《試練》――現在史研究のために

日本の新左翼運動をどう総括するのか、今後の方向をどう定めるのか

沖縄からの通信~闘うオール沖縄の正義と力が強権発動を振りかざした安倍政権に挫折を強制

2016-03-06 20:43:43 | 沖縄問題
沖縄からの通信~闘うオール沖縄の正義と力が強権発動を振りかざした安倍政権に挫折を強制
――辺野古代執行訴訟和解が意味するもの

(一)国は敗訴必至の事態に追い詰められた

 「代執行訴訟 和解」というニュースが全国を駆けめぐっています。報道各社は一斉にそれぞれの解釈を加え、何が起きているのかを解説しようとしています。今朝、昨日(3月4日)の「和解成立」の記事を読むため、沖縄タイムスを買いにコンビニに走りました。いつもならたくさんあるはずの県紙二紙が、すべてのコンビニを探してもありません。いかに県民の関心が高いかを示すエピソードです。

 一夜明けて分かったことは、全国紙と県紙二紙の報道内容の違いです。琉球新報は「国、敗訴を回避」とし、沖縄タイムスは「県、事実上の勝訴」と報じています。全国紙は何が起きているのか分からず、ただ客観的な報道だけにとどまっています。毎日新聞だけが「政府方針転換」として和解に追いこまれた、としていますが、選挙戦略からの方針転換という的外れのものです。

 じつはこれまで、県紙二紙ともに「勝訴」や「敗訴」といった高裁判決の見通しについては一切報じていませんでした。それが、「和解成立」から一夜明けた今日になって初めて、「このままいけば国の敗訴だった」と一斉に報じています。知事の取り消し決定に対する行政不服審査法を使った執行停止や、法的要件を満たさない代執行訴訟など、素人目から見てもメチャクチャな法解釈で、ましてや専門家からすれば国の主張に何一つ理がないことは明白でした。

 私としては、この裁判において県が国を土俵際まで追い込んでおり、国の敗訴は疑いなしと思っていました。「和解案」を拒否して判決に持ちこめば、国敗訴になります。仮に、高裁で勝訴にならなくとも、最高裁まで行けば、国のメチャクチャな主張を正当化できる論理はないと見ていました。

 私の唯一の疑問は、県に勝訴の可能性があるなら、県はなぜ和解に応じたのかという一点にありました。
 今日の琉球新報は、裁判所の「和解勧告」の全文、国と県が合意した「和解条項」の全文、知事の記者会見の一問一答の全文、副知事と弁護団の記者会見の一問一答の全文を掲載しています。それを読めば、一目瞭然となります。それによって、「国、敗訴を回避」「県、事実上勝訴」の意味を確認しました。

(二)国の沖縄差別政策=日米安保政策の戦略的な挫折

 まず翁長知事は記者会見において、和解の理由を「(暫定和解案は)私たちが代執行訴訟で訴えてきたことの筋に沿っており、前向きにそれを受け入れることにした。工事が止まることは大変大きい」と語っています。また、副知事と弁護団の記者会見では、和解に至った理由として2点が述べられています。①今回の和解内容は代執行訴訟における県の主張に沿ったものであること、②「辺野古埋め立て工事が停止することは非常に意義がある」としています。

 注目すべきことは、「工事が止まることは大変大きい」「辺野古埋め立て工事が停止することは非常に意義がある」という部分です。どういうことかというと、国が三里塚でやってきた暴力的かつ理不尽な空港建設が歴史的背景にあるのです。つまり、国はこれまで違法なことを、力で押切り、既成事実化してしまうことで合法化してきました。国家暴力による既成事実化が、これまで日本政府が行ってきた、国の違法行為を超法規的に合法化する唯一のやり方です。

 そして、辺野古で国が行ってきたことこそ、三里塚でやったことを沖縄に対して行うものでした。それが、「前知事から承認をいただいている」と強弁しつづけ、ボーリング調査を強行してきたことの意味です。また、昨年10月には「本体工事に着手する」と宣言しました。国が行ってきたことは、陸上部分の整地や、埋め立て用の土嚢(鉄製の巨大な金網に砕石を詰めたもの)づくりで、それを沿岸部にこれ見よがしに並べているにすぎません。これまでなら、いったん宣言したなら直ちに強行してきました。それは、「やるぞ」という脅しにも見え、また躊躇しているようにも見えました。

