形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

続・横浜港の青いコーヒー豆

2010-07-21 17:49:08 | 昭和の頃

外国船の船員は国によってさまざまで、それが国の貧富の差なのか、
船乗り達の待遇の差なのかわからないが、いろいろな船があった。 
錆びてボロボロの、ろくに手入れもされていない船の船員は、だいたい
荒くれ者が多かった。

バイトを始めた頃、ヘルメットなんぞ渡されて大げさだなと思ったが、
その意味はじきにわかった。 積荷を降ろすワイヤーロープが切れると、
切れた端がまるで針ねずみのようになって、うなりを上げて飛んできたり、
荷が落下してくることがよくあるのだ。 

綿で足を折ると聞いたとき、なんのことかと思ったが、大きな長方体の
原綿を薄い鉄帯でガチガチに締めたものが落ちてきて、それで足を折る
ことがあるそうだ。 それはクレーンで持ち上げるほどで、とても綿とは
思えない重いものだった。 船にはそうしたいろいろな危険があった。


中国船の船長は、籐で編んだヘルメットを被り、夏だと白い制服を着て、
甲板でゆったりとジャスミン茶を飲んでいたりする。 この船でうらやましい
と思ったのは、厨房の窓越しに見える、ずらりと並んだ豪華な中華料理だった。 
でっぷりと太ったコックが、例の木の切り株みたいなマナ板で、大きな
中国包丁を軽々と扱って、次々に作り出す中華料理のご馳走が並んでいく。

なんでも航海中の乗組員の楽しみは、食べることぐらいだから、料理は
うまいものを出すのだと聞いた。 私たち学生は発泡スチロールの弁当箱に
入った、ご飯だけがやたらに多い弁当を食べながら、窓から見える中華料理を
うらやましく眺めていた。
                     


形之医学・しんそう療方 東京小石川
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