Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

「厳島ファンタジア」レポート

2006年04月29日 23時21分50秒 | 音楽
ということで、行って参りました。「厳島ファンタジア」。



初めての生・村治佳織、最高でした。

お天気が良すぎて、日が傾くにつれて気温がぐんぐん下がりました。
スーツだけでは寒かろうとカーディガンを持って行ってはいましたが、
コートとか手袋とかもあったほうがよかったな。というか、この時期に
夜の屋外コンサートは、ちと無謀でしょう。

会場は、厳島神社の高舞台。





異教徒の私は、本殿に入るのは初めてでした。(普段は有料だし。)
異常潮位や台風で度々流されるせいか、真新しい床板が目につき
ました。



A席は回廊部分。ちょうど真横から見る格好でした。でも舞台との間
か開いてて、しかも一番前の席だったので、若干距離はありました
がよく見えました。
音は・・・やはり生ではなくマイクで拾ってました。そりゃそうだよね。
これだけ人がいて(約800人)、しかも屋外。生音が届くわけがない。
まあ、アナログですから、CDのデジタル音よりはましかと。

開演は19時30分。それでも遅れてくる人が結構いました。
普通は遅れたら、MCとか休憩まで待たされるものですが、スタッフ
が優しいのか、一曲終わるごとにゾロゾロと入ってきて、せっかくの
雰囲気がぶち壊しだったのが少し残念でした。

演目は、前半が
①オンブラ・マイ・フ/ヘンデル
②大聖堂/バリオス
③シャコンヌ/バッハ
④あるタンゴ弾きへの哀歌/ブホール
休憩を挟んで、後半が
⑤月の光/ドビュッシー
⑥グノシエンヌ 第1番/サティ
⑦水色スカラー/吉松隆
⑧2つの舟歌/クレンジャンス
⑨サウダージ 第3番/ディアンス
そしてアンコールで、カヴァティーナ/マイヤーズ を弾いてくれました。


        (中国新聞4月29日朝刊より転載)

衣装は、いつものドレスではなく、前半は朱色の上着(セーターに見え
たけど、写真で見るとジャケットっぽい感じですね)に白のスカート付き
パンツ、後半はブルーで統一してボレロのようなものを羽織ってました
が、ほぼ同様のスタイルでした。寒いと弾けないもんね。
普通のライブのように入り口でカメラや録音機器を取り上げられたりは
しませんでしたが、演奏中は撮影禁止だったので、村治さんの写真は
ありません。あしからず。

新月で月の光もなく、照明が落ちた闇夜に、波音と重なりながら響く
ギターの音色は、幻想的で、この世のものとは思えないほどでした。
歴史と信仰の重みを持った、場所と音楽。洋の東西を越えて共通する
何かがあるような気がしました。
クリスチャンも、こういう場でどんどん演奏すればいいのにな。



公演中にどんどん潮が満ち、本殿は海の上。



闇夜に浮かぶ大鳥居。一応ライトアップしてあるのですが、写真だと
分かりづらいですね。

宮島

2006年04月28日 23時57分53秒 | 日記、雑感
このところ、週末に天気が崩れるパターンが続いていたので、心配して
いましたが、これ以上ないほどの快晴となりました。
仕事も午前中で片付いて、万全の態勢で、約3年半ぶりに宮島を訪れ
ることができました。
折角なので、早めに行って、プチ観光。



