今週は少しマジメに・・・
こういう事件がまた発生したので、
ちょっとばかし現場レベルの、
「地べたの目線」で書いてみたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/90/6b948c27ec5e860f1788a9b05773ca98.jpg)
KYB(旧カヤバ工業)で製造した、
「オイルダンパー」と呼ばれる免振・制振装置において、
基準を満たしていない「不適合」製品であっても、
「合格」としてデータを改ざんし出荷・設置したという報道。
これらの製品はすでに公官庁や、
公共施設はじめマンション等に納入され、
設置されているという。
事件の詳細については、
マスメディアの報道を見ていただくとして、
「モノづくりの国」である日本でこういうことが、
相次いで起きて発覚するのか?
「以前からこういうコトはドコでもある・・・」と言う人たちがいる。
潮風太子から少々辛口に言わせてもらうと、
こういう風に言う「世代」は現在40代前半より下の世代、
もしくはバブル崩壊後もなんとか、
リストラの難を逃れ生き残った、
会社に良くも悪くも「忠誠」を誓っている、
無礼な言い方だが、
ぶっちゃけ「会社に魂を売ったような」者ではなかろうか?
と思っている。
工場勤務の経験があるからわかる。
今から約30年近く前、
いわゆるバブル崩壊直後の日本は、
実際にはまだ、この先やってくる絶望的不景気を、
知る由などなく「社長がバカだから業績が落ちた」ぐらいの、
ユルい認識でしかなく、
社長が変われば劇的なV字回復が起きると、
まぁ呑気に構えていたもの。
「ウチが潰れたら日本はもう終わりだ」などと、
本気で言っている職人が、それはもうたくさんいた。
ではなぜ彼らは、
こんな根拠のない自信を持っていたのだろうか?
ということであるが、
これは至って簡単な理屈で、
当時の「神的」超ベテラン職人たちは皆、
自分たちの「技術力」に絶対の自信を持っていた!
ということ。
できるだけ簡潔に書く。
例えばJIS規格が0.2mm以内の許容誤差という部品があったら、
当時の社内規格は0.15mm以内であり、
この0.15mm以内が社内検査に合格する製品となる。
が、実際のところ現場では、
「職人規格」0.07mm以内というのが「当たり前」の製品基準であった。
最悪0.1mm以内・・・これでも、
「オメェ腕悪ィなぁ!!」などとバカ呼ばわりである。
実際0.02㎜で仕上げる神業職人を、
若かりし潮風太子は何人も見た。
しかし、これは当時ではごく、
当たり前のデキの数値である。
また、そういう神業職人の共通点は、
戦前生まれの戦争経験者で中卒、
この道一筋40数年という人たちばかり。
ということ。
でもって、この手の職人は、
まぁとにかく仕事中は気難しくて「恐い」のが定番。
いや、おっかないという言い方が適切か。
「指導」にあたっては罵声、暴力当たり前の時代、
今だったらパワハラもいいところで、
懲戒解雇必至な面々の集団(笑)
そんな職場に入社早々「成績不良者」として、
配属されたボク・・・
まぁとにかく厳しく育てられたもの(^o^;)
しかし、
その反面「しなもの」に関して彼らは、
完璧なデキを常に追求していたし、
「己の技術」には絶対の自信を持っていた。
まさしく誇り高き名工たちである。
ところが彼らには、これまた共通した、
致命的弱点もあった・・・
学歴も多分に起因していると思われるが、
読み書きやプレゼンテーションといった、
理論的な説明がまったくといっていいほど、
できなかったのである。
当時、どこの工場でもQC(クォリティ&コントロール)活動というのが、
盛んに行われていて、
要するにマニュアル化の推進活動が流行していた。
そこに我々「若手」は活路を見出したのである。
アンチ「勘」を声高に叫びながら。
当時の若手はこぞってワープロで印字した、
マニュアルを作っては「会社」にせっせと提出し、