 県にとっては、もし海中への投入に踏み切られたら、それを阻止する手段がありません。法的には手足が縛られたままです。たたかう主体が行政のため、三里塚のような実力闘争のたたかいができません。そこに出たのが辺野古代執行訴訟での裁判所の「和解勧告」(1月29日)でした。それをめぐっての対応を迫られた国は、県とのとの和解に応じました。
 3月4日の「和解条項」は、①原告(=国)は県に対する代執行申立てを取り下げる、県は代執行申立て取り消しの申立てを取り下げる。②利害関係人(=国・沖縄防衛局長)は、県に対する行政不服審査法に基づく審査請求及び執行停止申立てを取り下げる、埋立工事を直ちに中止する。③地方自治法での争いとする~ことからなっています。
 県にとっては、ついに埋めたて工事を阻止する手段が手に入ったのです。これが、県が「和解」に踏み切った意味です。「和解」であれ何であれ、工事を中止に追い込んだことは決定的なのです。

 裁判所の「和解勧告」をどう評価するのかが問題となっています。
 そもそも国が県を相手取った代執行訴訟とは、改めて知事による埋め立て承認取り消しの時点に戻って再提訴するもので、国は法解釈上の問題を修正した訴訟を行う仕切り直しでしかありません。しかし、「和解勧告」には次の一文が入っていました。

「仮に本件訴訟で国が勝ったとしても、さらに今後、埋立承認の撤回がされたり、設計変更に伴う変更承認が必要となったりすることが予想され、延々と法廷闘争が続く可能性があり、それらでも勝ち続ける保証はない。むしろ、後者については知事の広範な裁量が認められて敗訴するリスクは高い。」

 これは、裁判所による「国敗訴」の予告です。1999年の地方自治法の改正によって、国と地方自治体との関係が主従の関係から対等な関係になったのです。それによって機関委任事務は廃止され、法廷受託事務となりました。つまり、改正地方自治法では知事の大幅な裁量権が認められたものとなっています。裁判所が「知事の広範な裁量が認められて敗訴するリスクは高い」と明言したことは、事実上の「国敗訴」の予告としてありました。

 国は和解勧告を一貫して拒否しており、和解不成立と思われていました。ところが、国は一転して「和解」に応じました。翁長知事の記者会見での話では、「2、3日前」と語っています。関係閣僚すら事後伝達になるような、安倍と官邸による急転直下の政治決断として行われました。
 報道では、「参議院選挙対策」として報じられています。しかし、安倍政権が受けた打撃の政治的代償としては余りにも大きいものです。何よりも一時中断とはいえ、辺野古の工事「中止」に追いこまれたことは、日本政府にとっては決定的な敗北です。

 この「和解成立」によって、埋め立て工事は「中止」となり、国と県と住民訴訟の一切は取り下げられ、知事の埋め立て承認取り消しの時点まで戻ることになりました。知事の取り消しに対しては、国は地方自治法による「是正指示」を行い、それが拒否されれば国地方係争処理委員会に申し立て、県に不服があれば是正の指示の取り消し訴訟を提起することが合意事項となっています。つまり、知事の取り消しまで時計の針を戻すということです。

 メディアの報道を見ていると、官邸主導でやってきたメチャクチャなやり方に対して法務省が入れ知恵したとか、確定判決に従うということで県の手足が縛られたとか、参議院選対策だとか、さまざまな憶測が乱れ飛んでいます。しかし、明らかなことは、国は「和解勧告」によって敗訴の現実を初めて自覚し、敗訴を回避するために和解に応じざるをえなくなったということです。それによって、県は国が振り上げた代執行という国家暴力の発動を挫折させ、国がこれまで超法規的に進めてきた埋め立て工事の強行をついに止めることに成功したのです。

 たしかに、「中止」とはいえ事実上は「停戦」にすぎず、警戒しなければなりません。沖縄ではメディアを含めて、「中止」ではなく「中断」という警戒心を表明する表現が使われています。安倍政権はあくまでも辺野古新基地建設を推し進めようとしているのであって、今後、地方自治法による訴訟が起こされ、その最高裁の確定判決が出るまで、おそらく1年半は工事が止まることになります。ですから、工事の「中断」にすぎません。
 しかし、政府にとって工事再開は、そんなに簡単ではありません。双方が合意した「和解条項」では、行政不服審査法などのメチャクチャな手段がとれません。もう「前知事に承認をいただいてきた」と強弁するだけで辺野古の工事を強行することはできません。何よりも、既成事実で突っ走るやり方が通用しなくなったのです。
 考えてもみてください。今回の和解は国・安倍政権が原告となって居丈高に仕掛けた代執行訴訟を原告自らが取り下げるという大失点、大失態なのです。日本帝国主義の沖縄差別政策、したがって同時に日米安保政策の戦略的な挫折と言っていいのです。
 これが「和解成立」=工事中止の意味するところです。私たちは、その大勝利性にもっともっと自信と確信をもつべきなのです。

