日々史跡めぐり

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犬山の瑞泉寺

2021-12-05 | 仏閣

犬山の瑞泉寺は、信長、秀吉らに崇敬され、尾張徳永家にも庇護された寺です。



山門



犬山城の門を移築したものといわれています。





 

 当寺は名鉄犬山遊園駅のすぐ東にあり、日峰宗舜禅師が創建した臨済宗妙心寺派の古刹である。室町初期応永年間、犬山の継鹿尾観音の一房で大蔵経を学ぶう ち、内田の人、内田左衛門次郎が自分の山に一寺建立を懇請した。現地を見た禅師は、この山に水が出ないことを知り、弟子蜂屋玄瑞(土岐一族)に命じ岩頭を うたせたところ、清泉がわき出た。
 禅師はその人の「瑞」をとって瑞泉寺と名付け、泉から立ち昇る水気が太陽に映えて龍が昇天するさまに似ていたので、山号 を「青龍」と決めたと伝えられる。禅師は師の無因宗因を開山に勧請し、自らはへりくだって二世となった。
 禅師は以来十年の歳月をかけて、応永二十二年(1415)に大伽藍を完成させた。本堂には朝態山の虚空蔵菩薩を勧請して本尊とした。日峰禅師は在住14年 子弟の育成に当たったが、折から本山妙心寺は取りつぶしとなっていたために、派中で再興の意欲が高まり、その推挙をうけて本山再興に当たることになった。
 禅師は後事を義天・雲谷・桃隠に託して永享五年(1433)本山へ上った。そして十年間を費してこの大業を成就し、妙心寺中興開山と仰がれるに至ったのである。文安五年(1448)正月二十六日妙心寺養源院で示寂された。
禅師のあとは義天・雲谷・桃隠から雪江・景川・悟渓・特芳・東陽などの高僧に引きつがれ、明治に至るまで四派輪住の寺であった。
 当寺は永禄八年(1565)の兵火で焼失したが、織田信長より朱印状を得て再建、次いで、秀吉が寺領五十石を寄せ、その後、尾張徳川家も当寺を被護した。塔頭は判明するだけでも二十四ヵ院を擁した。現在は龍済・龍泉・臥龍・輝東・臨渓・妙喜の六ヵ寺がある。
 鐘楼は古く室町時代明応三年(1494)建立と伝えられ、三猿は左甚五郎の作と伝えられる。山門は犬山城内田御門を移したものである。
(瑞泉寺由緒)











左甚五郎の作と伝えられる鐘楼の三猿







境内からは犬山城が見えます。

※2011年の訪問です。

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