「先輩方」が長年かかって作り上げた技術を、
「文章化」させて理論武装を始めることとなる。
ちょうど「大御所」たちが定年を迎え始めた頃でもあり、
これを当時の会社側は「世代交代の波」と呼んで、
喜んだ。
内心彼らをうやうやしく思っていた「事務方」も、
かなりいたようだった。
しかし以前にも書いたが、
これがのちに「マニュアル絶対主義」を助長させ、
誰でも出来るシゴト化へと突き進み・・・
となるのである。
いよいよ不景気が本格的となると、
ベテラン職人たちが、
いとも簡単にリストラされる時代が到来。
その結果、中間層の職人までリストラあるいは、
希望退職で「不在」となり、
いまのような技術力の空洞化を招く結果となった。
挙げ句、
高レベルの技術の継承がなされない、
という事態に。
こういう「油断」の根拠のひとつに、
QC活動ブームののちに登場することとなる
ISOの存在を語らないわけにはいくまい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/64/d119c70695a17f2e1520cd034ae777cf.jpg)
いわゆるISO14001(環境マネジメント)と、
ISO9001(品質マネジメント)だ。
このISOが結果的には、
皮肉なことに「現場力軽視」を更に助長することになった。
現場の仕事をISO用語ではコア活動という。
ISOを手本とした
マニュアル絶対主義が横行し、
作業手順と納期絶対にばかりに目が行き、
職人魂だとか自信品質とか、
日々の創意工夫、
ライバルとの切磋琢磨は、
今や過去の遺物と化してしまった感がある。
完璧なマニュアルさえ完成すれば、
ただその通りにやればイイだけ。
となると、
実際のコア活動など進化、
発展させる必要性がなくなった。
職人同士の競争力は低下。
よってチェック機能が麻痺すれば、
マニュアルそのものが崩壊…
それが今起きている問題の根本であろう。
ただISOについて、ひとつ弁明を書くとするならば、
本来のISOは「人は誰でも間違える」という観点から、
スタートした考え方であり体系化だったハズ。
ISOが普及していなかった1980年代のアメリカの自動車工場では、
納期を守れない者は即刻解雇だったという。
そのため納期優先で製品の品質は著しく低下し、
結果、日本の「かんばん方式」に敗れることとなった・・・
さて、これでもうおわかりいただけたでしょう?
何を言わんとしているか・・・・
日本が世界一のものづくりの大国であることは、
恐らくず~っと変わらないでしょう多分。
ただね。
その昔、自称LG(韓国のメーカー)の営業を名乗る輩と、
酒席を供にした際に彼がこんなことを言っていたことを、
ふと思いだす。
氏いわく、
「日本の技術はナンバーワンですよ!
でもね我々は日本が開発して確実に売れてるモノと、
同じものを後から作って日本より安く売ればいいんですよ、
結果として勝てばイイ!我々には失敗が許されないんです、
だから我々はリスクを負わない・・・」
韓国人のノーベル賞受賞者が「平和賞」しかいない理由が、
なんとなくわかった気がしたが、
それはいいとして、
「モノづくり大国」だなんて胡坐(あぐら)を、
かいていられるのは他国の国民に、
かつての日本人のような、
追いつけ追い越せというメンタリティーそのものが、
ナイからに過ぎないワケで、
かつての日本人のような国民ばかりの国家が登場したら、
それこそ日本はひとたまりもナイだろう。
そうなってからでは遅くないだろうか?
今からでも打つべき手はたくさんあるハズなのに・・・
まともな若い職人を育てるより、
まず派遣とバイトで人数合わせ。
大手なのに工場は派遣とバイトだらけ。
あとはマニュアル通りでオッケー!
なハズ。
が、このザマ。
愛社精神と職人としてのブライドなど、
ハナっからナイ輩が腹いせと金目当てに、
メディアへ内部告発したりするのは、
ある意味、当然の帰結だ。
なぜ、こういう事件から気づかないか?
