Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

いまを生きる

2006年01月31日 22時39分58秒 | 映画・ドラマ
しゅじさんのブログ「FarWestCafe」で『真夏の夜の夢』の話が
載ってまして、読んでて『いまを生きる』を思い出しました。
映画の中で、演劇好きの生徒が出演する劇中劇として『真夏
の夜の夢』が使われているのです。
以下、goo映画に紹介されているあらすじを転載します。
(ネタバレありですので、未見の方はご注意。)

1959年、バーモントの全寮制学院ウェルトン・アカデミーの新
学期に、同校のOBという英語教師ジョン・キーティング(ロビン・
ウィリアムス)が赴任してきた。ノーラン校長(ノーマン・ロイド)の
下、厳格な規則に縛られている学生たちは、このキーティング
の風変わりな授業に、最初はとまどうものの、次第に行動力を
刺激され、新鮮な考えに目覚めてゆくのだった。ある日生徒の
ニール(ロバート・ショーン・レナード)は学校の古い年鑑に、
キーティングが学生時代に『デッド・ポエッツ・ソサエティ』という
クラブを作っていたことを見つけ、ダルトン(ゲイル・ハンセン)や
ノックス(ジョシュ・チャールズ)らと共に、近くの洞窟でクラブを
再開させる。ニールの同室である転校生のトッド(イーサン・
ホーク)も、誘われるままそれに加わった。そして彼らは自らを
語りあうことで自分がやりたいものは何か自覚してゆくのだった。
ノックスはクリス(アレキサンドラ・パワーズ)という娘との恋を
実らせ、ニールは俳優を志し『真夏の夜の夢』の舞台に立った。
しかし父親(カートウッド・スミス)に反対され、陸軍士官学校に
転校させられることになったニールは自ら命を絶った。この事件
を捜査する学校側は、退学処分を切り札にデッド・ポエッツ・
ソサエティのメンバーに証言を強要し、やがてそれは煽動者と
してキーティングの責任問題に結びつけられ、彼は退職を余儀
なくされる。キーティングが学院を去る日、トッドたちは校長の
制止も聞かず机の上に立ちキーティングを見送る。それは彼ら
のせめてもの抵抗の証しであった。


私はこの映画、そんなに好きでもないし、特に感動したわけでも
ありません。ついでに言えば、シェークスピアが好きなわけでも
ありません。何で劇中劇まで覚えてたかというと、大学の英語の
授業の教材にこの映画が使われて、トータルで5,6回観せられて、
英語劇までやらされたからです。
初めて観た時は、ヘッセの『車輪の下』を米国人好みの「少年の
成長物語」にアレンジした、いかにもハリウッドって感じの作品
だと思いました。ロビン=ウィリアムスをはまり役と見るか、ワン
パターンと見るか意見が分かれるようですが、私は配役も、演出
や物語の展開も、まあまあ好きです。でもラストには感動できな
かったな。
レビューやブログなどを見ると、リアリティを感じられないという
意見が多くありましたが、戦後の「一億総中流」の社会で「平等」
な教育を受けてきた我々には感じられなくて当然でしょう。この
話は上流階級と、自分たちも上流になりたいとあくせくする人達
の悲喜劇ですから。「Dead Poets Sociaty」も、少年達がおませな
インテリ坊ちゃんだという前提で見ないとついて行けないでしょう
(映画は一般向けに毒気を抜いてあるからつまらないというのも
ありますが)。

今回、記事にするために改めて思い出してて、ずっと気になって
いた「彼らはあの後どうなるのだろう」という問いの答えがパッと
ひらめきました。
キーティングと再び心を通わせるけれど、結局彼らは元通りの
日常に戻るのではないか。キーティングもそのことは承知の上
で、全てを受け入れたのではないか。
・・・これだと、遠藤周作の『沈黙』と同じですね。
私があのラストを好きになれないのは、そのせいだったのかも。

