小学校に上がったしおんも、この日は「平和を考える集い」(登校日)です。
私が子どもの頃は、福岡でも8月6日は登校日でしたが、大学生になった頃には
ほとんど聞かなくなってしまっていました。被爆50年の1995年に平和記念式典で
子ども代表による「平和への誓い」が始まりましたが、広島ですら平和学習への
無関心・批判が強まっていました。卒業式の日の丸・君が代問題を契機とする、
「教育是正」と称した県教組への圧力もあり、ヒロシマを語ることが憚られるような
雰囲気すらありました。風向きが変わったのは、3年前の被爆60年頃からでしょう
か。「今語らなければ」「今聞かなければ」という切実さが感じられます。
しおんの小学校にも、被爆者が訪れて体験を語ってくれたそうです。みんなで話
を聞いた後、折り紙で鳩を折り、平和の願いを書き込んだ、と教えてくれました。
私の『ピカドン』(?)のような強烈な体験ではありませんが、娘の心にも何かが
刻まれたことと思います。
広島市では8月6日は公共施設は休みとなります。児童館も休館ということで、
私がお昼で早退し、しおんを見ることにしました。といっても、私は折り鶴に糸を
通すのに忙しくて、ほとんど相手をしてあげられなかったのですが・・・。
今年は700羽ほど折ったのですが、2日前から糸を通し始めて結局間に合わず、
500羽だけ平和公園に持って行きました。去年が100羽だったので、進歩したと
いえなくもありませんが、来年はもっと早く取りかかって千羽完成させたいです。
夜、いつものように「キリスト者平和の集い」に参加しました。
今年の証言者は、日本基督教団府中教会 元牧師の宗藤尚三氏でした。証言
者が減ってきたためか、約15年ぶりの再登板とのこと。15年前というと私は学生
で広島にいたはずですが、なぜか記憶にありませんでした。
宗藤氏は中区千田町の自宅で被爆されました。たまたま急旋回して去っていく
B29を目で追ったため、閃光を浴びずに済みましたが、倒壊した家屋の下敷きに
なり大怪我を負いました。日赤病院から似島に運ばれて、満足な治療も受けられ
ない中で奇跡的に一命を取り留めて、今日まで来られました。
今年、私たちの教会のキャンプを似島で行うことになり、私は似島の歴史を辿る
メッセージを開会礼拝で語りました。その準備の過程で見聞きし、学んだことと
宗藤氏の体験談がダブって、我が事のようにリアルに迫ってきました。
長年平和運動に携わっておられるからか、後半やや理念的な「平和論」に傾いた
点は少々残念でしたが、時宜に適ったというか、何とも不思議な符合で、「聞けて
よかった」と思える話でした。
(8月7日付中国新聞より 旧太田川の灯篭流し)
私が子どもの頃は、福岡でも8月6日は登校日でしたが、大学生になった頃には
ほとんど聞かなくなってしまっていました。被爆50年の1995年に平和記念式典で
子ども代表による「平和への誓い」が始まりましたが、広島ですら平和学習への
無関心・批判が強まっていました。卒業式の日の丸・君が代問題を契機とする、
「教育是正」と称した県教組への圧力もあり、ヒロシマを語ることが憚られるような
雰囲気すらありました。風向きが変わったのは、3年前の被爆60年頃からでしょう
か。「今語らなければ」「今聞かなければ」という切実さが感じられます。
しおんの小学校にも、被爆者が訪れて体験を語ってくれたそうです。みんなで話
を聞いた後、折り紙で鳩を折り、平和の願いを書き込んだ、と教えてくれました。
私の『ピカドン』(?)のような強烈な体験ではありませんが、娘の心にも何かが
刻まれたことと思います。
広島市では8月6日は公共施設は休みとなります。児童館も休館ということで、
私がお昼で早退し、しおんを見ることにしました。といっても、私は折り鶴に糸を
通すのに忙しくて、ほとんど相手をしてあげられなかったのですが・・・。
今年は700羽ほど折ったのですが、2日前から糸を通し始めて結局間に合わず、
500羽だけ平和公園に持って行きました。去年が100羽だったので、進歩したと
いえなくもありませんが、来年はもっと早く取りかかって千羽完成させたいです。
夜、いつものように「キリスト者平和の集い」に参加しました。
今年の証言者は、日本基督教団府中教会 元牧師の宗藤尚三氏でした。証言
者が減ってきたためか、約15年ぶりの再登板とのこと。15年前というと私は学生
で広島にいたはずですが、なぜか記憶にありませんでした。
宗藤氏は中区千田町の自宅で被爆されました。たまたま急旋回して去っていく
B29を目で追ったため、閃光を浴びずに済みましたが、倒壊した家屋の下敷きに
なり大怪我を負いました。日赤病院から似島に運ばれて、満足な治療も受けられ
ない中で奇跡的に一命を取り留めて、今日まで来られました。
今年、私たちの教会のキャンプを似島で行うことになり、私は似島の歴史を辿る
メッセージを開会礼拝で語りました。その準備の過程で見聞きし、学んだことと
宗藤氏の体験談がダブって、我が事のようにリアルに迫ってきました。
長年平和運動に携わっておられるからか、後半やや理念的な「平和論」に傾いた
点は少々残念でしたが、時宜に適ったというか、何とも不思議な符合で、「聞けて
よかった」と思える話でした。
(8月7日付中国新聞より 旧太田川の灯篭流し)