実はそこが大問題。
また来週。
こういう事件がまた発生したので、
ちょっとばかし現場レベルの、
「地べたの目線」で書いてみたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/90/6b948c27ec5e860f1788a9b05773ca98.jpg)
KYB(旧カヤバ工業)で製造した、
「オイルダンパー」と呼ばれる免振・制振装置において、
基準を満たしていない「不適合」製品であっても、
「合格」としてデータを改ざんし出荷・設置したという報道。
これらの製品はすでに公官庁や、
公共施設はじめマンション等に納入され、
設置されているという。
事件の詳細については、
マスメディアの報道を見ていただくとして、
「モノづくりの国」である日本でこういうことが、
相次いで起きて発覚するのか?
「以前からこういうコトはドコでもある・・・」と言う人たちがいる。
潮風太子から少々辛口に言わせてもらうと、
こういう風に言う「世代」は現在40代前半より下の世代、
もしくはバブル崩壊後もなんとか、
リストラの難を逃れ生き残った、
会社に良くも悪くも「忠誠」を誓っている、
無礼な言い方だが、
ぶっちゃけ「会社に魂を売ったような」者ではなかろうか?
と思っている。
工場勤務の経験があるからわかる。
今から約30年近く前、
いわゆるバブル崩壊直後の日本は、
実際にはまだ、この先やってくる絶望的不景気を、
知る由などなく「社長がバカだから業績が落ちた」ぐらいの、
ユルい認識でしかなく、
社長が変われば劇的なV字回復が起きると、
まぁ呑気に構えていたもの。
「ウチが潰れたら日本はもう終わりだ」などと、
本気で言っている職人が、それはもうたくさんいた。
ではなぜ彼らは、
こんな根拠のない自信を持っていたのだろうか?
ということであるが、
これは至って簡単な理屈で、
当時の「神的」超ベテラン職人たちは皆、
自分たちの「技術力」に絶対の自信を持っていた!
ということ。
できるだけ簡潔に書く。
例えばJIS規格が0.2mm以内の許容誤差という部品があったら、
当時の社内規格は0.15mm以内であり、
この0.15mm以内が社内検査に合格する製品となる。
が、実際のところ現場では、
「職人規格」0.07mm以内というのが「当たり前」の製品基準であった。
最悪0.1mm以内・・・これでも、
「オメェ腕悪ィなぁ!!」などとバカ呼ばわりである。
実際0.02㎜で仕上げる神業職人を、
若かりし潮風太子は何人も見た。
しかし、これは当時ではごく、
当たり前のデキの数値である。
また、そういう神業職人の共通点は、
戦前生まれの戦争経験者で中卒、
この道一筋40数年という人たちばかり。
ということ。
でもって、この手の職人は、
まぁとにかく仕事中は気難しくて「恐い」のが定番。
いや、おっかないという言い方が適切か。
「指導」にあたっては罵声、暴力当たり前の時代、
今だったらパワハラもいいところで、
懲戒解雇必至な面々の集団(笑)
そんな職場に入社早々「成績不良者」として、
配属されたボク・・・
まぁとにかく厳しく育てられたもの(^o^;)
しかし、
その反面「しなもの」に関して彼らは、
完璧なデキを常に追求していたし、
「己の技術」には絶対の自信を持っていた。
まさしく誇り高き名工たちである。
ところが彼らには、これまた共通した、
致命的弱点もあった・・・
学歴も多分に起因していると思われるが、
読み書きやプレゼンテーションといった、
理論的な説明がまったくといっていいほど、
できなかったのである。
当時、どこの工場でもQC(クォリティ&コントロール)活動というのが、
盛んに行われていて、
要するにマニュアル化の推進活動が流行していた。
そこに我々「若手」は活路を見出したのである。
アンチ「勘」を声高に叫びながら。
当時の若手はこぞってワープロで印字した、
マニュアルを作っては「会社」にせっせと提出し、
「先輩方」が長年かかって作り上げた技術を、
