Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

折り鶴

2006年05月31日 23時53分07秒 | ヒロシマ
お好み焼き店で折り鶴 待ち時間活用 気軽に平和運動
                  (中国新聞 2006年5月30日朝刊)

 お好み焼きが焼き上がるまでの間に、折り紙で鶴を折ろうという
取り組みが、広島市や周辺のお好み焼き店でじわりと広がって
いる。気負わず誰でも参加できる平和運動、広島名瀬ではの風景
になればと、仕掛け人らは協力店を募っている。
グループは「待っとる間に鶴折る会ヒロシマ」。発案者の団体職員
豊久芳光さん(41)=安佐南区緑井=と職場仲間ら4人でつくる。
7月から8月頭までに協力店に折り紙と箱を置いてもらい、8月6日
までに回収して中区の平和記念公園にささげる。
 始まりは9年前。「広島といえばお好み焼き。そして原爆。2つを
結びつけて何かできないかな」と豊久さんは考えた。なじみの店
「さいとう」(廿日市市友田)にアイデアを打ち明けると「ええよ」の
返事。すぐに「折り鶴セット」を置かせてもらった。
 「おなかをすかせた若い子が一生懸命折ってくれるんよ。それ
見て、これから先も日本は大丈夫じゃねと思います」と同店の斉藤
逸子さん(58)。6年間は「さいとう」だけの活動だった。ここ数年で
仲間が増え、6店に広がった。安佐北区口田南の「かくれ家」では、
一年中「折り鶴セット」を置いている。
 豊久さんは伯父を原爆で失った。その最期の様子を、亡き祖母は
繰り返し語った。大やけどし水をくれという息子。飲ませたら死んで
しまった-。祖母の深い悲しみに触れてきた。
 「中心部の店でも取り組んでもらえたら、修学旅行生や観光客も
参加できる。少しずつ広がっていけば」と豊久さん。回収の人手が
ないため、各店で平和記念公園にささげてもらいたいと願う。
ホームページも開いた。 http://www.abz.jp/~tone/m.html


私がこの話を知ったのは先月、仕事へ上関に行った日にラジオで
紹介されているのを聞いてでした。紹介していたのは、永六輔。
あの方の見識の高さ・広さにはほとほと感心してますが、同時に、
地元民で平和運動にも関心を持ちながら、この取り組みを知らな
かった自分の不明を恥じました。

子どもの頃は何度か、平和祈念の鶴を折りました。小学校の修学
旅行で長崎に行った時には、友人にも協力してもらって折った鶴を
平和祈念像にささげました。でもその後は、そういう機会はなくなり
ました。
大学生の時に沖縄に行った時、反基地闘争をしている牧師から、
「鶴を折るだけでは平和にならない」と言われ、以来鶴を折ることを
避けるように(多少軽蔑するようにも)なりました。
広島の平和記念公園の折り鶴の永久保存計画を秋葉市長が打ち
出した時も、折り鶴が焼かれる事件が起きた時も、どうでもよくは
ないけど、本質的な問題ではないような気がしていました。
でも昨年、被爆60年の様々な企画を見聞きし、8月6日を家族で
平和記念公園で過ごしてみて、平和に取り組む入り口・きっかけと
その先の問題は別だという当たり前のことに気づかされました。
ヒロシマを知り、心を込めて鶴を折ることも大切。その上で、さらに
次の段階へと導くことも大切。心の無い運動は失敗します。心だけ
では世の中動かせないかも知れないけれど、だからといって心を
否定してはいけないのですね。


本当に他人事ですか?

