋭く釘を打つ。

 

トン、ト、トン、ト、トン・・・

トン、ト、トン、ト、トン・・・

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打つ釘の音色に合わせ

恨みにさいなむ女の、

唸るように唱える呪いの文言が

新月の闇の奥々へ染み渡る。

 

その一部始終を、

朽ちた板壁の節穴から

じっと見ていたひとりの翁がいた。

奥ノ院の祠を旅の宿とする遊行の捨聖である。

 

四日目の丑の刻、

捨聖の翁は女の前にゆっくりと現れて言う。

 

「女よ、毎夜毎夜、熱心なものじゃ」

 

女は突然現れた捨聖の翁に驚いて

尻餅をついたまま声も出ない。

 

捨聖の翁はやさしく言う。

 

「驚くな、驚くな、わしは遊行の僧じゃ。

 女よ、そんな業をして何になる。

 何を恨み、何を妬み、何を苦しむのか」

 

女は顔を伏せて答える。

 

「私にはどうしても気が納まらぬ訳がございます。

 その苦しみから逃れるために

 ここでこうして丑の刻詣りをしております」

 

捨聖の翁は言う。

 

「ほう、子細は聞かぬがそれは辛かろう。

 だがな、毎夜毎夜、藁人形に釘打つ音色を

 聞かされるわしも辛い」

 

女は眉間をくぐもらせて答える。

 

「藁人形に釘を打ったところで、

 恨む相手が死ぬると信じている

 わけではございません」

 

捨聖の翁は言う。

 

「では、なぜこのような業を行うのじゃ」

 

女は額に手をかざして答える。

 

「ここでこうして業を全うすれば

 私の心が安らぐ気がするのです。

 どこの誰だか見知らぬ僧の方、

 どうかここは見過ごし下され。

 あと三日でこの業も終わりとなりまする」

 

捨聖の翁は言う。

 

「では、あと三日だけ釘打つ音色を聞こう。

 業が終わった後で話すことがあるゆえ、

 また、ここへ現れよう。待っておるのじゃ」

 

女は伏せたままうなづく。

 

それから三日の間、

トン、ト、トン、ト、トン・・・と

漆黒の丑の刻に釘打つ音が木魂して、

 

最後の日に、

よりいっそう感極まった音色を残して

女は業のすべてを終えて、

その場に崩れ果てすすり泣いた。

 

奥ノ院の祠の中から

捨聖の翁がゆっくりと現れて女に言う。

 

「釘打つ音色が苦しみに満ちておった。

 心安らぐどころか

 ますます苦しそうに思えるが・・・」

 

捨聖の翁に救いを求めるように

女がとぎれとぎれに答える。

 

「そのとおりでございます。

 業を終えたところで何も心は安らぎません。

 釘を打てば打つほど恨みがつのり、

 ますます苦しみが増して、

 気がどうにかなりそうで

 恐ろしいばかりでございます」

 

「ほうほう、そうかそうか。そうであろう。

 釘打つ音色は正直なものじゃ。

 トン、ト、トン、ト、トン・・・

 トン、ト、トン、ト、トン・・・」

 

捨聖の翁は口で釘打つ音真似をして続けて言う。

 

「藁人形に釘打つ音色は

 あらゆる悪霊を呼び寄せて

 お前の身体に宿り、心を蝕み、気を狂わせる。

 憎しみ、恨み、妬み、争い、執着、迷妄・・・・

 これら一切の罪が因縁因果となって凶事を招く。

 恨みをはらすどころか

 自らの心と身体を病んでどうする?

 女よ、死ぬでない!」

 

心を見透かされた女は、

すがるように捨聖の翁に言う。

 

「どうすれば、私は救われるのでしょうか?

 どうか、私をお救いください。お願いします。

 私には帰る所もございません」

 

「そんなことは簡単なことじゃ」 

 

「簡単、なこと?」

 

捨聖の翁はやさしい目をして、

うなずきながら言う。

 

「心からありがとう、と1万回唱えるのじゃ」

 

「1万回?」

 

「そうじゃ、ありがとうを1万回唱えると、

 身体の中にある悪い因縁因果が毒となって下る」

 

「はい」

 

「次にもう1万回、

 心からありがとうと唱えるのじゃ。

 すると今度は、瞳から涙が溢れる。

 はじめはどろどろとした涙が出て、

 しだいに澄んだ涙となる」

 

「はい」

 

「さらにもう1万回、

 心からありがとうと唱えるのじゃ。

 すると今度は不思議なことに

 吉事が向こうから飛び込んでくる」

 

「はい」

 

「そうすればもう、意識せずとも

 自然に心からありがとうと唱える癖がつく。

 お前のまわりは吉事でいっぱいになる」

 

「はい」

 

「帰る所がないのなら、

 しばらくわしと一緒に遊行するがよい。

 わしはこれから備前児島瑜伽の神託を得るため

 西国へ下るところじゃ。

 なあに、かの一遍上人も女人連れで遊行したと聞く」

 

「はい、ありがとうございます。

 私も備前児島の瑜伽を見とうございます。

 何とお礼を言っていいのやら」

 

「礼などはいらぬ。

 お前はそのうち吉事でいっぱいになろう。

 吉事のおこぼれを、

 また迷う人に授ければよいことじゃ」

 

「ありがとうございます、

 迷う人に幸を授けることができれば

 まこと仕合わせなことでございます。

 心からありがとうございます」

 

