Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

チューリップ ライブレポート2007 その2

2007年09月23日 02時26分14秒 | 音楽
 安部さんMC
「僕たちは1977年に『WELCOME TO MY HOUSE』というアルバムを出しまして、
全国ツアーをやったんですけども、そのアルバムの先行シングルとしてリリース
して、ツアーでも歌った曲を次はやりたいと思います。」

 10.Blue Sky
'00年ツアーでも大都市では歌われましたが(ライブ盤にも収録されています)、
広島では再結成後初です。ちょっぴり嬉しかったです。
財津さんはこういう「明るいメロディーに悲しい歌詞」の曲が多いですね。

 11.風のメロディー
定番の中でも、誰も文句を言わない曲の一つでしょう。
姫野&財津のツインボーカルに全員のコーラス、ライブでは安部さんのギターが
唸りまくりだし、後奏もかっこいいし、これぞチューリップって感じ。
ただ、流れで座ったままだったので、ちょっと違和感ありました。

 12.約束
いつもと違うピアノのイントロで、「もう『青春の影』?」とびっくりしちゃいました。
'00年にも歌った曲ですが、ラストとなると意味合いが変わってきます。
そう思って聴いてたら、財津さん、「約束を果たさないままだったから」の部分で
一瞬詰まったように間が開いてました。度忘れ? それとも・・・。
'00年同様、この曲で前半終了です。

[生ギターコーナー]
 財津さんMC
「いつもならここでメンバー紹介などをするのですが、今日は後で時間が取って
ありますので、しません」(笑)
「広島市民球場50周年おめでとうございます。僕は古い球場が大好きなんで、
どんなにボロボロになっても今のまま残しておいてほしいです」(笑)
「広島に来るのは随分久しぶりな気がしますが、(そりゃそうでしょう、ソロでは
2回も広島を素通りしたし、イベントも無かったし。)すっかり変わりましたねぇ。
あ、街並みがですよ。(またいつもの年の話かと思った観客、爆笑)特に川べり
がきれいになってまして、コンサートとかもできるようになってるんでしょ?
生ギターコーナーもそこでやればよかったなぁ。ものすごい長いコンサートに
なっちゃいますけど。移動も含めて10時間くらいの」(笑)

 13.逆回転
これもぜひ生で聴きたかった曲です。ファイナルツアーと同じアコースティック
ではなく、できれば鈴蘭バージョンがよかったのですが。
安部さんがフォークギターを弾いてるのを初めて見た気がします。いや、前にも
見たことあったかな? だんだん記憶が・・・。

 安部さんMC
「先日、小腹がすいたのでコンビニエンス・ストアーに行ったら、広島風お好み
焼きが置いてありまして、『みっちゃん』って書いてありましたけど知ってます?
で、買おうかな、と思ったのですが、よく考えると今度広島に行くのにコンビニ
で買ったお好み焼きなんて、と思って結局戻しました。
チューリップ一グルメのあの男はきっと食べに行くと思いますが、(即座に姫野
くんが『もう食べました』と言って、会場爆笑。)ああ、そうですか。その姫野が
歌います。この歌は、僕らの故郷・博多の情景を歌った歌です。」

 14.風見鶏
'03年にも歌ったこの曲。何となく博多だという気はしてましたが、はっきりと
聴いたのは初めてでした。
上田さんのコーラスが最高。

 財津さんMC
「つまらない話を一つしてもいいですか? ちゃんと許可取っとかないと、後で
メンバーに怒られますので。(笑)
先日『オーシャンズ13』という映画を観ました。ところで皆さん、お酒のことを
英語で何て言うかご存知です?『saki』って発音するみたいですね。で、その
『オーシャンズ13』の中で『久保田』というお酒(註:新潟の有名な酒らしい)
が出てきまして、『Kubota saki』と言ってました」(笑)

「紹介しませんでしたが、せっかくなんで、仮の名前を付けたいと思います」
と言って安部さんのほうへ歩み寄り、「『シロ』と呼んで下さい。(笑)(白い衣装
なので)死に装束みたいでしょ?」(爆笑)
次に宮城さんのほうへ歩いて行って、「最近見かけませんが、そっくりでしょ?
あおい輝彦。(笑) 『アオ』と呼んで下さい」
続いて上田さんは(実家が蒲鉾屋なので)「蒲鉾」
最後に姫野くんは(昔のあだ名が「タッチー」だったので)「ちょっと、ちょっと」
(爆笑)

