Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

「学座 とうごまの葉の下」

2006年01月11日 23時09分33秒 | 学座
この度の平和学習の主催は「キリスト教主義教育運動・
学座 とうごまの葉の下」という団体でした。話の都合上、
この団体についても説明をしておきたいと思います。

「学座」の提唱者で現在も代表を務めるM師は、私が学生
の時にKGKの主事をされていた方です。
M師は単なる「宣教」にとどまらず人としての「生き方」に
こだわった学生伝道に取り組む中で、大学生になってから
ではもう遅いのではないか、子どものうちから、そしてその
子どもたちを育てる親たちにも、「聖書的世界観」に基づく
学びの場を提供しなければならない、と考えて教育運動を
始められました。
「学座」の名称は、教師が生徒に教える「学校」とは違い、
車座になって共に学ぶ場、といった意味合いを込めたもの
だったと思います。(違ってたら訂正して下さい。)
「福音派」の教会では教育への意識・取り組みが弱い、と
いう指摘を時折耳にします。教会学校(CS)といえば、
「子ども伝道」の場で、大人のCSや、聖書知識以外の
学びの場はあまり見られません。政治の話をすると「社会
派だ」と白い目で見られることもあります。(最近はだいぶ
受け入れられるようになってきましたが。)
そうした現状を変えて、教会がもっと教育に重荷を負おう、
というのが学座の運動の趣旨です。ですから特定の教会
や施設に拠点を置くのではなく、各地の教会を訪問して
教育への取り組みを促したり、学習プログラムを提供する
という働きをしています。
私も旗揚げの時から陰に陽に(あまり自分に使う表現では
ないですが)お手伝いしてきました。そしてこの度、私が
発案・リードして、10年来の悲願だった広島での平和学習
が実現の運びとなりました。

「とうごまの葉の下」についても説明が要るでしょう。
これは旧約聖書・ヨナ書に由来する名称です。
ヨナは紀元前8世紀頃の北イスラエル王国の預言者の1人
です。ある時ヨナは神から、ニネベという町に行って預言
するよう命じられますがこれを拒否し、地中海に逃れようと
します。しかし船は嵐に遭い、ヨナは巨大な魚に飲み込ま
れて3日3晩過ごすという奇跡の末に、ニネベ行きを承諾
します。ニネベの町でヨナが神の裁きを告げると町の人々
は悔い改め、神は災いを下すのをやめます。怒ったヨナは
神に不平を言い、成り行きを見届けようと、小屋を建てて
ニネベの町を見張ることにしました。神が1本のとうごまの
木を生えさせ、ヨナに日陰を与えると彼は大いに喜びます
が、その木が枯れ太陽が照りつけると、落胆し神に怒りを
ぶつけます。それに対して神はこう答えるのです。
「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして
生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。
それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを
惜しまずにいられるだろうか。そこには十二万人以上の
右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」
(ヨナ書4章10・11節 新共同訳)
非常に短い書ですが、新約聖書のイエスの福音に通じる
神の愛のメッセージを含んだ重要な書です。そして歴史的
背景を探ると、さらに恐るべきメッセージが見えてきます。
ニネベとは、アッシリア帝国の首都です。アッシリアは紀元
前9世紀から周辺諸国を征服し始め、イスラエルにも度々
攻撃を仕掛けていました。反乱住民に対する串刺しや皮剥
などの残虐行為、大量強制移住政策などを行い、人々に
恐怖を与えていました。
ヨナの時代はその遠征が一段落していた時期とみられます
が、預言者である彼はやがてアッシリアが再び北王国に
攻め入り、国を滅ぼすことを知っていたと思われます。
たとえそうでなくても、暴虐の限りを尽くしていた大帝国は、
神の憐れみをかけるべき相手ではない、と考えても不思議
ではありません。
しかし神は憐れまれるのです。そのことを知っていたから、
ヨナは神の命令を拒みました。神に対して怒りました。
ブッシュ大統領の聖書にヨナ書が載っているかどうか知り
ませんが、たとえ「人権抑圧独裁国家」であろうと、「テロ
支援ならず者国家」であろうと、神の愛はあらゆる人に
注がれている、というのが聖書のメッセージです。ヨナに
諭されたように、全てのクリスチャンに対して神は呼びかけ
ています。だから真のクリスチャンは、それに応えて行か
なければなりません。
「学座」は、神に創られ神に愛されている全ての人の尊厳
を重んじ、社会正義の実現と反戦平和のために取り組む
運動なのです。