2006年05月30日 23時53分48秒 | 時事・社会
広島の男性を誤認逮捕 神奈川県警 殺人未遂で8日拘留
                        (中国新聞 5月30日朝刊)

 神奈川県警は29日、2002年に横浜市で発生した殺人未遂事件で、
青葉署が22日に逮捕した広島市のとび職の男性(40)について、事件
と無関係と判明したため釈放したと発表した。
 男性は「身に覚えが無い」と否認したが、8日間拘留されたという。
 県警によると、02年8月31日未明、青葉区荏田町の市道に止めた
乗用車内で、運転席にいた東京都世田谷区の無職男性(42)が後部
座席の男と口論になり、刃物で脇腹を刺され重傷を負った。事件当時、
車には女性2人も乗っていた。刺された男性と男女3人は知り合った
ばかりだったという。
 青葉署は女性の証言などから容疑者を広島市の男性と断定。同年
12月に殺人未遂容疑で逮捕状を取った。今月22日に男性を広島市
内で逮捕したが、その後の捜査で、事件当日は広島県内にいたこと
が判明した。
 県警の黒木一郎刑事総務課長は「関係者に心からおわび申し上げ
る。再発防止のため指導を徹底したい」としている。


ニュースを注意して見ていると、誤認逮捕は頻発していることが分か
ります。以前にも外国人と間違えられて逮捕された女性について書き
ましたが、重大事件でもなければ緊急性も無い件で、裏も取らずに
警察が簡単に逮捕・拘留するケースが目立ちます。
今回の事件は、報道を読む限りでは、現場にいた女性の証言に問題
があったようです。男女3人もお互いをよく知らなかったのか、それとも
真犯人をかばうために偽証したのか、まだ分かりませんが、アリバイ
も確かめずに逮捕した警察の責任は厳しく問われなければなりません。

政府与党が成立を目指している「共謀罪」には、共謀に加わった者が
自首して計画を自供すれば罪には問わない、という「密告奨励」制度
か設けられています。
政府が「念頭に置いている」とする、暴力団や過激派、テロ組織など
で、この「密告」が期待できるかというと、共謀だけではせいぜい数年
の懲役ですぐ出てくるし、組織も敵に回すことになるわけで(もちろん
警察は密告者を守ってはくれません)、まずありえないだろうというの
が、現場の警官の率直な意見です。つまり、当初の目的はどうであれ、
実際に適用されるのは労働組合や市民団体などになる(さもなければ、
誰にも適用されなくなる)のは明らかです。
そもそも「共謀」の事実を証明すること自体が大変難しいことは、少し
考えれば分かると思います。共謀がまだなされない段階で既にマーク
している、というのは普通ありえない(あってはならない)話で、盗聴や
潜入は本来不可能な筈です。それにもしそれが許されるとして、そう
した手段で当局が確かな情報を得ていれば、共謀罪が無くても、犯罪
を未然に防ぐことは可能である筈です。つまりは、「密告奨励」こそが
「共謀罪」創設の主眼なのです。
「悪いことしなきゃいいんでしょ?」と他人事のように考える人がまだ
多いようですが、それを判断するのは自身ではなく警察や裁判所で
ある、というだけでなく、偽証や言いがかりによって身に覚えの無い
罪に問われる危険性が生じるのが、この「共謀罪」です。何せ、犯罪
行為に直接関与していなくても、そもそも行為自体がなされてなくても
いいわけですから。
そして、上のニュースをはじめ、数々の「事件」が教えてくれることは、
警察はあなたや私の「無実」の証明のために動くわけではなく、むしろ
疑ってかかるのだということです。

夕陽

2006年05月29日 23時53分42秒 | 音楽
「夕陽」と聞くと、中学時代の友人S君を思い出します。
彼の実家が「ドライブイン 夕陽」という名の食堂だったので。
国道202号線沿いに今もあるその店には、まだS君と出会う
前の子どもの頃に、何度か立ち寄りました。有料バイパス
ができてからは、店の前を通ることも無くなりましたが。

『落日燃ゆ』という小説もありましたね。城山三郎でしたか。
主人公の広田弘毅は、高校の大先輩に当たります。別に
尊敬はしていませんが。相対的には罪は軽かったと言える
かも知れませんし、絞首刑はいわば「貧乏くじ」だったかも
知れませんが、「咎無し」かというとそんなことはないわけ
で、特に同情もしていません。
以前にも書きましたが、私が高校のOBで誇りに思ってるの
は、夢野久作と中野正剛くらいです。