「文章化」させて理論武装を始めることとなる。
ちょうど「大御所」たちが定年を迎え始めた頃でもあり、
これを当時の会社側は「世代交代の波」と呼んで、
喜んだ。
内心彼らをうやうやしく思っていた「事務方」も、
かなりいたようだった。
しかし以前にも書いたが、
これがのちに「マニュアル絶対主義」を助長させ、
誰でも出来るシゴト化へと突き進み・・・
となるのである。
いよいよ不景気が本格的となると、
ベテラン職人たちが、
いとも簡単にリストラされる時代が到来。
その結果、中間層の職人までリストラあるいは、
希望退職で「不在」となり、
いまのような技術力の空洞化を招く結果となった。
挙げ句、
高レベルの技術の継承がなされない、
という事態に。
こういう「油断」の根拠のひとつに、
QC活動ブームののちに登場することとなる
ISOの存在を語らないわけにはいくまい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/64/d119c70695a17f2e1520cd034ae777cf.jpg)
いわゆるISO14001(環境マネジメント)と、
ISO9001(品質マネジメント)だ。
このISOが結果的には、
皮肉なことに「現場力軽視」を更に助長することになった。
現場の仕事をISO用語ではコア活動という。
ISOを手本とした
マニュアル絶対主義が横行し、
作業手順と納期絶対にばかりに目が行き、
職人魂だとか自信品質とか、
日々の創意工夫、
ライバルとの切磋琢磨は、
今や過去の遺物と化してしまった感がある。
完璧なマニュアルさえ完成すれば、
ただその通りにやればイイだけ。
となると、
実際のコア活動など進化、
発展させる必要性がなくなった。
職人同士の競争力は低下。
よってチェック機能が麻痺すれば、
マニュアルそのものが崩壊…
それが今起きている問題の根本であろう。
ただISOについて、ひとつ弁明を書くとするならば、
本来のISOは「人は誰でも間違える」という観点から、
スタートした考え方であり体系化だったハズ。
ISOが普及していなかった1980年代のアメリカの自動車工場では、
納期を守れない者は即刻解雇だったという。
そのため納期優先で製品の品質は著しく低下し、
結果、日本の「かんばん方式」に敗れることとなった・・・
さて、これでもうおわかりいただけたでしょう?
何を言わんとしているか・・・・
日本が世界一のものづくりの大国であることは、
恐らくず~っと変わらないでしょう多分。
ただね。
その昔、自称LG(韓国のメーカー)の営業を名乗る輩と、
酒席を供にした際に彼がこんなことを言っていたことを、
ふと思いだす。
氏いわく、
「日本の技術はナンバーワンですよ!
でもね我々は日本が開発して確実に売れてるモノと、
同じものを後から作って日本より安く売ればいいんですよ、
結果として勝てばイイ!我々には失敗が許されないんです、
だから我々はリスクを負わない・・・」
韓国人のノーベル賞受賞者が「平和賞」しかいない理由が、
なんとなくわかった気がしたが、
それはいいとして、
「モノづくり大国」だなんて胡坐(あぐら)を、
かいていられるのは他国の国民に、
かつての日本人のような、
追いつけ追い越せというメンタリティーそのものが、
ナイからに過ぎないワケで、
かつての日本人のような国民ばかりの国家が登場したら、
それこそ日本はひとたまりもナイだろう。
そうなってからでは遅くないだろうか?
今からでも打つべき手はたくさんあるハズなのに・・・
まともな若い職人を育てるより、
まず派遣とバイトで人数合わせ。
大手なのに工場は派遣とバイトだらけ。
あとはマニュアル通りでオッケー!
なハズ。
が、このザマ。
愛社精神と職人としてのブライドなど、
ハナっからナイ輩が腹いせと金目当てに、
メディアへ内部告発したりするのは、
ある意味、当然の帰結だ。
なぜ、こういう事件から気づかないか?
実はそこが大問題。
また来週。