Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

新井選手、FA移籍

2007年11月11日 00時13分21秒 | 趣味
カープファンとしては、ショッキングなニュースでした。
出て行く理由は無いと信じてましたから。
一瞬嫌な予感がしたのは、日本代表合宿に行く前に、山本浩二氏と会った時。
ただ、金本選手の時は球団が山本監督(当時)の人望頼みで、対応が後手に
回ったために、タイガースの熱意に心動かされてFA宣言・移籍となりましたが、
今回は球団は十分誠意を見せ、新井選手も理解はしていましたから。

「地方の貧乏球団」で短期的な補強に踏み切れず、長期的展望に軸足を置く
球団と、限られた選手生命の中で決断しなければならない選手との溝、と中国
新聞は解説していましたが、私には単純なボタンの掛け違えのような気がして
なりません。
「今年で結論を出す。先延ばしはしない」「残留なら宣言しない」・・・そう言って
選択肢をどんどん狭め、結果的に自分で自分を追い詰めてしまい、宣言せざる
を得なくなってしまったのではないかと。
会見では「カープのことが大好きだからとても辛い」と言っていましたが、本当に
熟慮の末に決断を下したのなら、泣かないでほしかったな。熱情的で正直者の
新井選手らしいといえばそうだし、画になる場面を求めるメディアに煽られた所
もあるとは思うけど、ファンが聞きたいのは彼の決意や球団・ファンへの直言で
あって弁解ではありません。球団に非があるわけでもないのにああいう態度を
見せられると、「じゃあ辞めたら」と言いたくなります。

球団は史上最大の大型補強に乗り出す構えですけど、もし黒田投手もメジャー
移籍となれば、カープはもう終わりかな、という気がしないでもありません。
環境のせいにして、自分だけ強いチームに行ければ、カープはどうなっても
(ことによるとチームが無くなってしまうかも知れなくても)いいの?と問いたい
です。
でも、新井選手が出て行ったことで、黒田投手は残留に傾きそうな気もします。
(希望的観測ですが・・・。)もしそうなったら、黒田投手にとっても新井選手に
とっても不幸なことではないでしょうか。意地を張らずにせめてもう1年待てば
よかったのに。

もうひとつ気になったのが、「厳しい環境でチャレンジしたかった」という発言。
これって、「ずっと同じ球団にいると甘えが出てしまう」と言ってFA宣言した江藤
選手にダブって見えてしまいます。カープのみならずセリーグを代表する強打者
だった江藤選手も、働かなくても高給をくれる某球団に移籍してすっかり甘えて
しまい、すっかり落ちぶれてしまいました。
新井選手が噂通りタイガースに移籍するなら、結局金本選手の弟分のままで
一人立ちできずに潰れそうな気がします。
たとえカープを離れても頑張ってほしい選手なので(応援はできないかも知れ
ないけど)、もっと自分を強く持ってほしいです。

佐々岡投手、お疲れさま

2007年11月08日 00時36分18秒 | 趣味
ブログの更新が滞りがちなため、シーズン終了後、かなり間が開いてしまいました
が、毎年恒例のカープの現役引退選手への感謝記事です。

佐々岡真司投手は島根県の浜田商業からNTT中国を経て、1990年にドラフト1位
でカープに入団しました。NTT中国本社ビルは広島市民球場のすぐ隣にあり、
佐々岡投手とカープの相思相愛を語る時によく話題になっていました。
初登板で初先発初勝利を飾りますが、守護神・津田投手の故障離脱でストッパー
に転向。津田が持っていた当時の日本記録(7試合)を大きく更新する、17試合
連続セーブポイントをマークするなど、大車輪の活躍を見せました。
忘れられないのはその17試合目、8/14の対ドラゴンズ戦です。9回表に登板して
同点に追いつかれ、誰もが記録が途切れたと思ったその裏、山本監督にそのまま
打席に送られた佐々岡投手は、ドラゴンズの郭源治投手からサヨナラホームランを
放って記録を伸ばしたのでした。その試合は、珍しく福岡でもラジオ中継されてて、
生で聴いて激しく興奮しました。
シーズン終盤には先発に再転向し、13勝17セーブの好成績を残しましたが、新人
王争いは同じNTT(東京・当時)出身でドラゴンズのストッパーとなった与田剛投手
に敗れました。(セリーグ会長特別賞を受賞。)
翌'91年は、2年目のジンクスとは無縁で、エースとしてリーグ優勝に貢献。17勝を
挙げて最多勝、最優秀防御率の2冠に輝き、MVPと沢村賞も受賞。日本シリーズ
では第4戦でライオンズ相手に8回1アウトまでパーフェクトという快投も見せました。
'92年も12勝を挙げますが、守乱に足を引っ張られて崩れるケースも目立ち始め、
'93年はチームと共に低迷してしまいます。(17敗を喫して最多敗戦となる。)
'94年、衰えが見え始めた大野投手に代わってストッパーとして復活。以降、毎年
のように先発と抑えを行き来するという、他に例の無い「エース」でした。
'03年に100勝100セーブ、'06年には江夏投手以来という先発100勝・100セーブも
達成。「先発に専念していたら、今頃は200勝を達成していたかも知れない」という
声もありましたが、本人は「チームの勝利の為なら、どんな役割でも引き受ける」
と語っていました。
'99年にはノーヒットノーランも達成。無四球は史上3人目の快挙でした。