ホームレス

2006年01月30日 04時46分57秒 | 時事・社会
ホームレス:公園への住所転居届認める 大阪地裁

 大阪市北区の公園でテント生活しているホームレスの山内勇志(ゆうじ)
さん(55)が公園を住所とする転居届を区長が受理しなかったのは違法と
して、処分取り消しを求めた訴訟で、大阪地裁は27日、公園での住民
登録を認め、処分を取り消した。西川知一郎裁判長は「テントの所在地は
生活の本拠としての実体を備えており、住民基本台帳法の住所と認めら
れる」と判断、「占有権がないことを理由に受理しないのは許されない」と
結論付けた。
 原告側代理人弁護士によると、公共用地の公園での住民登録を認めた
司法判断は初めてで、行政のホームレス対策に影響を与えそうだ。大阪
市は大阪城公園(中央区)など2公園で生活するホームレス22人のテント
を30日に強制撤去する計画だが、「不法占拠と住民登録は別問題」として
予定通り撤去する方針。
 山内さんは98~99年ごろから北区の扇町公園で生活を始め、00年ごろ
テントを設置した。知人宅に住民登録していたが、警察に違法性を指摘
されたのを機に、生活保護など住民サービスを受けやすくするため、04年、
公園を住所とする転居届を北区役所に提出した。区長は「私的な工作物
設置は公園の適正な利用を妨げる」と受理せず、市長も審査請求を棄却
したため、昨年提訴した。
 判決は、住民基本台帳法の「住所」について「生活の本拠を指し、客観
的に生活の本拠たる実体を具備しているか否かによって決めるべきもの」
と指摘。そのうえで、山内さんが不受理までの約4年間、同公園のテント
群にあるテントを寝泊まりの場所として占有し、食事の場所や居間として
利用、日雇い労働などが終われば戻るという日常生活を送っていたと
認定。さらに、「テントは四隅に杭が打ち込まれ、地面に固定された構造
物で、生活の実体を具備している」と述べ、同法上の住所と認めた。
 市側は「扇町公園のテント撤去に向けた努力をしており、占有権限の
ないテントはいずれ撤去され、定着性は極めて不安定」と主張。しかし、
判決は「占有権限があるかどうかは生活の本拠たる実体の具備とは本来
無関係」と退けた。【前田幹夫】

 村田匠・大阪市北区長の話 判決内容を十分検討したうえで適切に
対処したい。

 ◇法的にはあり得る
 ▽小早川光郎・東京大教授(行政法)の話 権限なしに人の家に住み
着いても安定した暮らしができていれば住所となることを考えても、今回の
判決は法的にはあり得る判断だ。しかし、公園に住み続けることは、利用
者や付近住民にとって迷惑かもしれず、どの程度まで居住を認めるかは、
住所としての法的評価とは別に行政が判断すべきことだ。

 ◇勝訴判決に原告「驚いている」
 原告の山内勇志さん(55)や支援者らは判決後に会見し「画期的な判決」
と評価した。山内さんは「勝てると思っていなかったので驚いている。生活
保護を請求しようと思う」と笑顔を見せ、「(大阪市が)大阪城公園の仲間
らを追い出そうとしているが、判決が暴力的な追い出しの歯止めになって
ほしい」と30日の強制撤去中止を訴えた。
 また、代理人の永嶋靖久弁護士は「ホームレスの多くは住民登録をあき
らめ、基本的な行政サービスから排除されている。市は控訴せず判決を
受け止めてほしい」と語った。【前田幹夫】

 ◇東京都、判決に戸惑いぎみ
 4500人のホームレスを抱える東京都は判決に戸惑いぎみだ。福祉保健
局の担当者は「そもそも、住民登録を求める理由がはっきりしない。住民票
は就職や部屋の賃貸契約などの際に必要だが、社会生活を営もうとする
なら公園に住む必要もなくなるのでは」と首をひねる。
 都は、都内5ヵ所の公園に住むホームレスを対象に、借り上げアパートに
格安の家賃で入居させ、就労を支援する移行事業を進めており、すでに
1000人余りが公園を離れた。担当者は「公園などを占有する生活は都民
とのあつれきも大きく、望ましい状態ではない。今回の判決で、公園に居住
する正当性が認められたわけではないので、引き続き生活基盤を立て直す
支援を続けていく」と話した。【猪飼順】

                  (毎日新聞 2006年1月27日 19時20分)


