日々史跡めぐり

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京を巡る(6)矢田寺

2020-12-07 | 仏閣

京都の繁華街・寺町通りにある矢田寺は、西山浄土宗の寺院で、通称矢田地蔵(やたじぞう)と呼ばれています。

平安時代初期、奈良の矢田寺の別院として五条坊門に創建され、以後、寺地を転々とし、天正7年(1579年)に現在地に移されたといわれています。

当寺の梵鐘は六道珍皇寺の「迎え鐘」に対し、「送り鐘」と呼ばれ、死者の霊を迷わず冥土へ送るために撞く鐘として信仰されています。

正平14年(1359年)に鋳造された梵鐘は戦時中の金属供出により失われ、昭和48年(1973年)に新鋳されました。

金剛山矢田寺と号する西山浄土宗の寺で、通称、矢田地蔵の名で知られている。
寺伝によれば、当寺は、平安時代の初め、大和国(奈良県)の矢田寺の別院として五条坊門(下京区)に創建され、以後、寺院を転々とし、天正7年(1579)に現在の地に移されたといわれている。
本堂に安置する本尊の地蔵菩薩(矢田地蔵)は高さ約2メートルの立像で、開山の満慶(満米)上人が冥土へ行き、そこで出会った生身の地蔵尊の姿を彫らせたものといわれ、俗に代受苦地蔵と呼ばれ、地獄で亡者を救う地蔵として人々の信仰を集めている。
また、当寺の梵鐘は、六道珍皇寺の『迎え鐘』に対し『送り鐘』と呼ばれ、死者の霊を迷わず冥土へ送るために撞く鐘として人々から信仰され、一年を通じて精霊送りには、多くの参拝者で賑わう。 (駒札より)

しあわせ大日如来

代受苦地蔵」と呼ばれるご本尊の地蔵菩薩立像は、地獄の火焔の中に身を置かれおり、地獄で罪人を救っている地蔵の姿を彫刻して祀ったものと伝えられています。

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コメント (4)
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