「もう最後の曲になってしまいました。(「もっと歌って」という声に)いろいろ
都合がありますので」(笑)

 15.I Love You
これも'00年以来です。アルバム『Someday Somewhere』の曲はどれも好き
なので悪くはないのですが、生ギター向きでまだ歌ってない曲が他にもあった
のに、同じ歌ばかりやらなくてもなぁ、とやや不満。
[生ギターコーナー終了]

(まだまだ続く)

チューリップ ライブレポート2007 その1

2007年09月18日 23時10分49秒 | 音楽
9月15日 広島厚生年金会館の公演のレポートです。

土曜日だからか、今回は17時30分開場、18時開演でした。
娘の運動会を見に、実家の両親が訪ねて来ていたこともあり、家を出たのが
ギリギリの時間。厚生年金会館へは市電だと結構歩かないといけないので、
車で行ったのですが、プチ渋滞に加え、会場周辺の駐車場は軒並み満車。
ちょっと離れた所に停めればよかった、と後悔しながら必死に探して、ようやく
開演5分前に車を停めれました。
旧市内に住んでいた時は、移動手段は自転車だったので、天気だけ心配して
いればよかったのですが、郊外に住んで車依存の生活になると、街中だけど
ちょっと交通の不便な場所に行くのって、結構大変です。

今回は13列目22番。3回続けて似たような席(ステージに向かって左寄り)で、
「あー、また宮城さん側か」と思ったのですが、今回はメンバーの立ち位置が
いつもと左右逆で、ちょうど姫野くんの正面でした。
思えば、初めてチューリップを見た'97年の倉敷公演が、やはり安部さん側の
席でした。(少し遠かったけど) 最後に神様がくれた、ささやかなプレゼント
だったのかも知れません。
会場内は、これまで私が経験したどのライブよりも整然として、異様な雰囲気
でした。チューリップナンバーのインスト(多分「Zaitsu Songs -CINEMATIC-」
の中の曲)が流れる中、開演前に既に席は完全に埋まっていました。'01年の
2度目のツアー以降、チケットの売れ行きは悪かったのですが、今回は早々に
Sold outしたというのも分かる気がします。これがファイナルの重みでしょうか。
場内アナウンスが、「本日のライブは一部制となっております」と告げました。
今はそれが普通な気もしますが、前回が二部制だったのでわざわざ断わった
のかな? 今からトイレに行く暇は無いけど。

開演のブザーと同時にいっせいに拍手が。いつもならメンバーが出てきてから
なのに、これもファイナルゆえ?と思っていると、しばらくして会場が真っ暗に
なり、スクリーンに映像が映し出されました。
往年のライブではしばしば行われたフィルム上映ですが、再結成後は今回が
最初で最後。ネットの書き込みによると、ツアー前半より短く編集されていた
らしいのですが、私は見てないので分かりません。
1972年にメンバーが上京してきた時の映像から始まり、'75年のツアー、'78年
の鈴蘭高原、'79年の8大都市ツアーとオリジナルメンバー最後のツアー、'80
年の2度目の鈴蘭、'82年の1000回記念ライブ、'84年のPAGODAライブ、'89年
のファイナルツアー、とチューリップの歴史が映し出されました。そして'97年の
再結成以降のライブ映像が流れ、最後にニューアルバムのジャケットと今回の
ツアータイトルのクレジットが映って、いよいよメンバー登場です。
嵐のような拍手とともに始まった、今回のオープニングナンバーは、

 1.心を開いて
'02年のツアーでも歌われたこの曲。私の中では「ファイナルツアー Well」の
オープニングの印象が強くて(その時はメドレーのような感じで、「The Halo」に
続けて歌われましたが)、「やっぱりこの曲か」とジーンときてしまいました。

 2.あの娘は魔法使い
定番だと思ってましたが、前回は歌わなかったんですね。'02年のツアーでも
2曲目でした。後半盛り上がった所で歌ってほしい曲ですが。
早速7分ほどの観客が立ちました。私も後ろの人に気を使いつつ立ちました。

 安部さんMC
「チューリップは今年、デビューしてから35年になります。(拍手) 35年経って
もこうして大勢の人の前で歌えるというのは、ほんとに嬉しいことです。(拍手)
今日も最後までよろしくお願いします。」