素晴らしい判決だけど、法解釈としてはどうなのかな?という懸念を持って
いましたが、「権限なしに人の家に住み 着いても安定した暮らしができて
いれば住所となる」のであれば、問題無しですね。
大阪市は「生活の実態を判断する基準が不明確だ」と困惑しているそう
ですが、調査の結果「生活実態が無い」と判断すれば登録を取り消すと
いう作業を、行政は実際にしているはずですけれども・・・。
もちろん、公園の所有者は立ち退き請求をする権利がありますし、条例等
で定められた公園の「適正使用」から外れていれば処罰もありうるわけで、
今後も公園に住み続ける権利を得たわけではありません。というか、いつ
までも住み続けたいと思っている「ホームレス」の人って、いないでしょう。
「追い出して路頭に迷わせようというのではなく、自立支援センター等への
移転を求めているのだから、反対するのは権利の濫用だ」といった批判は
絶えませんが、そもそも行政がすべきことは「ホームレス」が生まれない
ような対策であって、なってしまった後で「お上のお慈悲」みたいな支援を
されたって、当人はプライドを傷つけられて反発するだけでしょう。周辺の
住民とのトラブルはよくありますから「誰にも迷惑を掛けてない」とは言え
ないでしょうが、彼らは自力で生活しているわけで、「自立支援」なんての
も傲慢なネーミングだと思います。
職安に行ってみると、地方だからかも知れませんが、国の「雇用対策事業」
なんかも、時給いくらで3ヵ月間だけのバイトとかだったりするわけで、全然
対策になっていない単なるバラまきです。政府や日銀は盛んに「景気回復」
と言ってますが、そんなに仕事があるわけじゃなく、あっても就職できない
人はいつまでもできなかったりするわけで、「自己責任」と言うだけだったら
政府なんて無くてもいいでしょう。(公務員は仕事が無くなって困るか・・・)
仕事が無く保証人もいなければ、家は借りれない。家が無いと住民登録
できないから、健康保険にも入れないし、生活保護も受けられない。そこの
ところを放置しているから、こんな判決を出さざるを得ないわけで、これを
批判する人はまず行政の不作為を批判すべきでしょう。
今はみんな「他人事」と思っているのかも知れませんが、このまま「改革」
路線で行って格差拡大が進めば、「ホームレス」予備軍は増える一方です。
保険・年金未納者もかなりいますし、将来財政破綻する恐れもまだ消えて
いませんから、元気なうちはいいけど病気になったり年を取ったらどうなる
か・・・という人だって少なくないはずです。
それに、仮に自分は「ホームレス」にならずに済むとしても、「ホームレス」
に冷たい社会が自分に対してだけはいつまでも優しいとは限りません。
「情けは人の為ならず」って良い言葉があるはずの国なのにね。

事故

2006年01月29日 23時54分24秒 | 日記、雑感
やってしまいました。
T字路を左折しようとしたら、左から出てきた自転車と衝突。
幸い、自転車の女性に怪我は無く、自転車も壊れたところは
無い様子で、女性は「大丈夫ですから」と言ってすぐに立ち
去りました。
私自身も子どもの頃と社会人になってから2度、自転車で車
にぶつかったことがありますので、その心理は分かります。
警察や保険屋だと「車が悪い」とするのでしょうが、一般人の
常識的感覚からすれば、出会い頭の衝突では自転車側も
多少の責任を感じるものです。自分の側は何の損害も無い
となれば、警察を呼んで面倒なことになるのは嫌だし、車に
傷が付いてたらこっちが弁償しなきゃいけないような気もする
ので、できればそのまま立ち去りたい、という心理。或いは
先を急いでいたのかも知れません。
でも、何かあった時のために、こちらの連絡先は伝えておく
べきだったと後で反省。やっぱり名刺作らなきゃダメかな。



バンパーにちょっとだけ傷が付きました。(汚れてるし、縁石
で擦ったりもしてるから、そんなに目立ちません)

私は3年前に一度、人身事故を起こしています。それだけが
理由ではありませんが、配達の仕事を辞める一因にもなり
ました。以来、安全運転を心がけてきたつもりでしたが、心に
隙が生じたのか、些か不注意でした。
前に事故した時にも思いましたが、今後二度と起こさないよう
気を引き締めて運転するのはもちろんですが、たとえどんなに
気をつけていても、人間のすることに「絶対」は無いと、改めて
強く思わされました。
だから、唯一誠の神に従って生きたい、というのが私の献身
の決意だったのですが・・・進歩してないのかな。

少子化

2006年01月27日 00時00分47秒 | 時事・社会
世の中に完璧・オールマイティな人間はいませんから、その人に
対する評価もどこを見るかによって変わってきますが、ネガティブ
なイメージを持っていた人を再評価するのは、逆のパターンに
比べると稀な気がします(少なくとも私の場合は)。
最近では、経済学者の森永卓郎氏がそれに当てはまります。
森永氏のあの独特のキャラは、どうも好きになれませんでした。
彼が憲法9条擁護派だというのは知ってましたが、「TVタックル」
などで他の出演者から寄ってたかって叩かれ馬鹿にされる図は、
護憲派のマイナスイメージを増幅するだけのような気がして、
見るのが嫌でした。それに、昨年6月27日記事「BSE」に匿名で
書きましたが、彼は吉野家愛好家で「牛丼は伝統ある大衆食」
とTVで語り、米国産牛肉の輸入早期再開を訴えていました。
食の安全は彼の専門分野ではないにしても、経済学者なら
米国産牛肉がなぜ安いのかくらいはきちんと調べてから物を
言ってほしいと思って、それ以降彼の言動は無視していました。
しかし、「報道写真家から」というブログの中で彼を取り上げた
記事があって、そこに紹介されていた森永氏のコラムを読んで、
経済政策に対する分析の鋭さと、芯の強さを知って大変驚き、
そして彼を見直しました。