引退試合となった10/6のベイスターズ戦は、連休で伴侶の実家に帰省したため
市民球場に駆けつけることはできませんでした。
9回2アウトから登板し、村田選手にホームランを打たれるという、彼らしい最後
でした。
翌7日の神宮球場でのスワローズ戦でも、古田捕手の引退試合に「友情出演」で
登板。市民球場では黒田投手から快打を放った古田捕手を見事打ち取り、現役
最後のホールドをマークしました。
球界のために尽力してきたこの2人が揃って引退する年に、両チームが最下位
争いを繰り広げたというのも、皮肉な感じがします。

今後については情報を得ていませんが、しばらく解説者をするのでしょうか。
個人的には、小林コーチに代わって、すぐにでもピッチングコーチになってほしい
ものです。実績・人柄とも申し分ないだけでなく、ブラウン監督にも一目置かれて
いますから。
まあ、それはともかく、18年間本当にお疲れさまでした。

ドラゴンズ 53年ぶり日本一

2007年11月02日 02時54分48秒 | 趣味
近鉄バッファローズの消滅で、プロ野球12球団中最も日本一から遠ざかっていた
中日ドラゴンズが、ついに53年ぶりに日本シリーズを制しました。
53年前、1954(昭和29)年といえば、自衛隊が発足し、『七人の侍』や『ゴジラ』
が公開された年です。ドラゴンズと日本シリーズで対戦したのは、三原脩監督
率いる西鉄ライオンズ。ドラゴンズは戦前からの老舗球団、ライオンズは2リーグ
分裂後に発足した西鉄クリッパーズと西日本パイレーツが合併してできたばかり
の新球団でしたが共に初のリーグ制覇でした。シリーズは、ライオンズ打線が
「魔球」フォークの使い手・杉下茂投手に手も足も出ず、ドラゴンズの圧勝でした。
私は、豊田泰光の著書で読んだだけですが、落合監督も当時はまだ生後11ヵ月
だったのですね。いやぁ、なんというか、複雑な気分。

中学時代、仲のよかった友人に熱狂的なドラゴンズファンがいまして、私も熱烈
なカープファンでしたが、「アンチ巨人」で意気投合していたこともあり、ドラゴンズ
はセリーグでカープの次に好きな球団でした。
(パリーグでは一応ホークスに注目していますが、故郷の球団だからといって
贔屓にはしていません。どっちかというとマリーンズのほうが好きかも。)
そんなわけで、他人事とも思えない日本シリーズ制覇なのですが、どうもぴんと
きません。
ひとつは忙しくてプロ野球そのものを見聞きする機会が減ったせいもあります。
新聞やネットで結果は見ますが、若い頃ほど夢中にはなれません。
もうひとつの理由は、「球界再編」騒動以降の迷走ぶりにうんざりしていること
です。カープがそのとばっちりをもろに受けているから、というのもありますが・・・。
3年前に始まったパリーグのプレーオフ制度も違和感ありましたが、プレーオフを
制したチームがリーグ優勝ということで、一応整合性は取れていました。
けれども今年は、リーグ戦とは別個にクライマックスシリーズが設けられ、1年目
からリーグ2位のチームが日本シリーズに出場し、日本一にまでなるという異常
事態。
3位までクライマックスシリーズに出られることで、Aクラス争いが盛り上がって
消化試合が減るだろう、というのが当初の目論見だったようですが、蓋を開けて
みればリーグ優勝争いが注目の的であり、特にセリーグは大混戦となって久々
に「面白い」年だったのは何とも皮肉なことでした。
渡邉恒雄は相変わらず吼え、古田選手兼任監督が去る中で、今後どう転ぶか
分かりませんが、ドラフト問題も含め根本的な部分が変わらなければ、長続き
はしないように思います。

ところで、日本シリーズ最終戦で先発したドラゴンズの山井投手は、8回まで
パーフェクトに押さえていたのに、9回は岩瀬投手に代わったのですね。
読売新聞では関係者のこんなコメントが紹介されていました。

 プロ野球解説者で元阪神監督の安藤統男さんは「これが今年の中日の
スタイルで非情の采配ではない。正解だと思う。ただ、自分が監督であれば、
果たして交代させられただろうか。見事な決断だった」と評価した。一方、
評論家の玉木正之さんは自身のホームページで「百年に一度あるかないか
のすごい興奮の瞬間よりも、53年ぶりの優勝を確実にしたかったというなら
何と小心な夢のない野球か」と怒りを爆発させた。


8回まで抑えたからと言って9回も抑えられるとは限らないのが野球です。
まして山井投手はプロ6年間で完投が2度(完封1)しかなく、岩瀬投手という
絶対的守護神を擁するドラゴンズなら継投は定石でしょう。
2点差なら1人出すまで続投させたかも知れませんが。
勝負に徹したというより、常に最高の形を求めている職人らしさが出た、という
のが真相ではないかと思います。落合監督は選手時代からそういう人でした
から。(私の勝手な思い込みですが。)
カープの前田選手にちょっと似てますね。