戦慄かつ驚愕なシーンが連続する「五分後の世界(→§77)」の外伝。
自我とは言わば、自らの在るべき姿、然るべき姿。そう成る為に、そう成らざるを得ない為に必須な危機意識とは何か?
圧倒的な猛威を奮うウィルスの魔の手から、光を失った少年が唯ひとり生き延びたのは、光を失ったおかげで現実を想像せざるを得ない究極の危機意識が研ぎ澄まされたからに他ならないのかもしれません。その危機意識を持つためには、自らの深層心理に潜む『影』と如何に対峙するかを問うているような気がします。
『影』とは、自らの深層心理に潜む言語化できないコンプレックス、自らが絶対に認めてはならないと意識されるイメージ(→§66「影の現象学」河合隼雄)。ひょっとして、瑞雲から降臨する天女の如く、自らの『影』に目を凝らし対峙するとき自我は漸く顕れるのかも知れません。
初稿 2017/12/19
校正 2020/10/29
写真 「天女(まごころ)」 佐藤玄々, 1960.
撮影 2012/10/15(東京・日本橋三越)
自我とは言わば、自らの在るべき姿、然るべき姿。そう成る為に、そう成らざるを得ない為に必須な危機意識とは何か?
圧倒的な猛威を奮うウィルスの魔の手から、光を失った少年が唯ひとり生き延びたのは、光を失ったおかげで現実を想像せざるを得ない究極の危機意識が研ぎ澄まされたからに他ならないのかもしれません。その危機意識を持つためには、自らの深層心理に潜む『影』と如何に対峙するかを問うているような気がします。
『影』とは、自らの深層心理に潜む言語化できないコンプレックス、自らが絶対に認めてはならないと意識されるイメージ(→§66「影の現象学」河合隼雄)。ひょっとして、瑞雲から降臨する天女の如く、自らの『影』に目を凝らし対峙するとき自我は漸く顕れるのかも知れません。
初稿 2017/12/19
校正 2020/10/29
写真 「天女(まごころ)」 佐藤玄々, 1960.
撮影 2012/10/15(東京・日本橋三越)