その森永氏のコラムの最新記事(1月23日)のテーマが少子化
対策だったのですが、これもなかなかユニークでした。そして
共感を覚えました。
私の周りの子持ち家庭を見ると、3人以上子どもがいる家庭が
意外と多くあります。よく「3人目の壁」とか言われ、3人目から
手当などが支給(増額)されていますが、産む人は結構産んで
いる、というのが私の実感です。むしろ、1人子どもがいて2人目
で悩む人や、子どもがいないカップルのほうが多いと感じます。
(我が家もそうだし。)
森永氏はコラムの中で、「生涯完結出生児数」(結婚して生涯に
生む子供の数)は1987年の2.19から2000年は2.14とほとんど
下がっていない(合計特殊出生率は1.69→1.36)ことを明らかに
しています。
要するに、結婚しない(できない)人が増えたことが少子化の
最大の理由なのです。
「負け犬男性」に限定した論理展開や、終身雇用制度の復活を
解決の切り札とする辺りは、同意しかねる面もありますが、その
場しのぎの小銭ばらまきではなく、所得控除や社会保障の拡充
によって崩壊しつつある「家庭」を再生させなければ、根本的な
解決には至らないでしょう。
(なんて言うと「封建的」とか批判されそうですが・・・)

そういえば、猪口邦子少子化担当相が「フリーバース(出産費
無料化)を広く検討することは視野に入る」などと訳の分からぬ
発言をしてましたっけ。大学教授も政治家になった途端、政治
用語を使うようになるんですね。
現在でも30万~35万円ほど健康保険から支給されてますから、
地域によっては多少足が出るにせよ、贅沢言わなければさほど
変わらない気がするのは私だけ? これで健保の財政状況が
改善されれば社会不安は減るのかな。でもその分国の歳出は
増えるから、いずれは増税されるわけだし。
3歳未満の乳幼児に対する「育児手当」の新設や6歳未満の
乳幼児への医療費無料化なんてのも、自治体独自にやってる
ところが多いですから、結局歳出科目の付け替えに過ぎないん
ですよね。今まで受けられなかった高所得者とかには朗報かも
知れませんが。
それよりも給食費を含めた義務教育の完全無料化とかのほうが
効果的な気がしますが。(財源の問題はありますけど。)

フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)

2006年01月26日 04時14分39秒 | 映画・ドラマ
年末年始は、ちょっと長めのお休みだったので、ビデオを借りて
見てみました。1965年(昭和40年)公開の、東宝とベネディクト・
プロによる初めての日米合作怪獣映画だそうです。
そして、思いがけず「ご当地映画」でした。

1945年、降伏直前のナチス・ドイツから、「フランケンシュタイン
の心臓」が極秘に日本へ運ばれます。不死の生命力を研究し、
「弾に当たっても死なない兵士」を開発して戦局の打開を図る
という奇想天外な作戦のためでした。
しかし、心臓が運び込まれたのは8月6日の広島でした。原爆
によって広島は壊滅し、心臓は行方不明となります。
それから15年後、広島に謎の浮浪児が出没し、住民を不安に
陥れます。彼こそ、復活したフランケンシュタインでした。
国際放射線医学研究所のボーエン博士と戸上女史に保護され
た彼は驚異的な成長を遂げます。そして待ち受ける悲劇。
一方、秋田地震で地底怪獣が目覚め、南下を始めます。
逃走し、故郷に気候が近い日本アルプスを目指すフランケンと
地底怪獣はついに遭遇、激突します。