とまあ、全然音楽とは関係の無い前置きで、一体何の話か
と途惑われた方がいらっしゃったら、すみません。
昨日に引き続いて、チューリップの話です。

私が大学に入った'92年に、東芝が「音蔵」シリーズという、
'60~'80年代に活躍した所属アーティストの全アルバムを
CD化する企画を始めてくれました。
貧乏学生であまり余裕はありませんでしたが、チューリップ
のCDが店頭に並んでくれたおかげで、買って聴きたいと
いう思いが強くなり、やりくりしながら少しずつ揃えていき
ました。
最初に買ったのは、運命の出会いの曲が入った『ぼくが
つくった愛のうた』でした。次に『心の旅』、それから東芝の
「BIG ARTIST BEST COLLECTION」という企画盤。このCD
で「I dream」に出会いました。
その次に「星空の伝言」が聴きたくなって『Halo』を買おうと
思ったのですが、売り切れてたので、その曲を含むベスト盤
『青春の影1972-1986』を買って帰りました。このCDに収録
された2つの曲が、私のチューリップ熱を決定的にしました。
1つは「We Can Fly」。メロディ、ハーモニー、そしてプレイも
完璧といっていい名曲です。'82年の曲ですが、全く古さを
感じさせません。
もう1つは、まるっきり対極の曲ですが、「夕陽を追いかけて」
です。こちらは'78年のシングル曲です。同じ旋律の繰り返し
で全く盛り上がりが無いうえに、当時としては異例の、5分半
を超える長い曲。富澤一誠は「チューリップ自身ヒットを意識
して作っているとは思えないほどだった」と評しています。
でもこの曲を聴いて、私は泣いてしまいました。

♪しばらくぶりの ふるさとは
 大きな街に 姿をかえていた
 体をゆすって 走ってた
 路面電車は 今はもういない

福岡を離れていなければ、この曲に心を揺さぶられることは
無かったかも知れません。
望郷の念、帰らない日々の思い出、そして孤独感や将来へ
の不安。そうした私の心の中の様々な感情と見事にマッチ
して、とても大切な一曲になりました。

♪沈む夕陽は 止められないけど
 それでも僕は 追いかけてゆく
 沈む夕陽を 追いかけて
 死ぬまで 僕は追いかけてゆく

私もこういう不器用な生き方しかできないんだろうなぁ、と
思ったものです。でも、それでいいじゃん、一生懸命走って
いけば、と慰められました。

チューリップとの出会い

2006年05月28日 23時05分39秒 | 音楽
1991年の1月頃、たぶん冬休みだったと記憶しています。
こたつにもぐって本を読んでいたら、付けっぱなしになって
いたテレビから、「♪二人の愛がある限り~」と、甘い歌声
が流れてきました。
弾かれたように顔を上げながら私は、「あ、チューリップ」と
無意識の内に呟いていました。実はそれまでチューリップ
を知らなかったのに・・・。
画面には、見たことの無い女性の笑顔がどアップで映って
いました。(それが牧瀬理穂だと知ったのは、2ヵ月くらい
経ってからでした。)画面の隅に、「うた チューリップ」と
ちっちゃなテロップが出てて、私の直感が正しかったことが
分かりました。
グリコのポッキーのCMでした。全国で流れたのか、九州
限定だったのか知りませんが、見たのはその時一度きり
でした。
更に続けて私の口を突いて出てきた言葉は、「懐かしい~」
でした。初めて聴く曲なのに、初めてじゃない感じでした。

