続・笑う蜘蛛の糸

1969年生まれの私、
潮風太子が第2団塊世代特有の視点で書く
コッソリ系ブログです。

英知と打つ手

2018-10-19 01:50:40 | インポート
今週は少しマジメに・・・

こういう事件がまた発生したので、
ちょっとばかし現場レベルの、
「地べたの目線」で書いてみたい。

KYB(旧カヤバ工業)で製造した、
「オイルダンパー」と呼ばれる免振・制振装置において、
基準を満たしていない「不適合」製品であっても、
「合格」としてデータを改ざんし出荷・設置したという報道。

これらの製品はすでに公官庁や、
公共施設はじめマンション等に納入され、
設置されているという。

事件の詳細については、
マスメディアの報道を見ていただくとして、
「モノづくりの国」である日本でこういうことが、
相次いで起きて発覚するのか?

「以前からこういうコトはドコでもある・・・」と言う人たちがいる。

潮風太子から少々辛口に言わせてもらうと、
こういう風に言う「世代」は現在40代前半より下の世代、
もしくはバブル崩壊後もなんとか、
リストラの難を逃れ生き残った、
会社に良くも悪くも「忠誠」を誓っている、
無礼な言い方だが、
ぶっちゃけ「会社に魂を売ったような」者ではなかろうか?
と思っている。

工場勤務の経験があるからわかる。

今から約30年近く前、
いわゆるバブル崩壊直後の日本は、
実際にはまだ、この先やってくる絶望的不景気を、
知る由などなく「社長がバカだから業績が落ちた」ぐらいの、
ユルい認識でしかなく、
社長が変われば劇的なV字回復が起きると、
まぁ呑気に構えていたもの。
「ウチが潰れたら日本はもう終わりだ」などと、
本気で言っている職人が、それはもうたくさんいた。

ではなぜ彼らは、
こんな根拠のない自信を持っていたのだろうか?
ということであるが、
これは至って簡単な理屈で、
当時の「神的」超ベテラン職人たちは皆、
自分たちの「技術力」に絶対の自信を持っていた!
ということ。

できるだけ簡潔に書く。
例えばJIS規格が0.2mm以内の許容誤差という部品があったら、
当時の社内規格は0.15mm以内であり、
この0.15mm以内が社内検査に合格する製品となる。
が、実際のところ現場では、
「職人規格」0.07mm以内というのが「当たり前」の製品基準であった。
最悪0.1mm以内・・・これでも、
「オメェ腕悪ィなぁ!!」などとバカ呼ばわりである。
実際0.02㎜で仕上げる神業職人を、
若かりし潮風太子は何人も見た。
しかし、これは当時ではごく、
当たり前のデキの数値である。

また、そういう神業職人の共通点は、
戦前生まれの戦争経験者で中卒、
この道一筋40数年という人たちばかり。
ということ。

でもって、この手の職人は、
まぁとにかく仕事中は気難しくて「恐い」のが定番。
いや、おっかないという言い方が適切か。

「指導」にあたっては罵声、暴力当たり前の時代、
今だったらパワハラもいいところで、
懲戒解雇必至な面々の集団(笑)
そんな職場に入社早々「成績不良者」として、
配属されたボク・・・
まぁとにかく厳しく育てられたもの(^o^;)

しかし、
その反面「しなもの」に関して彼らは、
完璧なデキを常に追求していたし、
「己の技術」には絶対の自信を持っていた。
まさしく誇り高き名工たちである。

ところが彼らには、これまた共通した、
致命的弱点もあった・・・

学歴も多分に起因していると思われるが、
読み書きやプレゼンテーションといった、
理論的な説明がまったくといっていいほど、
できなかったのである。

当時、どこの工場でもQC(クォリティ&コントロール)活動というのが、
盛んに行われていて、
要するにマニュアル化の推進活動が流行していた。
そこに我々「若手」は活路を見出したのである。
アンチ「勘」を声高に叫びながら。