原爆が関係する導入は、以前本で読んだことがあるのですが、
正直前半部分がここまで広島を舞台に展開するとは思っても
みませんでした。
原爆投下前の広島の再現セットはなかなか見事です。低予算
のB級映画なのですが、「お金かけるところ間違ってない?」
と言いたくなるほど。円谷英二と原爆といえば「世界大戦争」
が有名ですが、この作品もわずかとはいえ見事な描写・・・と
思いきや、フランケンの心臓を取り出そうとしていた研究室の
被爆シーンだけは、ドリフのコントみたいなお粗末な演出で、
ちょっと残念。「陸軍衛戍病院」は広島城内にあった第二陸軍
病院と思われますが、実際には煙突一本を残して全壊した
そうです。
主人公たちが所属する「国際放射線医学研究所」は、最初は
原爆障害調査委員会(ABCC)を連想しましたが、画面に
映った建物は広大病院でしたから、広島大学原爆放射線
医科学研究所(原医研)がモデルなのでしょう。
戸上女史の住む団地がどうしても特定できません。デルタの
街・広島の旧市内には坂らしい坂はないので。あれは東京の
団地をモデルにしたスタジオセットではないかと思われます。
亡くなった患者の命日に墓参りに行くのを「ドライブ」と呼ぶ
感覚って、よく分からないです。しかも行き先がなぜか宮島で、
おまけにそこでフランケン少年に遭遇、保護するという、都合
のいい展開。まさに「ご当地映画」です。
ボーエン博士役は東宝特撮ではおなじみのニック=アダムス。
戸上女史は特撮ファンのマドンナ・水野久美。でも2人とも、
白衣似合ってなかったです。川地博士役の高島忠夫が唯一、
学者っぽくてよかったな。ちょっと腹黒いところも含めて。
逃走するフランケンを追跡する中で、岡山駅前が一瞬映るの
ですが、今と全然変わっていないのが印象的でした。
ビデオに収められているのは海外版でした。実はこの作品、
国内版と海外版でラストが違います。国内版では地底怪獣を
倒したフランケンが、怪獣を抱え上げたまま、地割れに飲み
込まれていくのですが、海外版では怪獣を倒した後、なぜか
山の上なのに大ダコが現れます。そしてフランケンの首を
締め上げ、湖に引きずり込んで、完。
ちょっと待ってよ。自衛隊も引き揚げちゃってるけど、タコは
どうするのさ。あんな凶暴な人食いダコ、放置したままじゃ
いけんでしょ。

なお、タイトルの「バラゴン」は「地底怪獣」のルビです。
劇中、怪獣に命名する場面も「バラゴン」という言葉も出て
きません。ということは、実は名無し怪獣?

さらば宇宙戦艦ヤマト

2006年01月25日 01時44分16秒 | 映画・ドラマ
劇場版第一作が無料配信された時に、二作目以降もいつかは
配信されるだろうと期待していたら、先週から始まりました。
この作品は劇場で見た後も、TV放送の度に(おそらく3、4回)
見ています。ノベライズも読みました。そして高校生の時に、
レンタルビデオでも見ました。その時に、セリフの一つ一つまで
しっかり記憶していたのに我ながら驚いたものです。
とはいえ、それからもう15年も経ってしまいました。改めて見る
と、TVシリーズ(パート2)や小説とごっちゃになっているところ
もあって、「こんなものだっけ?」という感じでしたが、それでも
幼き日の感動が甦って、何とも言えない気持ちになりました。
思い入れが強いのもありますが、152分という長さが全く気に
なりません。第一作と違い、オリジナル作品なので、物語も
しっかりしています。

ガミラスとの戦いから1年、地球は復興を遂げ、太陽系の惑星
にも勢力を伸ばしていた。「復興と平和の象徴」アンドロメダを
はじめ、地球防衛軍の戦力も充実していた。しかし、何かが
欠けている・・・。疑問を抱えた元ヤマト乗組員たちは、救いを
求める謎のメッセージに応え、地球防衛軍の制止を振り切って
再び宇宙へ旅立つ。宇宙の平和と愛のために。
地球に迫り来る新たな危機。それは進路上にある惑星を次々と
破壊し、あるいは支配下に治めていく恐怖の侵略者、白色彗星
帝国であった。激しい死闘、次々と倒れていく戦士たち。そして
衝撃の結末・・・。
と、改めてストーリーを書いてみましたが、見れば見るほど、
好戦的な作品だと思わずにいられません。悲劇的に描かれた
「泣ける映画」ではあるのですが、「地球は宇宙の平和を守る
リーダー」って、「世界の警察」を自認する某国と一緒じゃん。
実は彗星帝国の狙いが地球だとわかって、途中から「自衛の
戦い」に擦り変わってるけど。そして、自分は祈るだけで、
ヤマトには戦いをけしかけるテレサ。それでも「愛の象徴」か?
極めつけは、ラストの「特攻」。沖田元艦長の幻が「命ある限り
戦え」と語ったシーンの後で、命を粗末にするような、何の戦果
も期待できない無謀な作戦を、あたかも感動的に偽ってみせる
展開は、冷静に見るととても正視できません。
・・・でも、嫌いになれないんですよね、困ったことに。
三つ子の魂、何とやら。