フェリーから見た厳島神社の大鳥居。



逆から見たらこんな感じ。ちょうど干潮で、鳥居まで歩いて行けました。



宮島といえば、シカ。



そしてネコ? いえいえ、ただの客引きです。



宮島といえば、もみじ饅頭。お茶が付いて、1個90円。



豊臣秀吉が建てさせた千畳閣。未完のままなのだそうです。



1407年建立と伝えられる五重塔。



宝物館。実は1934年建造。でも中身は、れっきとした国宝級資料です。



宝物館の裏手の丘の上に立つ、多宝塔。
インドの墳墓(スツーバ=卒塔婆)の発展型なのだそうです。



そうこうしているうちに日は沈み、潮も満ちてきました。



灯篭に明かりが灯り、夜の帳が降りてきます。

というわけで、明日はコンサートレポートです。

上関

2006年04月27日 23時50分15秒 | 時事・社会
昨日は上関町に行きました。
上関といえば原発、と私の頭にインプットされたのは、大学に入ってから
です。福岡では原発といえば、佐賀の玄海原発で、よそのことまで目が
届きませんでした。
上関と聞いて、下関の近くかな?なんて勝手に思い込んでもいました。
車に乗るようになって道路地図を買って、実は広島に近いのに気づいて
大変驚きました。直線距離だと60kmほどでしょうか。しかも周防大島を
越えたら、ずっと海。万一大事故が起きたら・・・と考えるとぞっとします。
元々は船の荷を検査する番所の一つ「上関」があったことからその名が
付いたそうで、歴史資料館もあります。
周辺の柳井市や平生町にも遺跡・古墳が多くあります。今は少々寂れ
てますが、歴史の古い地域のようです。

原発建設計画が明るみに出たのが1981年。以降、町は賛成・反対両
派に二分され、激しい争いが繰り広げられてきました。町長選、町議会
選とも、反対派が勝ったことはないのですが、数の力でごり押しもでき
ず、計画も遅れに遅れて、町民はうんざりしています。
建設予定地にある神社の神職解任・移転問題や、入会権・漁業権を
めぐる訴訟ももつれていますし、中電の不正行為で工事がストップした
こともありました。環境への影響も議論が続いています。

何故そうまでして、原発の新規建設にこだわるのでしょうか。
原発は「安定」「安価」「安全」「クリーン」などというのは、全てでたらめ
です。コントロールができず、有害物質を大量に生産する、危険極まり
ないものだから、科学の粋を集めて「安全」を確保しようと腐心している
に過ぎません。安いのは、いびつなエネルギー政策と電力会社の策略
の結果です。
国の補助金に依存する地方を批判する声もありますが、地方が国から
の補助金に依存しなければならない財政構造、そして補助金をえさに
地方に押し付ける国の姿勢こそが問題です。
そういえば、今年度中にプルサーマル計画に同意した都道府県には、
新たな補助金が下りるそうで。おかげで島根県が今、補助金目当てに
大急ぎで手続きを進めていて、市民の理解を得るために慎重に議論を
重ねたい松江市との間で、ひと悶着起こりそうな気配です。

上関の場合、少子高齢化で漁業が続けられなくなってきて、海はもう
どうなってもいい、という感覚が賛成派の人々にあるのではないかと
感じてしまいます。原発なんかができても若者は寄り付かないという
ことまでは考えてないのではないでしょうか。
この問題に限りませんが、地方の良さは何か?という視点がいつも
欠けているんですよね。日本中が都会になんてなれっこないんです。
必ず、地方が、田舎が、どこかにある。その良さを引き出すことを考え
ないといけません。
寂れた町は、知恵と努力で再生できますが、失われた自然は元には
戻らない。他に何も無いような所の美しい自然は、守ってほしいな。
私、瀬戸内の海や島々が大好きだから。

CD化

2006年04月25日 23時49分06秒 | 日記、雑感
今週は久々の長距離ドライブ(仕事ですが)。
今日は柳井市と周防大島町に行ってきました。
昨日はものすごい黄砂で霧がかかったような感じでしたが、今日は
一転すっきりと晴れて、気持ちの良いお天気でした。こういう日は、
瀬戸内の海でも充分きれいで、心が洗われるようでした。
旅行大好き、知らない道を走るのも大好きな私にとって、遠方での
仕事はうきうきします。泊りがけの出張だと娘の顔が見れないので
喜び半減ですが、自宅から通える距離だと最高です。
でも役所回りの仕事なので、市町村合併で行き先が減って、最近
ちょっと寂しいです。周防大島も以前は4町だったのに。
帰り道、国道188号で何故か蜂の大群とぶつかって、フロントガラス
が汚れてしまいました。明日出かける前に洗わなくては。