1972年にメジャーデビューのチューリップが、「心の旅」で
ブレイクしたのは'73年夏のこと。私は生まれたばかりです。
(あ、昨日は書かなかったのに・・・)
「あー明日の今頃は、僕は汽車の中」というサビは聞き覚え
がありましたが、それがチューリップの歌だということすら、
この時はまだ知らない私でした。
名曲「青春の影」や、そのCMで流れていた「ぼくがつくった
愛のうた」が'74年、リバイバルヒットですっかり有名になった
「サボテンの花」も'75年の作品です。
'79年の「虹とスニーカーの頃」くらいから、リアルタイムで
聴いてるはずですが、記憶にありません。唯一覚えている
のは、なぜか「星空の伝言」。そんなに売れてないし、タイ
アップでもなかったみたいですが・・・。
晩年はすっかり影が薄くなり、'89年に解散した時には、
うちの父は「まだやっとったとね」と言ってました。
そうは言っても、私が育ったのは地元福岡。記憶を辿れば、
有線とかではバンバンかかってた気もします。この時以降、
注意して聞いてたら、街中で割と頻繁に流れていたから、
それまでにも何度も耳にはしていた筈です。ラジオの音楽
番組もよく聞いてましたから、そこでも何度となく耳にして
いたかも知れません。刷り込まれてたんでしょうね。

時期的にも、ちょうどその前の年にジュリー(沢田研二)に
はまってましたし、ビートルズにも興味を持ち始めた頃
でした。私の中でレトロ(というか、幼い頃の懐メロ)ブーム
だったこともあって、オフコースやアリスも聴いてみたいと
思い始めてて、ついでにという感じでチューリップのCDも
借りて聴きました。東芝の「チューリップ ベストナウ」です。
(時代を感じさせるタイトル・・・)
 1.「魔法の黄色い靴」
 2.「心の旅」
 3.「ブルー・スカイ」
 4.「銀の指輪」
 5.「青春の影」
 6.「サボテンの花」
 7.「虹とスニーカーの頃」
 8.「ぼくがつくった愛のうた(いとしのEmily)」
 9.「博多っ子純情」
10.「WAKE UP」
11.「さよなら道化者」
12.「Shooting Star」
13.「I am the Editor」
14.「星空の伝言」
15.「真夏の夜の海」
16.「愛の迷路」
後に「ニューベストナウ」というタイトルで、「I am the Editor」
を「We Can Fly」に差し替えたものが出てました。そっちの
ほうがよかったな。
とにかく、この一枚で私は、チューリップのとりこになって
しまいました。何がどうと言葉では言い表わせませんが、
自分の血肉というかルーツというか、これ以上無いくらい
しっくり来る音楽を体感して、離れられなくなってしまった
のです。

泣いた本

2006年05月27日 22時10分23秒 | 日記、雑感
昨日、○○回目の誕生日を迎えました。
HPのプロフィールに生まれた年をしっかり載せてるので、別に内緒に
することもないのですが・・・。ゾロ目です。
伴侶に「誕生日プレゼント、何がいい?」と尋ねられたので、絵本を
リクエストしました。

独身の頃、バプテスト連盟の全国青年大会という集会のスタッフを
していた時に、ある先輩と文学や音楽の話題で盛り上がったことが
ありました。その中で、人を泣かせたり感動させたりすることは、ある
種の表現技法によって容易にできる、という話になって、
「でも私たちは、そういうテクニックによってではなく、本物の感動を
与える集会を作りたいね」
と、彼女と確認しあったのですが、そんなこともあって私は、「泣ける
話」とか「感動する話」という物には懐疑的です。
と言いつつ、涙もろくて、映画やドラマを観てすぐ泣くのですが・・・。
活字で泣いたのは、3冊です。
最初は、赤川次郎の『ふたり』。赤川作品は、ミステリーやコメディ
よりも、こういう平凡なドラマのほうが私は好きです。読んだのが
高校生の時だったので、主人公に感情移入して余計に感動したの
かも知れませんが。
ちなみに大林宣彦監督の映画のほうは、私にはNGでした。
次が、三浦綾子の『塩狩峠』。暴走した車両を停めるために主人公
が身を投げる場面では、ページをめくるごとに滝のように涙がこぼれ
ました。
そして3冊目が、伴侶にリクエストした絵本『100万回生きたねこ』
です。初めて読んだのは娘が生まれてから。娘に絵本を読んでいる
うちに絵本の魅力に気づいたのと、少し前から「ネコのダヤン」に
はまっていたので、ネコの絵本をあれこれ見ていて出会いました。
読んだのが病院の待合室だったので、後が大変でしたが・・・。
あ、あと、『いま、会いにゆきます』と絵本『おぼえていてね』も泣き
ましたが、これは映画を先に観て感動してたので、除外。