この作品で私が最も好きなのは、無断でヤマトに乗っていた
森雪が、古代の前に姿を現す場面です。
謎の敵の襲撃を受けた太陽系外周艦隊の土方司令を救出し、
ヤマトに収容した古代の目の前に現れた看護婦は、地球に
いるはずの雪。驚いて医務室に追いかけてくる古代を、雪は
無視します。間に入った佐渡医師が執り成そうとしますが、
全く意に介しません。しびれを切らした古代が歩み寄ると、
「治療中に入室しないで下さい」と冷たくあしらう雪。
「君は誰だ」
「地球防衛軍科学局生活部、森雪です」
「乗組員名簿に載っていないな」
「アハハ、いや、わしが登録するのを忘れたんじゃよ」と佐渡が
助け舟を出そうとしますが、怒った古代は
「退艦してもらいます。船の規律が守れません」
「おいおい、そう固いこと言うなよ」と佐渡が言うのを遮って、
「結構です。ただし、患者の処置を済ませてからにして下さい」
と言って土方を運び出す雪。佐渡は古代の脇を通る時に、
「あのな、ワシのミスじゃからな。ケンカはいかんぞ、ケンカは」
と囁いて、その場を去ります。
二人きりになると、雪は突然白衣を脱ぎだします。
「な、何をする」と慌てる古代。
「退艦します」
「ま、ま、ま、待て。こんな所からどうやって地球に帰るつもり
なんだ」
「退艦しろと言ったのは古代君でしょ? 宇宙遊泳でも何でも
して、帰ります」
「め、め、命令だ。隊員服を着ろ。艦長代理として、森雪に
旧任務を命じる」
完全に古代の負けです。しかしこのままでは男のメンツが
立たないと思ったのか、
「バカだよ君は。地球にいれば平和に暮らしていけるのに。
こんな危険な旅に紛れ込むなんて、無茶だ」
「あたしもヤマトの仲間の一人よ。みんなが行くならあたしも
一緒よ。古代君のそばにいたかったのよ」涙を流す雪。
「雪・・・」
「古代君!」
そして抱き合う二人。
・・・見ていてふと気がつきました。
「私の幸せは、あなたといること」
そう、これって「いま、会いにゆきます」の澪と一緒じゃん。
私が「いま会い」にはまったのって、そのせい?

広島移動学座レポート その6

2006年01月24日 22時59分26秒 | 学座
国立追悼平和祈念館は、時間が押したためカットしました。
以前(昨年5月19日記事「平和国家?」)でも触れましたが、
私はこの施設に存在意義を認めていません。身内や知人
を亡くした人はそれなりに感慨を覚えるかも知れませんが、
国がわざわざ造るべきものとは到底思えません。
そういう無意味さ、虚しさを感じてほしいと思って、一応見学
コースに入れていたのですが、次回に持ち越しです。
ちなみに、ここに登録されている「遺影」は、昨年末現在で
約1万3千人分です。これを多いと思うか、少ないと思うか、
人それぞれでしょうが、9割以上の死者が写真すら残って
いないというところにも、原爆の悲惨さが現れています。
また「遺影」には、中国新聞社が特集記事のために集めた
写真も多数含まれています。そして、朝鮮人と思われる名
の「遺影」は、ほんの数枚しかありません。

最後に、平和記念資料館に入りました。
ここだけは有料(大人50円)です。この金額では当然経費も
賄えないので、市が補填しています。このところの来館者
減少を受けて、無料化も検討されましたが、無料にすれば
増えるものでもない、少額でも払うことでヒロシマを伝える
働きに参加した実感が持てる、として据え置かれています。
展示内容は91年に大幅に変更されましたが、「インパクトが
無くなった」「悲惨さが伝わらない」と不評だったため、東館
がリニューアルされた94年に再度変更されています。
東館は原爆投下の歴史的背景や、戦後の世界情勢などを
系統的に学べる内容になっています。パネルやVTRが中心
で、じっくり見ると時間がかかりすぎるのが難点です。実際、
修学旅行生がこの資料館の見学に充てている時間は平均
45分程度だそうですが、その大半を東館でつぶして、西館
は駆け抜けて行ってしまうのが現状です。今回私たちは、
1時間~1時間半ほど見ましたが、それでも3分の2ほどしか
見れなかった人もいました。
西館には、原爆の被害の凄まじさを伝える資料が並んで
います。物議をかもした「再現人形」なども再び展示されて
います。とはいえ、これらはほんの一断面に過ぎません。
「(ヒロシマは)三度目の原爆投下がなければ再現不可能」
と被爆者が語っています。しかし、再現はあってはならない
のです。だから今日も、これからも、限られた言葉や資料や
映像によってではありますが、ヒロシマは伝えられていくの
です。「過ち」を繰り返さないために。



