Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§52「国盗り物語」(織田信長) 司馬遼太郎, 1965.

2016-08-20 | Book Reviews
 古来は大和朝廷の東端(終わり)とも称され、木曾 揖斐 長良の三川がもたらす肥沃な穀倉地帯とその三川が織り成す水運を擁する尾張。

 交易品としての余剰な穀物が交易路としての水運により流通する過程において、情報や新技術等の伝搬速度も高かったことが、幾多の戦国大名を輩出した要因だったかもしれません。

 その契機は隣国 美濃を平定した斎藤道三にほかならず、彼の無神論と経済感覚を織田信長が継承したように思えてしまうのは、道三の娘 濃姫が信長に嫁いだことも踏まえると、何かしらの必然性を感じます。

 その必然性に加えて、信長の将たる所以は一人として参謀を置かず、常に自らが戦略を描き、能力至上主義に基づく人材登用、機能至上主義に基づく人材配置、成果至上主義に基づく信償必罰を例外なく徹底させたことに尽きるような気がします。

 「天下布武」という目的を必然的に達成する直前、明智光秀による本能寺の変の折、「是非もなし」と呟いたとされる信長にとって、戰には勝負という必然に、時として顕れる偶然は受け入れざる終えないことの暗喩だったのかも知れません。

初稿 2016/08/20
校正 2020/12/22
写真 信長公廊の傍らに佇む日蓮上人像
撮影 2016/08/18(京都・本能寺)
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