さて、その『100万回生きたねこ』、早速娘に取られています。
いや、「大きくなったら読んであげたい」って前から思ってたから、
気に入ってくれるのは嬉しいんだけど、グチャグチャにしないでね。

矜持

2006年05月25日 23時57分01秒 | 時事・社会
普段はほとんどテレビを見ない私ですが、出張でホテルに泊まる時
は、時計代わりにテレビを付けっ放しにしています。
息子に「矜持」という名前を付けようとして、人名用漢字に無いことを
理由に拒否された男性が、国を相手に起こした裁判も、鹿児島の
ホテルで見た朝のワイドショーで知りました。
3月30日の名古屋地裁判決は原告敗訴。続報が見つからないの
ですが、おそらく控訴しているでしょう。
記事を書くに当たって、ネット上の意見をちょっと拾ってみましたが、
意外にもと言うべきか、やはりと言うべきか、男性に対して批判的な
意見が多かったです。
それらの主張を大別すると、
 ①法律で決められたことには従うべき
 ②そんな変な(読めない)名前を付けるべきでない
 ③わざわざ裁判で争うほどのことか
といった感じで、いずれもこの男性は「我が儘」だと断じています。

②と③については、はっきり言って感覚の問題で、どちらが正しいと
言える類の事柄ではありません。だから論ずるまでも無いのですが、
一応突っ込みを入れておきますと、「矜持」が人名に相応しくないと
言うなら、例えば「正義」とか「真理」とか「大志」などは問題無いの
でしょうか。難しくて読めないと言うなら、例えば「莞爾」などが認め
られていることはどうなのでしょう。最近多い当て字も、読みを問題
にするなら禁止されるべきではないでしょうか。
名前が問題になったといえば、'93年に息子に「悪魔」という名前を
付けようとした父親の件を思い起こす人も多いでしょう。あの場合は
「子どもや周囲への影響」といった公序良俗が問題とされましたが、
「矜持」という名前が何か悪影響を与えるとは想像できません。
(ちなみに「悪」も「魔」も人名に用いることが認められており、たまに
使ってる人を見ます。)
親の勝手な思い入れ、押し付けだという批判もありましたが、それを
言うなら、「矜持」に限らずどんな名前だってそうでしょう。私自身、字
も読みも決して変ではありませんが、子どもの頃から自分の名前が
嫌いでした。(今更改名しようとは思いませんが。)「子どもの気持ち」
云々は、他人がとやかく言うものではなく、子ども自身が思い、言う
べきことの筈です。

さて、順番が逆になりましたが、①についてです。
そもそも「人名用漢字」は「当用漢字」(現在は「常用漢字」)から派生
したものです。「当用漢字」はGHQ主導の戦後の国語改革の中で、
「漢字全廃のための当面の措置」として使用可能な漢字を1850字に
定めたものです。当時のメディアや文化人の中にも、「漢字をなくせ」
「全てローマ字表記にせよ」「日本語自体を廃止してフランス語を採用
すべきだ」などといった、占領軍におもねる暴論とも言うべき発言が
見られました。どうも欧米人の目には、漢字文化が「後進性の象徴」
と映ったようです。権力者や知識人が好んで使った文語が一般庶民
を疎外し、結果的に軍国主義の台頭にもつながった、という見方も
できなくはないですけどね。
しかし多くの日本人は、日本語も漢字も捨てることなく使い続けて、
政府も「人名用漢字」の創設・追加や、より緩やかな「目安」である
「常用漢字」への移行(「当用漢字」の廃止)といった措置を取らざる
を得ませんでした。
要するに、「GHQの押し付け」である「当用漢字」に付随する形で設け
られた「人名用漢字」ですから、「当用漢字」が廃止された時点で、
その役割は終わってる筈なのです。にも関わらず、なぜ今も、名前に
使用できる漢字が制限されなければならないのでしょう。
ルールなんだから従え、と言うのであれば、政府も憲法に従え、と
主張して頂きたいものです。
また現に、札幌高裁で「簡易な字にも関わらず人名用漢字に含まれ
ていないために使用できないのはおかしい」という訴えを認める判決
が出されており、'04年の「人名用漢字」の大幅改正は、それを受け
ての措置でした。前例があるわけですから、今回の男性への批判は
成り立ちません。
見ず知らずの人たちを悪し様に言うようで、些か心苦しいのですが、
歴史的経緯も漢字も知らない人たちが、自分の無知を棚に上げて
相手が悪いと決め付ける、最近の風潮がここにも表われてるように
思いました。