(三)安保・沖縄闘争の新しい高揚へ

 安倍政権は、これまで国は「国が負けることなど100パーセントない」と豪語し、違法な埋め立てを力で強行し、既成事実化することで乗り切ることを基本戦略としてきました。したがって、工事の「中止」はどのような形をとっても辺野古新基地建設強行の戦略そのものが、総崩れになったことを意味します。辺野古現地のたたかい、辺野古に連帯した全国のたたかい、それと一体となった行政のたたかいによって、ついに基本戦略が「阻止」されたのです。

 いま間違いなく言えることは、和解勧告を引き出し「和解成立」に結び付けた力は、「オール沖縄」と全国のたたかいが作り出したことです。もし、住民だけのたたかいなら、政府は三里塚と同じことを行ったでしょう。しかし、翁長知事が辺野古新基地建設反対で立ち上がり、辺野古のたたかい、全国のたたかいと団結しながら非妥協のたたかいを開始しました。日本の政治史上かつてない自治体と住民が一体となった「沖縄の自己決定権」「オール沖縄」のたたかいが生まれました。
 そのたたかいの現在的な最大の成果、その大勝利の証こそが「和解成立」なのです。

 2月21日、辺野古新基地建設阻止を共に闘う2万8千人の国会包囲行動が行われました。それも、「『止めよう!辺野古埋立て』国会包囲実行委員会」と「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」が合流して一つになった集会・デモとして実現しました。
 沖縄の辺野古や先島(宮古、八重山、与那国)での自衛隊基地建設などで起きていることは、安保法制の先取り的な現実そのものです。そこに「日米の基地の島・沖縄」の特殊な現実があります。
 本土において、なぜ沖縄と安保という二つの運動に分かれてしまうのか――これまでは合流を念願しつつも焦りにも似た気持ちで見続けなければなりませんでした。しかし、いまその合流が果たされつつあります。それが沖縄の人々をどれだけ勇気づけ、励ましになっているか、ということです。

 アメリカで注目すべき「事件」がおきています。
 2月3日、米上院軍事委員会の公聴会でマケイン委員長(共和党)が「発作的に繰り返される議論と交代、沖縄内の政治問題が、私や他の委員の不満の要因となっている」と怒りを爆発させました。「普天間は辺野古の代替施設が完成して移設が完了するまで使い続けるというのがわれわれの理解だ」とも語っています。
 ネラー米海兵隊総司令官は、「遅れている主な原因として『抗議活動や沖縄県知事の支援不足』だ」と語りました。
 さらに、ハリス米太平洋軍司令官が、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設が予定よりさらに遅れ、2025年になる見通しを証言しました。菅官房長官がすぐに火消しに走り、辺野古に遅れはないと否定しましたが、ついに「工事中止」に追いこまれてしまいました。

 これをABCなどの全米メディアが全米ネットで放送したため、初めて沖縄や日本の安保法制反対のたたかいが全米中に知られることになりました。そのことによって、学者やNGOグループなどアメリカの平和運動勢力の辺野古訪問が急速に増えています。

 米上院軍事委員会とは、上院の中でもっとも重要な委員会です。辺野古のたたかいはついに米上院軍事委員会をもとらえ初めています。

 今年2016年は、日本―沖縄の歴史を決定づけるような局面となります。安保法制-集団的自衛権とともに、いよいよ9条改憲そのものが階級攻防の中心的課題になります。
 安倍首相は「在任中に憲法改正を行う」と明言しました。「在任中」とは、今年の参議院選挙後の後半国会のことです。
 安倍政権打倒の澎湃としたたたかいを巻き起こさなければなりません。歴史が塗り替わるような局面というのは、何年もかかるわけではありません。昨年の安保法制反対の全国でのうねりは、まだ序章にすぎません。特徴的なことは、高校生が立ち上がり始めました。私の経験では、高校生が立ち上がるようになれば、歴史は必ず動きます。全力で動かしましょう。

2016年3月5日
S.嘉手納(沖縄在住)

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