こうしてふたりは西国へ遊行に旅立ち、

旅の道中、捨聖の翁は救った女に、

 

毎夜毎夜、涅槃寂静を説いて心をほぐし、

毎夜毎夜、諸行無常を説いて苦を滅し、

毎夜毎夜、諸法無我を説いて身を清め、

 

女は捨聖の翁に導かれるまま、

歓悦とともに、

四諦(苦諦、集諦、滅諦、道諦)の境地に達し、

切ない声で感謝の念を何万回も唱えつづけた。

 

女は魔法にかかったように

捨聖の翁に身も心も帰依することで

すっかり病も失せ、青白い肌に精気が戻り、

見違えるほどに心身共に平穏となり、

日々、晴々とした気分になった。

 

毎夜毎夜、

夜伽する女の顔をながめながら

捨聖の翁は仕上げの算段を練っていた。

 

「さて、室津か、日比か、下津井か、

 はたまた鞆までか・・・」

 

実はこの翁、

遊行の僧とは真っ赤な偽物で、

 

潮待ちの播磨室津の船宿で、

備前牛窓へ渡る船には乗らず、

 

ふいに、

この女に飽きたと一言告げて

馴染みの人買いに売りとばした。

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京おなごは器量も良く、

西国では高値で売れるもの。

室津の妓楼の主人が思わぬ高値を付けたという。

 

翁は金を懐に入れると、

すぐさま京へ踵を返し、

 

京都貴船の御社、荒れ果てた奥ノ院の祠に

再び身を潜めてつぶやく。

 

「それにしてものう、

 ここ奥ノ院は衆人のへそみたいなところよ。

 こそこそと世迷い人が現れ、

 こそこそと世迷い事を言うて帰る。

 世の中、誰もかれも幸せそうに見えて、

 皆、大嘘ばかり。大法螺吹きじゃ。

 神様に自分のことばかり願ごうて身勝手なものよ。

 皆、欲をきれいごとで包んで暮らしておる。

 ほんに俗人、哀れよのう。

 今夜はどんな世迷い人が現れるのか。

 金のもつれか、縁のもつれか、

 男色に女色、何でもよいが、

 人を救うはわしの天命、楽しくて仕方ないわい」

 

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京都家元フランチャイザー物語

2014-06-05 00:13:30 | イケン!

 

京都を離れて、

京都の文化を知ることは多い。

 

また、

京都の錬金術を知ることも多い。

 

京都以外の人は、

京都文化を妄信的に追従してしまう傾向がある。

 

京都は、

そんな京都追従の人から

莫大なお金を吸い上げる。

 

お花、お茶、お香、着物、舞踊、仏教・・・・

 

表ナントカ、裏ナントカ、

ナントカ流、ナントカ宗、ナントカ派・・・・

 

月謝代、道具代、免状代、戒名代・・・・ 

 

わけのわからぬ代金を

全国津々浦々の妄信信者から吸い上げる。

 

まるで広域〇〇団のように、

全国に張り巡らした支部から

京都本部に上納金が納められる。

 

その莫大な上納金が京都文化を支え

さらに、さらに京都文化は他を圧倒する。

 

そんなフランチャイザー京都のお土産で、

もらってうれしい物は・・・・

 

『松風』☆☆★★

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ケシの実と白味噌の焼き加減が絶品である。

昔は、阿片の味がしたのだろうか??? 

 

そして、 

もうひとつは・・・・

 

『大徳寺納豆』☆☆☆

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これが曲者で、

いやになるくらい美味い! とにかく美味い!

 

こんなに素朴な食べ物を

こんなに高級な味覚に押し上げる京都文化には

ただただ感服してしまう。

 

京都のお坊さんは庶民に内緒で、

こんな旨いものを食べていたのだろうか?

 

京都文化に対しては、

斜に構えたいんだけど・・・・

 

圧倒的な差を見せつけられると、

平伏叩頭、跪座低頭、匍匐膝行してしまう。

 

あゝ、京都はいろんな意味で憎い。

 

 

 


よそもの、わかもの、ばかもの、ものもの音頭

2014-05-26 09:56:09 | イケン!

 

 曲者 悪者 正直者

 ものものしく騒いだ 獣道

 もの悲しい哀歌 町に流れりゃ

 渡世者が 物申す

 モノマネよろしく 三度笠

 物差し片手に チャンバラごっこ

 奸物 ケダモノ斬った 今宵の酒の

 肴は 干物か 煮物か 酢の物か

 地物 初物 どんな代物 宝物

 汚れ物あつめて 洗濯すれば

 春物 夏物 秋冬物に

 色物 白物 漂白剤か

 漂泊するは 流れ者

 本物 偽物 まがい物

 古物 傷物 刃物に荒物

 叩き売るのはやくざ者

 男物でも 女物でも 景気は左前

 よそもの わかもの ばかもの 金いらず

 祝いめでたの 若松さまよ

 阿呆者 仕掛けた花咲く賭場に

 数寄者寄り合い 枝も栄ゆりゃ葉も繁る

 こちの座敷は祝いの座敷

 鶴と亀とが舞い遊ぶ

 ショウガネエ~

 アワレイナカノ マチハクチハテ

 ショウガネエ~

 よー シャン シャン

 まひとつしょ シャン シャン

 よーと三度 シャシャン シャン

 

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 地方の名言!

「よそもの、わかもの、ばかもの に金はいらん」