小学校の頃、外遊び好きな男の子たちに人気のあったものに、
アメリカザリガニがある。 成長した大きなアメリカザリガニを
私たちはマッカチンと呼んでいた。
赤い体で、大きなハサミのような手を振り上げて威嚇する姿は、
私たちをゾクゾクさせた。 でも大きなマッカチンは、東京の私の
住んでいたあたりでは滅多に捕まらなかった。 私もほんの2、3回
捕まえたぐらいだ。 誰かが捕まえたと聞くと、ブリキのバケツや
洗面器に入れられている、マッカチンを見せてもらいに行ったことも
あった。 男の子たちの憧れの生きものの一つだった。
あるとき私はそのマッカチンを捕まえ、大喜びで洗面器に入れて
家の中で大事に飼っていた。 そんなある日、山形からYさんという、
大学を出て就職して間もない人が、なにかの用事で家に来て泊まった。
夜、私と弟は子ども部屋を追い出され、Yさんがその部屋で寝た。
これはオフクロから聞いた話だが、深夜、突然Yさんの絶叫が
聞こえたらしい。 話によると、Yさんは小用で起き、便所に行こうとして、
畳の上を這うサソリを発見し、悲鳴をあげたというのだ。
もちろんサソリではなく、洗面器から脱走したマッカチンだった。
両手を振り上げたマッカチンを、Yさんはサソリと思い込んだのである。
翌日、びっくりし過ぎて寝不足となったYさんは、カンカンになって怒り、
オフクロに、家の中であんなものを飼うなんて非常識だと文句を言ったらしい。
オフクロは、ザリガニをサソリと間違えるほうがよっぽど非常識よね、と私に
そっと言った。
昭和30年代の頃。 たいていの家の照明は、小さな白いガラスの
笠の下にある、二股のソケットに大小の電球をつけたものを使っていた。
夜、オシッコに起きるときなどは小さな電球しかつけないから
とても暗かった。 その暗がりの中で、Yさんは畳の恐ろしい”サソリ”を
見て絶叫したのである。
今のようにいろいろなものの、詳細な情報というのは当時なかったから、
サソリは砂漠の闇の中に蠢く、猛毒をもった恐怖の生き物のイメージ
だった。 実際よりももっと恐ろしいイメージとして、人々の中で
膨らんでいたのである。 その想像力を膨らませていったのは、
映画であり、恐怖のサソリの毒に刺し殺される漫画だったろう。
猛毒のクモ、タランチュラや毒蛇、コブラのようなものも同じような
ものだった。
形之医学・しんそう療方 東京小石川
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