今年も

2006年05月23日 22時18分24秒 | 日記、雑感


イチゴが採れました。
大した手入れもしてないのに、ちゃんと育ってるし、味も悪くないし、
自然の力はすごいです。
早速今夜の食卓に並びました。

今日は我が家にベーグルも届きました。
趣味、というほどではないけれど、生活の足しになればとネットで
せっせと応募している懸賞で、当たったのです。
自慢じゃないけどくじ運が悪い私、2年以上やってますが、今まで
に当たったのは、ハーブティーとカーワックスだけ。
初めてちょっと豪華な、嬉しい商品をゲットできました。
でも、どんな懸賞やくじも必ず誰かに当たるわけですよね。「懸賞
生活」とまではいかなくても、たまには高額商品が当たっても
よさそうなものですが・・・。日頃の行いが悪いから?

投手王国復活か

2006年05月22日 15時39分27秒 | 趣味
ファンの贔屓目を差し引いても、今年のカープはひと味違います。
21日時点で41試合を消化して18勝21敗2分け、5位ながら借金3
と、開幕当初の状態を思えばまずまずの健闘ぶりです。
とりわけ注目は、18勝のうち、ダグラス6勝、佐々岡5勝、黒田4勝
と、先発3本柱が15勝も挙げていることです。あとの3勝も、開幕
戦で0-0のまま黒田が降板した後を引き継いだ横山と、ダグラス
が序盤のリードを守れなかった5/5とロマノが退場になった5/7に
急遽登板した広池が挙げたもので、3本柱の安定ぶりが如実に
表われています。今年だめなら引退とまで言われていた佐々岡が
これほどの結果を出してくれてるのは、嬉しい誤算です。
例年リーグワーストの失策数にも関わらずダントツで悪かった防御
率も、3点台と飛躍的に良くなり、とりわけ四死球の数が激減して
います。ブラウンイズムの成果でしょう。
とはいうものの、4本柱の一角と期待された大竹をはじめ、大島、
ロマノの3人は、先発白星無しの状態です。だからなかなか連勝
できず、勝率5割に届きません。
個人的には復活した高橋建を先発させてほしいのですが、左の
中継ぎエースとしていい働きをしているので外せないと、ブラウン
監督は会見で否定してました。
ダグラスが結果を残し、ロマノも中継ぎではそこそこの働き、ベイル
も怪我が治れば即戻ってくるでしょうし、2軍のマルテも首脳陣の
評価は高い、となると新外国人を獲得という可能性は極めて低い
ので、現有戦力で誰か出てこなければいけないのですが・・・。
安定感に欠けるものの、実力も実績もある長谷川と河内にぜひ
チャンスを与えてやってほしいですね。東出が今年甦ったように、
彼らも再生してほしいものです。昨年いいピッチングをした小島や
森、玉山にも期待。長谷川が先発に回ると手薄になる中継ぎ陣
には、天野が加わってくれるといいな。
でも、やっぱりこうしてみると層が薄いですね。名前で野球をやる
わけじゃないですが、経験豊富で格のある投手が少ないです。
そう考えると、玉木と菊地原の放出や澤崎と小林幹英の引退は
やっぱり痛かったなぁ。