 3.悲しきレイントレイン
ここからは「姫野くんTime」。過去のライブに比べて、姫野くんのマイクの音量
が大きい気がしました。声がはっきり聞こえて、顔もはっきり見えて、最高!
これで、若い頃のようにスタイルが良ければ・・・。
途中で、なぜか安部さんがピックを交換してました。アクシデントではなく、音が
しっくり来なかったみたいですが。
そういえば、リズム帯がおなかに響くくらい音がでかくて、ハウリングもしてたし、
時々ノイズも聞こえたし、今回の音響には不満が残りました。

 4.明日の風
'00年ツアー以来のナンバー。まあまあ好きですけど、どうせなら組曲と一緒に
聞きたかったです。
今回も、後奏に入る前に拍手が・・・。みんなちゃんと覚えといてよ。

 5.ここはどこ
定番です。またみんな立ったので、私も立ちました。

 6.NEVER ENDING
ニューアルバムからの1曲。イントロがきれいで好きです。ビートルズというより
はサイモン&ガーファンクルって感じですが。まぁ姫野くんだからいいか。

 財津さんMC
「新しいアルバムから『NEVER ENDING』という曲を聴いて頂きました。今年の
5月に新しいアルバムを出したんですけどね、よーく覚えといて下さいよ、5月
に新しいアルバムを出しました。」としつこく何度も繰り返す財津さん。
「ではそのアルバムから、タイトル曲の『run』を聴いてください」

 7.run
実はこのアルバム、ライブの3日前にやっと買いました。だからひと通り聴いた
だけで、聴き込んで行くには至りませんでした。お金が無かったのもあります
が、新鮮な気持ちで最後を迎えたかったんです。初めてのライブの時は、まだ
チューリップのアルバム全部は聴いてなかったし、新作アルバムの2枚目は
倉敷公演の時にはまだ発売されてなかったし、半分くらいは知らない曲でした
が、それでもすごく感動しました。あの時の感動にもう一度浸りたくて。
ツアータイトルにもなっている2枚組アルバムから2曲だけというのはちょっと
寂しいですが、再結成後の新曲にはいまいちな曲が多かった中で、ようやく
チューリップらしく仕上がったといえる2曲でした。

 8.走れ!ムーン号
上田さんといえば「早くおいで」かこの曲。リンゴ・スターじゃあるまいし、他にも
良い曲あるし、歌も上手いのになぁ。本人のお気に入りなら仕方ないけど。
というわけで、この曲では私は立ちませんでした。

 9.Route134
宮城さんのソロ。今度こそは「めぐり逢いは想い出」を、と期待してたのに・・・。
とはいっても、この曲は'97年のライブでは、「早くおいで」とメドレーになってて
短縮バージョンだったので、フルで歌うのは初めて。ベースラインは好きだし、
これもまあ、しょうがないかって感じです。
宮城さんは立たないと見えなかったので立ちました。(笑)

 (続く)

共産党が全小選挙区擁立を見直し

2007年09月09日 23時51分25秒 | 時事・社会
共産党が全小選挙区擁立を見直し

 共産党は8日、党本部で第5回中央委員会総会(5中総)を開き、志位和夫委員長
は次期衆院選ですべての小選挙区で候補者を擁立する方針の見直しと、擁立基準
の設定を提案した。比例代表での議席獲得に集中して選挙運動を展開するのが
狙い。9日までの日程で議論し決定する。
 新たな基準は(1)小選挙区での立候補は原則として先の参院選比例代表で得票
率が8%以上の選挙区(2)各都道府県で1人は擁立する-の2点。2005年衆院選
では275の小選挙区で候補者を擁立したが、この基準に従えば大都市を中心に約
130選挙区と半減する。「2大政党」が定着する中、党の生き残りを模索した結果と
いえる。
 共産党は2004年に「全選挙区での立候補は義務付けない」との方針を打ち出した
が、05年衆院選でも基本的に全選挙区での候補擁立を目指した。しかし供託金
没収が6億6900万円に上るなど財政的な圧迫もあり「マイナスが大きい」(志位氏
)と判断した。
 次期衆院選の目標として全国で650万票と全比例ブロックでの議席獲得・議席増
を掲げた。
 共産党が候補者を擁立しない選挙区では結果的に民主党に票が流れるとみら
れ、民主党の政権戦略にも影響しそうだ。民主党の選対幹部は「すごくいい影響
が出る。基準外の選挙区でも共産党票は1~2万票はあり、間違っても自民党には
流れない」と歓迎した。
 共産党は「民主党との選挙協力ではない」(幹部)と強調するが、実質的にその
効果が出るのは確実。ただ共産党の候補者擁立が大都市中心になるのは明らか
で、地方での共産党の基盤弱体化の危険性もある。
 志位氏は幹部会報告で、安倍政権に対して「一新されるべき安倍晋三首相が
居座った上、『ノー』の審判が下された路線にしがみついている」と厳しく批判。
民主党に対しては「大企業中心主義など自民、公明政治を変える路線的立場は
持っていない」と指摘した。
                     [nikkansports.com 2007年9月8日20時8分]