広島移動学座レポート その5

2006年01月23日 00時28分36秒 | 学座
当初の予定になかった袋町小学校と、その後近くのキリスト教
書店にも立ち寄ったため、1時間ほど時間が押してしまいました。
本通り商店街を抜けて、原爆投下地点である島病院を遠巻きに
眺めて、午後の学びの場・平和公園に向かいました。



元安橋で原爆ドームをバックに集合写真を撮ってから、「平和の
子の像」の脇を抜けて、原爆供養塔へ。



本来「供養塔」とはこの塔のことですが、いつの間にか手前の
土まんじゅうのほうが「供養塔」と呼ばれるようになっています。
1946年に宗派を超えた「広島戦災供養会」が結成され、最初
は小さな納骨堂が造られましたが、その後市内各地に散乱・
放置されていた遺骨が集められて、塚に納められました。
広島市の推計では約7万体。そのほとんどは、いまだに身元が
分かっていません。また、名前が判明した遺骨も引き取り手が
いまだに現れないものが多数あります。
毎年8月6日には、仏教・神道・キリスト教の3派がここで集会を
行なっています。
続いて、韓国人慰霊碑を見ました。



8月6日に撮った写真なので折り鶴が多くてよく見えませんが、
死者は亀に乗って天国に行くという言い伝えに従い、碑の下
に亀の像が造られています。
朝鮮人の被爆者は3万~7万人、死者は5千~4万人と推定
されていますが、いまだに実態は分かっていません。
この碑は1970年、民団が中心になって建てられました。
平和公園への新たな碑の建設を認めない広島市の方針もあり、
当初は李王朝最後の皇太子の甥で第二総軍司令部付き教育
参謀であった李○公(PCでは字が出ませんが、金偏に禺という
字です)が被爆死したと伝えられる本川橋西詰めに建てられま
した。しかし、公園の外にある碑が放置されてきた韓国人被爆
者、ひいては在日の人達全体の置かれた状況を象徴している
という批判が高まりました。また遊歩道が整備された元安川と
違って本川西岸は歩道も狭く、慰霊祭も満足に行なえないこと、
「韓国人」と李公の碑であって朝鮮人全体の碑とは言いがたい
ことなどもあり、公園内移設・統一碑建設の要望が出されるよう
になりました。
99年、平岡敬市長(かつて新聞記者として韓国人被爆者問題
を追求していた)がようやく移設を認めたものの、碑は1つだけ
という条件が付き、民団と朝鮮総連の協議の結果、統一碑は
断念して元の碑がそのまま移設されました。
ところが2002年、新たな建造物は認められないはずの公園内
に、地元の了解無しに国が新たな施設を建設しました。
「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」がそれです。

続 BSE

2006年01月22日 00時53分20秒 | 時事・社会
<米国産牛肉>禁輸が長期化する可能性も
【ワシントン木村旬】日本に輸出された米国産牛肉への特定
危険部位の混入は、除去義務があることを政府の検査官が
知らなかったという、お粗末きわまりない原因で起きたことが
明らかになった。日本向け輸出の条件を守るために米政府が
作った「輸出プログラム」の根幹が揺らぎ、日本の消費者の
不信感がいっそう強まるのは必至だ。日本側が納得するよう
な対応策を打ち出せなければ、禁輸が長期化する可能性も
出てきた。
 問題の牛肉は生後4ヵ月半未満。米国では30ヵ月未満なら
脊柱(せきちゅう)(背骨)など特定危険部位の除去義務は
ないが、日米の合意で日本向けは除去する必要がある。
輸出した米食肉業者「アトランティック・ビール・アンド・ラム」は
「輸出条件を誤解した」と釈明し、「二重基準」を十分理解して
いなかったことを認めた。
 ただ、同社には政府の検査官が常駐し、違反を指摘すること
ができた。しかし、検査官も「脊柱の除去義務を認識していな
かった」(ジョハンズ米農務長官)。チェック体制は全く機能しな
かった。
 米農務省は昨年8月、食肉業者による特定危険部位の除去
義務違反(米国基準)の摘発が1036件にも上ったことを公表
した。業者の不手際は以前から多発していたわけだが、同省
は「食肉として流通していない」と安全性を強調していた。
 ところが、今回はお目付け役の検査官までが失態を演じ、
事態は深刻だ。農務省の認定を受け、日本向け輸出が可能に
なったのは40施設(20日現在)だが、他の施設にいる検査官は
大丈夫かという疑いも生じる。
 これを受けて、ジョハンズ長官は再発防止策を急ぐ方針を
表明し、検査官の増員や再教育などを強調した。「低姿勢」で
臨み、早期の輸入再開にこぎつけたい考えとみられる。
 だが、米国では昨年、BSE(牛海綿状脳症)検査でいったん
「シロ」と断定した牛が「クロ」と覆ったり、BSE感染の疑いの
ある牛が長期間放置されたりと検査体制の不備が相次いで
判明した。日本の消費者の不安は簡単に解消されそうにない。
 一方、日本の輸入停止を受けて、米畜産業界や議会からは
米国産牛肉の安全性を強調し、早期再開を期待する声が次々
と上がった。今年秋には米議会の中間選挙を控えており、
輸入停止が長引けば、対日批判が再燃する恐れもある。
 ■輸出プログラム違反があったら……
<米国の対応>
・虚偽申請には米連邦刑法で懲役や罰金
・プログラム実施での違反には輸出資格の停止や取り消し、
製品回収など
<日本の対応>
・違反があった施設からの輸入を停止
・重大な順守違反が繰り返されるようなシステム全般の問題
なら全面輸入停止
                       [毎日新聞1月21日]


