日々史跡めぐり

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鞆の浦の寺社・史跡めぐり(7)沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)

2015-10-02 | 神社
沼名前神社は、平安時代の延喜式にも記載されている由緒正しい神社です。
海上安全に効験のある大綿津見命(おおわたつみのみこと)を祀る「渡守(わたす)神社」と、須佐之男命(すさのおのみこと)を祀り無病息災を祈願する「祇園社」が明治時代に統合され、沼名前神社となりました。
地元の人からは、「祇園さん」と呼ばれ親しまれています。


第二鳥居


江戸時代の寛永2年(1625年)に水野勝重(のちの2代藩主・水野勝俊)が長子(のちの3代藩主・水野勝貞)の誕生に際して、この健康を願い寄進しました。
笠木の先端は丸味を付けて反り上がっており、さらに鳥衾(とりぶすま)が載せられた独特な形をしています。





随身門


能見所




境内には秀吉遺愛の能舞台があります。

能舞台(重要文化財)


かつて京都伏見城にあったものを、福山城主・水野勝成が二代将軍・徳川秀忠より拝領し、それを沼名前神社に寄進したとのことですが、 また、家康建造とも伝えられています。
簡単に分解して移動できる組み立て様式の能舞台なのですって。






境内社


八幡社、竈社・塞社、松尾神社・稲荷社・地主社、厳島社・艮社、渡守社、護国社などがあります。

渡守神社

社伝では、第14代仲哀天皇2年に神功皇后が西国に向かった際、当地の霊石に綿津見命を祀り海路安全を祈ったことに始まるといいます。そして帰途に際し、綿津見命の前に「稜威の高鞆(いづのたかとも。鞆は弓具の1つ)」を奉じたことから、「鞆」の地名が起こったとも。

鞆祇園宮

天長年間(824年-834年)の創建とも、保元年間(1156年-1159年)の勧請によるとも伝えられています。
元は鞆の関町に鎮座していましたが、慶長4年(1599年)の火災で焼失し、現在地に遷座したといいます。

明治に渡守神社と鞆祇園宮を合祀し、『延喜式』神名帳の記載にならって「沼名前神社」と改称。
渡守神社が『延喜式』神名帳所載の式内社で、同社が現在に至っています。


拝殿






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コメント (2)
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