「社共共闘」は遠い昔の話、どの政党からも距離を置かれ孤高の道を歩んできた
日本共産党ですから(その独善性ゆえの自業自得との見方もありますが)、単独
政権を樹立できるだけの候補を擁立するのは、ある意味政党として当然のことで
あるかも知れませんが、それが結果的に与党批判票を分散させ、戦後の自民党
支配を許してきた一因であるとの指摘ももっともで、この度の「現実的対応」には
一定の評価をしたいと思います。
私としては、民主党にも期待はしていないのですが(というか、自民も民主も基本
的に、権力欲しさで集まった「なんでもありの寄り合い所帯」で、期待できる人も
多少いますが、全く信用できない人も大勢います)、「護憲」「生活重視」を旗印と
する緩やかな連帯を目指すにしても、共産党の存在・頑なな態度が結構大きな
壁になっていましたので、その点でも少し展望が見えてきました。

気になるのは、「地方の叛乱」と称された先の参院選で党勢を伸ばせず、牙城で
あった東京でも選挙区で議席を獲れなかったことへの反省が見られないことです。
反転攻勢への道筋を描かないと、衰退スパイラルに陥る懸念は否定できません。
今は「支持」はしていませんが、もうちょっと頑張っていただかないと困るので、
密かに期待を寄せ、応援したいと思います。

渡来ネコ

2007年09月06日 00時56分07秒 | 趣味
兵庫・見野古墳群 猫の足跡が付いた須恵器発見

 兵庫県姫路市の市埋蔵文化財センターは31日、同市四郷町の見野(みの)古墳
群(6世紀末~7世紀中ごろ)の横穴式石室から、猫のものとみられる足跡が付いた
須恵器が見つかったと発表した。副葬品に動物の足跡が残るのは極めて珍しい。
 共同調査する立命館大の学生が杯身(つきみ)と呼ばれる食器(直径15センチ)
の内側に、白く丸い肉球らしき跡が五つ並んでいるのを発見した。
 センターの担当者は「器を焼く直前に偶然、動物の足が付いたと思われる。埋葬
当時は気付かなかったのでは」と指摘。地元の同古墳群保存会メンバーからは
「猫好きの権力者のために作ったのかも」との声も。
                              (2007年09月01日 読売新聞)

古墳時代にネコ渡来? 須恵器に足跡

 兵庫県姫路市四郷町の「見野(みの)古墳群6号墳」から、ネコではないかとみら
れる小動物の足跡がついた6世紀末~7世紀初頭の珍しい須恵器が発掘された。
ネコの足跡とすれば、渡来は奈良時代(8世紀)という通説を覆し、古墳時代に
すでにネコが渡来していたことになり、日本史を塗り替える“新発見”となるかも
しれない。
 足跡は、「杯身(つきみ)」と呼ばれるふた付き食器の内側に、直径約3センチ
ほどのツメのない5つの肉球と掌球とみられる形がくっきりと残っていた。発掘後
に洗浄作業をしていた立命館大の学生が見つけた。
 焼く前の器を乾燥させているときに、偶然踏まれてついたとみられる。調査に
あたった立命館大の南部裕樹講師によると、小動物の足跡が残っている土器が
発掘されるのは「極めてまれ」で、ネコとみられる足跡がついていたことについて
も「見たことも聞いたこともない」と話している。
                          (2007年9月4日 04:09 Sankei WEB)


