皇居外苑から臨む二重橋と奥に控えた伏見櫓は、日本を印象づける数多ある光景のひとつだと思います。
しかし、「二重橋」なる橋は存在せず、奥に控えた伏見櫓へ繋いでいた橋が、かつて二重の構造だったことによる通称だそうです。
いまや、その二重の橋は「皇居正門鉄橋」という名の鉄橋に架け替えられ、西洋風の装飾を纏ったアーチ橋である「皇居正門石橋」にその姿を遮らせて臨むことがかないません。
ひょっとしたら、かつての「二重橋」の呼び名が存在し続けるのは、激動の明治から近代までを生きた人々にとっての「忠」であったり、「義」といった観念を呼び覚ますイメージなのかもしれません。そしてそれが、現代を生きる人々へ無意識に伝えられている顕れのような気がします。
初稿 2014/02/20
校正 2021/02/06
写真「皇居正門石橋」 宮内省, 1887.
撮影 2012/09/30(東京・皇居外苑)
しかし、「二重橋」なる橋は存在せず、奥に控えた伏見櫓へ繋いでいた橋が、かつて二重の構造だったことによる通称だそうです。
いまや、その二重の橋は「皇居正門鉄橋」という名の鉄橋に架け替えられ、西洋風の装飾を纏ったアーチ橋である「皇居正門石橋」にその姿を遮らせて臨むことがかないません。
ひょっとしたら、かつての「二重橋」の呼び名が存在し続けるのは、激動の明治から近代までを生きた人々にとっての「忠」であったり、「義」といった観念を呼び覚ますイメージなのかもしれません。そしてそれが、現代を生きる人々へ無意識に伝えられている顕れのような気がします。
初稿 2014/02/20
校正 2021/02/06
写真「皇居正門石橋」 宮内省, 1887.
撮影 2012/09/30(東京・皇居外苑)
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