当時の若手はこぞってワープロで印字した、
マニュアルを作っては「会社」にせっせと提出し、
「先輩方」が長年かかって作り上げた技術を、
「文章化」させて理論武装を始めることとなる。
ちょうど「大御所」たちが定年を迎え始めた頃でもあり、
これを当時の会社側は「世代交代の波」と呼んで、
喜んだ。
内心彼らをうやうやしく思っていた「事務方」も、
かなりいたようだった。

しかし以前にも書いたが、
これがのちに「マニュアル絶対主義」を助長させ、
誰でも出来るシゴト化へと突き進み・・・
となるのである。

いよいよ不景気が本格的となると、
ベテラン職人たちが、
いとも簡単にリストラされる時代が到来。

その結果、中間層の職人までリストラあるいは、
希望退職で「不在」となり、
いまのような技術力の空洞化を招く結果となった。
挙げ句、
高レベルの技術の継承がなされない、
という事態に。

こういう「油断」の根拠のひとつに、
QC活動ブームののちに登場することとなる
ISOの存在を語らないわけにはいくまい。

いわゆるISO14001(環境マネジメント)と、
ISO9001(品質マネジメント)だ。

このISOが結果的には、
皮肉なことに「現場力軽視」を更に助長することになった。
現場の仕事をISO用語ではコア活動という。

ISOを手本とした
マニュアル絶対主義が横行し、
作業手順と納期絶対にばかりに目が行き、
職人魂だとか自信品質とか、
日々の創意工夫、
ライバルとの切磋琢磨は、
今や過去の遺物と化してしまった感がある。
完璧なマニュアルさえ完成すれば、
ただその通りにやればイイだけ。
となると、
実際のコア活動など進化、
発展させる必要性がなくなった。
職人同士の競争力は低下。
よってチェック機能が麻痺すれば、
マニュアルそのものが崩壊…

それが今起きている問題の根本であろう。

ただISOについて、ひとつ弁明を書くとするならば、
本来のISOは「人は誰でも間違える」という観点から、
スタートした考え方であり体系化だったハズ。

ISOが普及していなかった1980年代のアメリカの自動車工場では、
納期を守れない者は即刻解雇だったという。
そのため納期優先で製品の品質は著しく低下し、
結果、日本の「かんばん方式」に敗れることとなった・・・

さて、これでもうおわかりいただけたでしょう?
何を言わんとしているか・・・・

日本が世界一のものづくりの大国であることは、
恐らくず~っと変わらないでしょう多分。

ただね。
その昔、自称LG(韓国のメーカー)の営業を名乗る輩と、
酒席を供にした際に彼がこんなことを言っていたことを、
ふと思いだす。

氏いわく、
「日本の技術はナンバーワンですよ!
でもね我々は日本が開発して確実に売れてるモノと、
同じものを後から作って日本より安く売ればいいんですよ、
結果として勝てばイイ!我々には失敗が許されないんです、
だから我々はリスクを負わない・・・」

韓国人のノーベル賞受賞者が「平和賞」しかいない理由が、
なんとなくわかった気がしたが、
それはいいとして、
「モノづくり大国」だなんて胡坐(あぐら)を、
かいていられるのは他国の国民に、
かつての日本人のような、
追いつけ追い越せというメンタリティーそのものが、
ナイからに過ぎないワケで、
かつての日本人のような国民ばかりの国家が登場したら、
それこそ日本はひとたまりもナイだろう。
そうなってからでは遅くないだろうか?
今からでも打つべき手はたくさんあるハズなのに・・・
まともな若い職人を育てるより、
まず派遣とバイトで人数合わせ。
大手なのに工場は派遣とバイトだらけ。
あとはマニュアル通りでオッケー!
なハズ。
が、このザマ。

愛社精神と職人としてのブライドなど、
ハナっからナイ輩が腹いせと金目当てに、
メディアへ内部告発したりするのは、
ある意味、当然の帰結だ。

なぜ、こういう事件から気づかないか?
実はそこが大問題。

また来週。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする