Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

「原爆投下しょうがない」発言

2007年07月04日 01時48分43秒 | 時事・社会
空梅雨気味だった今年の雨の季節も、7月の声を聞いた途端に今までの
分も取り戻そうかという勢いに変わり、豪雨の心配までしなくてはならない
気配です。こんな日は、
♪しょうがない~ 雨の日はしょうがない
と歌いたくなるのは、別に久間 前防衛相のせいではありませんが。

旧軍人・軍属とその遺族は面倒を見ても、一般市民の戦争被害について
は「戦争だからしょうがない」と一切補償せず、国家の責任すら認めずに
戦後62年来たわけですから、そして「他の戦争被害者との間で不公平が
生じる」と長いこと被爆者援護法に反対し続けてきたのが自民党ですから、
この度の久間氏の発言は、政府・自民党の本音が出たに過ぎません。
かつて「自衛のためなら核使用も違憲ではない」と答弁した岸 元首相の
孫である安倍首相は、官房副長官時代に祖父と同様の発言をしています。
先日の党首討論で民主党の小沢氏から久間発言を追求された時は「核の
傘」論を持ち出してかわしてましたし、最近は「非核三原則見直し」発言も
閣僚から度々聞かれます。
小泉 前首相に倣ったのか、慰霊の日に沖縄入りした安倍氏も、式典だけ
出席してさっさと帰り、県民の声は一切聞かずじまいでした。教科書検定
で「集団自決」への軍の関与が否定された問題でも、「自分には関係ない」
と言わんばかりの態度。
きっとそうやって「安倍カラー」を出してるんだ、と好意的に解釈することに
いたしましょう。

話を久間発言に戻しますが、「しょうがない」とまでは言わなかったものの
原爆で戦争が終わった、との認識を最初に示したのは、実は昭和天皇
なのです。いわゆる「終戦の詔勅」がそれです。
実際のところ、日本政府・天皇がもっとも恐れていたのがソ連参戦であり、
ソ連に占領されれば天皇制維持は不可能だというのがポツダム宣言受諾
を決断した最大の要因でした。
そこに見られるのは市民不在の国家の論理です。原爆で戦争が終わった
のではなく、原爆を落とされるまで戦争を止められなかったのです。
だから、もし発言の本意は別にあり、言葉が不適切で誤解を与えたという
のなら、国の責任を市民に謝るのが筋で、首相や党に申し訳ないなどと
のたまうのは本末転倒です。(仮定が間違っているので、実際のところは
首尾一貫しているわけですが。)

それにしても、そのような歴史観をお持ちなら、ソ連に分断占領された
北朝鮮の方々に対してもっと同情しても良さそうなものなのに。

(追記)
選挙対策で辞任して、後任が小池百合子氏というのも何ともちぐはぐな
人事です。それでも自民党に投票しようという人の気が知れません。
ところで元環境相の小池氏、環境を汚染する兵器の撤廃に尽力して頂け
ないでしょうか。参院選までのつなぎだったら無理かな。

失望しても絶望しない

2007年07月03日 02時34分17秒 | 時事・社会
丸岡受刑者が2審で逆転敗訴・名誉毀損訴訟
 1986―87年の三井物産マニラ支店長誘拐事件に関与したと報じた読売新聞
記事で名誉が棄損されたとして、日本赤軍の元メンバー丸岡修受刑者(56)が
読売新聞社側に約1600万円の損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で、
東京高裁は28日、105万円の支払いを命じた一審東京地裁判決を破棄、請求
を棄却した。丸岡受刑者側は上告する方針。
 吉戒修一裁判長は判決理由で、日航機がハイジャックされたダッカ事件など
で丸岡受刑者は無期懲役が確定し、服役中であると指摘。「受刑者の社会的
評価は既に低く、記事が評価を低下させて名誉を棄損したとは言えない」と
述べた。〔共同通信 2007.6.28 23:00〕


宮澤喜一元首相が亡くなった日にこのような判決が出たことに、暗澹たる思い
を抱いています。「一時代の終わり」を通り越して「終末」を予感させるような
ニュースです。
政治家や著名人だと黒い噂が絶えない人でも高額の慰謝料を勝ち取る一方、
権力に逆らう者や弱者は泣き寝入りせざるをえない。しかもこんなあからさまな
犯罪者差別を裁判所がするようでは・・・。

先週の教会学校、今週の礼拝と続けて、ルカ福音書18章の「やもめと裁判官」
のたとえを学びました。不利益を蒙っていた一人の寡婦が、人を人とも思わず
神をも畏れない不正な裁判官に、しつこくしつこく訴え続けて、自分のために
裁判をさせたという話です。(当時女性の人権は認められておらず、弁護する
夫を持たない寡婦の訴えが通ることはまずありませんでした。)
これはたとえ話であり、「まして神は」というレトリックで信仰者に希望を持ち
続けるよう説くお話であって、直ちに現実社会に結び付けうるものではないの
かも知れません。
でもだからといって、世の中の不義不正に目を閉ざし、心の平安と来世の希望
だけを説くのは本当の福音ではありません。実現不可能に見えても、それに
関わることで迫害を受けても、現実の中に身を置き、いと小さき者の側に立ち、
神の正義の実現を信じて諦めることなく訴え続けていく。それがクリスチャンの
あるべき姿だと思います。

でも、そうは言ってもねぇ。こんなニュースばっかりで・・・。