日本においてネコが文献に登場するのは、『日本霊異記』に、慶雲2年(705年)
に豊前国の膳臣広国(かしわでのおみひろくに)が、死後ネコに転生し、息子に
飼われた、とあるのが最初だそうです。
仏教伝来と共に、経典をネズミの害から守るために連れてこられた、という話は
子どもの頃に聞いた覚えがあります。まあ、ネコ好きにとっては基礎知識のよう
なものですが、その歴史が書き換えられるかも知れません。
日本には、離島を除いて野生のネコ=ヤマネコはいないのだそうです。(つまり
ネコ好きというのは「舶来趣味」なのですね。やっぱり私って・・・。)ですから、
この度のネコちゃんも「渡来ネコ」ということになるわけですが、誰が何の目的で
連れてきたのか、気になるところです。

祝 前田智徳選手2000本安打

2007年09月01日 23時51分29秒 | 趣味
昨日の2安打でリーチをかけて臨んだ今日の試合で、カープの前田智徳選手が
決めてくれました。プロ野球史上36人目、カープでは一昨年の野村謙二郎選手
に続き4人目の快挙です。
熊本工業高校時代から、高校の大先輩で「打撃の神様」と呼ばれた川上哲治
氏を凌ぐ逸材と高い評価を受け、'90年にドラフト4位でカープに入団。
翌'91年にレギュラーをつかみ、走攻守揃ったリードオフマンとしてリーグ優勝に
貢献。'92年からは江藤智選手(現 ライオンズ)とともにカープの中軸として活躍
し、一時はリーグ最強の強力打線「ビッグレッドマシーン」と呼ばれたこともあり
ました。
私が忘れられないのは、'92年9月13日のジャイアンツ戦での「涙のホームラン」
です。川相選手の打球を後逸してホームまで返してしまい、次の回にチャンスで
回った打席でも凡退して、200勝目前だった北別府投手の勝ちを消してしまった
前田選手。同点のまま迎えた8回、ランナー1人を置いて、石毛投手から決勝の
2ランホームランを放ちました。普段は全く表情を変えない彼が、センターの守備
位置で、そしてホームランを打ってダイヤモンドを一周する時に、涙を流していた
のが、テレビでもはっきり見えました。試合後のヒーローインタビューを拒否した
ことと併せ、ファンの間では伝説となっています。
「天才」の名をほしいままにし、憧れの的であった前田選手でしたが、怪我が
彼の野球人生を狂わせました。
'94年5月17日、ジャイアンツ戦で右肩を脱臼。翌日彼が欠場した試合で、槙原
投手に完全試合を許すというおまけまで付いたこの怪我自体はすぐに癒え、
最終的にリーグ2位の打率を残す活躍をしたものの、ハイレベルの全力プレー
の危険性、そして彼自身が決して強靭ではなく、怪我を避けるようなスマートな
プレーもできないところに、一抹の不安を感じたのを覚えています。
不幸にも予感は的中。'95年5月23日、スワローズ戦で右アキレス腱断裂。
その後の歩みは、スポーツニューなどで散々取り上げられてますので、改めて
書くまでも無いと思いますが、23歳にして選手生命の危機に陥り、以後決して
自分の納得の行くプレーができないということがどれほどのものか、「残酷」の
ひと言で片付けられない重苦しい気持ちになりました。
もちろん、トップクラスで活躍する選手の陰で、多くの選手が夢破れて球界を
去っていく、その中には病気や怪我が原因の選手も少なくないわけですが、
前田選手の場合、あまりに重いハンディと、ファンや首脳陣の過剰な期待を
はねのけて、今日を迎えたことに、恐ろしいまでの凄みを感じます。
正直、「2000本打たせてあげたい。あと○年頑張ってほしい」と願ったことは
ありますが、本当に打てるとは、2年前までは思いませんでした。

今日の試合、3打席凡退し、4-7とリードを許した場面でテレビ中継が終了。
6-7まで追い上げたものの、第4打席も凡退したところで、所用のためラジオ
を切って家を出ました。
今日は、前田選手のためにチーム一丸になっていましたね。大逆転で回って
きた第5打席で、ついに記録達成。
カープの選手のメモリアルゲームでの勝利は、大野投手の引退試合以来では
ないでしょうか。スポーツニュースで結果を見て、鳥肌が立ちました。
試合後、インタビューで前田選手は涙を浮かべていました。私が彼の涙を見る
のは、あのホームラン以来です。
体のことを考えると無理はさせたくないのですが、今日が単なる通過点である
ことを期待してしまいます。せめて新球場ができるまでは・・・。
ともかく、本当におめでとうございました。