起こるべくして起こったというべきか、懸念されていたことが
早々と起きてしまいました。小泉首相の第一声は「輸入が
再開したのに、残念ですね。」だったそうですが、むしろ早く
見つかって良かったという気がします。
今回は成田空港での検査で見つかったわけですが、コストが
高い空輸で入ってくるのは、検査用のサンプルなどごく一部
です。つまり、市場に出回る肉の抜き取りではなく、最初から
そのために取り分けられていた物でこの有様なわけです。
私も経験ありますが、チェックが入ると分かっている場合、
企業は間違いがないように十分気をつけたサンプルを用意
するものです。それが出来てなかっとなると・・・と思っていた
ら、上の記事のような続報が入って、納得。
しかし、米国人はこんな危険な肉を食べさせられてるわけ
なんですね。「日本に入って来なければOK」で済ませては
いけないと思います。
米国で急増するアルツハイマー患者の何割かは、実は変異
型ヤコブ病ではないかという疑いも出てきています。
イギリスにほんの少し滞在してただけで感染・死亡した日本
人もいましたね。まだ解明されていない点も多いですけど、
化学物質や遺伝子組み換え作物以上に危険なようです。
政府は、他の輸入牛肉は安全だとして、追跡調査は行なわ
ないそうです。自分の身は自分で守るしかないのでしょうか。

広島移動学座レポート その4

2006年01月21日 22時14分54秒 | 学座
続いて、大本営跡へ。木造二階建ての洋館は、日清戦争終結後も
「軍都」の象徴として一連の軍事施設の真中に保存されていました。
しかし原爆の爆風によって一瞬にして倒壊。建物内や周辺にいた
兵士、動員学徒らのほとんどが亡くなりました。
ちなみに、大本営は戦時の天皇直属の最高軍事統帥機関で、常設
ではなかったそうです。1893年法制化なので、日清戦争(つまりこの
広島大本営)が最初ということになります。
余談ですが、1937(昭和12)年には法令改正により事変でも設置
可能となり、以後敗戦まで存続。44年に最高戦争指導会議と改称
され、敗戦によって廃止されます。
現在は礎石と、1937年に文部省が建てた碑だけが残っています。



ここで、M師が原爆絵本の読み聞かせを行ないました。



それから、広島城を後にして市街地へ移動し、本通り商店街にある
アンデルセン(旧帝国銀行広島支店)を見ました。
帝銀は堅固な外壁こそ爆風に耐えましたが、内部は天井が落ちて
玄関の重い鉄扉も吹き飛び、惨憺たる状況だったそうです。行員は
重傷を負いながらも全員外に逃げ出したらしいのですが、その後
行方不明となり、生存者はいません。
戦後も修復されて銀行として使われていましたが、移転によって
取り壊さかけていたのをタカキベーカリーが買い取り、伝統的建物
を保存するヨーロッパの文化に倣って被爆建物として保存すること
を決めました。
爆心地周辺で現在も完全な形で残っている被爆建物のうち、民間
所有のものは、このアンデルセンと福屋デパートだけです。
皆で広島風お好み焼きを食べ、今度は袋町小学校を訪ねました。
ここは鉄筋コンクリート製の校舎が救護所となり、多くの負傷者が
運び込まれ、肉親を探しに来た家族らも訪れました。そして安否を
訪ねる伝言などが壁に書かれていたのが、校舎解体の際にまだ
残っているのが発見され、その一部を保存して「平和資料館」とし、
一般公開されています。