ずっと避けてきた「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」に
今日初めて行ってきました。なぜ避けてたかと言いますと、
作る必要の全く無いものを、本来新たに何かを建てることが
できないはずの場所に無理やり作ったことに対して、強い
怒りを覚えていたからです。
今回足を踏み入れたのは、気が変わったわけではなく、この夏
被爆60年の広島を案内したくて、一応この目でどんな施設かを
見ておく必要に迫られたからです。
期待はしていませんでしたが、実際はそれ以下でした。
「遺影コーナー」を第二の「平和の礎」にしたかったのかも
知れませんが、「追悼」のためだけになぜわざわざ、という
疑問に全く答えてくれない、あまりに空虚な空間に、怒りを
通り越して虚しさを感じてしまいました。
16日の衆院予算委で小泉首相は、靖国参拝継続の意向を示した際、
「日本は戦後60年間、国際社会と協調し、二度と戦争をしないと
いう、その言葉どおりの行動によって、戦争の反省を示してきた」
と言ったそうですが、具体的にどういう「行動」をとってきたと
いうのでしょう? 広島から見る限り、被爆者のため、核廃絶の
ための意味ある「行動」はほとんど見えないのですが。
それに、「今まで誰もやらなかったことをやる」のを売りにしている
人物が、他人の過去の功績の上にあぐらをかくような発言をするのは
どうかと思いますけどね。
今日初めて行ってきました。なぜ避けてたかと言いますと、
作る必要の全く無いものを、本来新たに何かを建てることが
できないはずの場所に無理やり作ったことに対して、強い
怒りを覚えていたからです。
今回足を踏み入れたのは、気が変わったわけではなく、この夏
被爆60年の広島を案内したくて、一応この目でどんな施設かを
見ておく必要に迫られたからです。
期待はしていませんでしたが、実際はそれ以下でした。
「遺影コーナー」を第二の「平和の礎」にしたかったのかも
知れませんが、「追悼」のためだけになぜわざわざ、という
疑問に全く答えてくれない、あまりに空虚な空間に、怒りを
通り越して虚しさを感じてしまいました。
16日の衆院予算委で小泉首相は、靖国参拝継続の意向を示した際、
「日本は戦後60年間、国際社会と協調し、二度と戦争をしないと
いう、その言葉どおりの行動によって、戦争の反省を示してきた」
と言ったそうですが、具体的にどういう「行動」をとってきたと
いうのでしょう? 広島から見る限り、被爆者のため、核廃絶の
ための意味ある「行動」はほとんど見えないのですが。
それに、「今まで誰もやらなかったことをやる」のを売りにしている
人物が、他人の過去の功績の上にあぐらをかくような発言をするのは
どうかと思いますけどね。
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