町内会

2006年05月21日 23時04分59秒 | 日記、雑感
雨を期待していましたが、昨日の天気の回復が予想以上に早く、今日も
憎らしいほどいい天気で、学区の運動会は滞りなく行なわれました。
これまで、礼拝出席に差し支える日曜日の地域の行事は、原則として
お断りして来ましたが、今年度は町内会の班長が回って来たため、率先
して参加せざるを得ませんでした。
私は綱引きとムカデ競走に出たのですが、普段ろくに運動をしていない
上に、昨晩も仕事で遅くまで起きていたので、全身ボロボロです。明日は
筋肉痛になってるかも・・・。

私は人付き合いが苦手なので、近所の人とも挨拶どまりです。日曜日の
礼拝というのも、どこかで言い訳になってるかも知れません。
ただ、町内会のような自治組織や近所づきあいの大切さは分かっている
つもりです。
第一次産業が衰退した現在では地域で協力して働くことはまれですが、
子育て、教育、文化形成、福祉、介護など、地域が重要な役割を担って
いる(担うべき)ことは少なくないと思います。
もし地域でやってることを全て、行政や民間企業に任せたら、結果的に
住民の負担は今以上になると思います。その点、教会運営とも似ている
ような気もします。
神社のお祭りに代表される異教文化とどう向き合うか、というのは難題
ですが、避けるだけでは福音を語る機会も無いわけですし、「文化脈化」
という考え方も存在するわけで、やはり普段からの付き合いをしっかり
持っておくことが重要だと思わされています。

実は私の娘は、仏教系の保育園に通っています。一応希望は出しても
市が振り分けますし、近所にキリスト教系の保育園が無かったので、
仕方なく、ではありますが。伴侶はかなり嫌がっていましたが、私は、
形だけの宗教では困るけれど、本物の信仰を教えてくれるなら、たとえ
仏教系であっても、無宗教の市立保育園よりは、娘の心に良い影響を
与えてくれるのではないかと、期待をしています。
安易な妥協ではいけませんが、神様から与えられた環境・状況を感謝
して受け止め、最大限生かす努力を怠ることは、たとえ教会の中のこと
には熱心であっても、本当の信仰とは言えないと思います。

GODZILLA 1985

2006年05月20日 23時52分03秒 | 映画・ドラマ
近所のレンタルビデオ屋で、VHSが5本500円なので、伴侶と娘と
一緒に日曜日に借りたのですが、私だけなかなか見れずにいて、
今しがたやっと見たところです。
1984年公開の「新作『ゴジラ』」の海外版です。オリジナルのほう
は、私が初めて劇場で見たゴジラ映画で、最初はあまり好きでは
なかったのですが、その後TVで何度か見るうちに、割と良くでき
てるかも、と再評価するようになりました。最初に見たのが小学生
の時ですから、大人になって理解できるようになった、ということ
かも知れません。
第一作の海外版『怪獣王ゴジラ』に新聞記者スティーブ役で出演
したレイモンド=バーが再登場、ということで、多少期待をしていた
のですが・・・。顔には昔日の面影が多少あるものの(ってビデオ
でしか見たことありませんが)、ただのおデブさんになっちゃって
ました。米国人って、どうしてみんなああなんですかね。
オープニングがいきなり差し替えられてて「何じゃこりゃ」だったの
ですが、その後も、セリフは英語に吹き替えられてるし(なぜか旧
ソ連の人たちのロシア語だけはそのままで、字幕が出てるのに)、
ドラマを盛り上げたり伏線になっている重要なシーンがカットされ
てたり、極めつけは自衛隊の秘密兵器スーパーⅩを「ミサイル」
だなんて言っちゃってるし。
こういうのを見ちゃうと、日本で見る「吹き替え版」なんかも怪しい
もんだな、と思ってしまいます。やっぱり英語をちゃんと勉強して、
オリジナルを原語で見なきゃダメかも。
エンディングの「ゴジラ・愛のテーマ」までカットされてたのも残念
でなりません。英語の歌なのに。それとも版権の問題でもあった
のかな?
それにしても、ハリウッド版『GODZILLA』にもがっかりだったけど、
米国のゴジラファンが、こんなにセンスが無いとは・・・。