Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§83「金閣寺」 三島由紀夫, 1956.

2018-03-18 | Book Reviews
 元型(アーキタイプ)とは心理的変化をもたらす触媒なのかもしれず、ユング心理学において仮定される集合的無意識に潜むイメージとして認識されるものなのかもしれません。

 そのような観点から、登場するキャスティングには5つの元型の片鱗が見え隠れしているような気がします。

①「有為子」≡(アニマ)
 有為とは、あらゆる因縁や因果関係によって成立する現象や事象の全てを意味する仏教用語。思いがけず巡り合う女性に投影される理想の女性像。

②「柏木」≡(アニムス)
 自らと同じようなコンプレックスを逆手にとり、自らの欲求を必ず為し遂げる大學の学友。言わば、自らがそう成りたい男性像の一部。

③「老いた母」≡(グレートマザー)
 息子の将来を憂うあまり、金閣寺の住職に近づき跡取りにすることが悲願。自らを絶えず束縛していると意識せざるを得ない存在。

④「老師」≡(オールドワイズマン)
 俗世から離れ理性と知性を司るはずの住職。俗世から離れられない姿を敢えて晒しつつ、自らが絶えず見透かされていると意識せざるを得ない存在。

⑤「金閣寺」≡(影)
 元型によってもたらされたイメージから逃れれば逃れるほどに、それらのイメージを見つめれば見つめるほどに、それらのイメージに委ねれば委ねるほどに、束縛されてしまいがち。
  
 金閣寺放火事件(1950年7月2日)の犯人は死を選んだにも関わらず、自らが死を選らばなっかたのは、在るべき姿を追求し始めようとする〈自我〉の芽生えを示唆しているのかもしれません。

 三層の異なる歴史的建築様式の融合と時間と共に色褪せない風景との統合。池の水面に映える金閣寺の美しさを認識できた時、「自らは誰であるか?」という根源的な問いかけに、「自らはどう在りたいか?」と答える準備ができるような気がします。

初稿 2018/03/18
校正 2020/10/17
写真 鹿苑寺 舎利殿(臨済宗)
撮影 2007/12/02(京都・北山)

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