昨日から、あるフリーソフトを使って、DVDの音声をCDに入れる作業
をしています。
元は音楽DVDから曲を抜き出したいと思って入手したソフトなのです
が、今週は仕事も遠方、週末には帰省と、遠距離ドライブが続くの
で、旅のお伴に、映画『いま、会いに行きます』の音声をCD化しよう
と思い立った次第です。
家庭用ビデオがまだそんなに普及しておらず、ビデオソフトを個人で
購入する人もまれだった頃には、映画やドラマの音声にナレーション
が入ったレコードが売られていました。それを思い出して、ちょっぴり
懐かしい気分。

やっぱり基地は要らない

2006年04月24日 23時55分00秒 | 時事・社会
市町村合併の影響もあって、先の日曜日には選挙が集中しました。
全国ニュースでは衆院千葉7区補選が注目の的でしたが、大した
政策論争も無く、小泉首相と小沢代表の人気投票といった感があり
ました。民主候補の勝利も、「メディアが勝たせた」という「世に倦む
日々」
のthessalonike2氏の指摘通りで、民主党が信頼を回復した
わけでも、小沢路線の勝利でもないでしょう。実際、あれほど民主に
肩入れした「報道」がなされたにも関わらず、僅差の「勝利」でした。
参院での与野党逆転は100%無いとは言えませんが、次の総選挙
での政権交代なんて現状では絶対ありえないでしょう。

むしろ注目は、このブログでも何度か触れた岩国市長選と、沖縄市
長選です。
岩国は、井原・旧岩国市長が大差で当選しました。移転を容認し国
の支援策を引き出すとした自民推薦の味村候補は、全く相手にされ
なかった感じです。旧玖珂郡住民も含めた市民の良識ある判断を
大変心強く思います。意外だったのは、基地廃止を訴えた田中氏が
全く票を集められなかったこと。出遅れよりも、共産党までが井原氏
支持に回ったことが大きかったのでしょうか。あるいは岩国市民の
「政治的リアリズム」なのか。多少気になるところです。
沖縄市でも、米軍嘉手納基地の自衛隊共同使用に反対した元衆院
議員(社民)の東門美津子氏が与党候補を破って当選。米軍再編に
「待った」を掛ける大きな勝利であると同時に、沖縄市で勝った陣営
が県知事選も制するとのジンクスもあるだけに、今後に期待が持て
ます。
そういえば東広島市長選では、中川・自民政調会長の次男が、党の
全面支援にも関わらず落選という惨めな結果に終わりました。
「痛み」の最前線にはもうまやかしは通じないということでしょうか。
すべての国民が目覚めてくれるといいのですが。

ぶるぶる

2006年04月23日 14時46分05秒 | 日記、雑感
三寒四温という時期はもう過ぎましたが、まだまだ気候が変わり
やすいこの頃。体調のほうも相変わらず不安定です。ちょっと良く
なるとすぐ夜更かししちゃうのがいけないのですが。
灯油が切れたので、ストーブを片付けたばかりなのに冷え込んで、
週末は大変でした。もううんざりです。
21日には、庄原市北部の道後山で25cmなど、中国山地で積雪
があったそうで。我が家では4月に入ってからは見てませんが。
なんか、地震も立て続けに起きてますしね。ちょっと不気味。

今日は暖かい日差しが戻りましたが、何となく肌寒いのはやはり
風邪のせいかな。
寒い時は、暖かい写真を見るに限る、というわけではありません
が、今日は徳之島で撮ってきたネコの写真を載せます。




忘れ物

2006年04月22日 04時31分09秒 | 日記、雑感
子どもの頃から「忘れ物名人」の私、昨日もやってしまいました。
我が家は築25年以上の古~い借家で、ドアロックも、内側から
ボタンを押してバタンと戸を閉めればカギが掛かる昔のタイプなの
ですが、うっかりキーを持たずに外に出て、見事に締め出されて
しまいました。
独身の頃は、トイレの窓を開けてたままにしていたので、鍵を忘れ
ても窓から侵入できたのですが、最近は戸締りをしっかりするよう
になったので入ることができず、伴侶の勤め先までキーを借りに
走りました。たまたま自転車にロックを掛けてなかったので助かり
ました。家のキーと車のキーを一緒にしてるので、忘れたら車にも
乗れません。去年も同じことがあって、その時は財布も持って出
なかったので、往復2時間ほど歩く羽目になりました。
独身時代には、帰省時に実家のキーを持って帰るのを忘れたこと
もありました。予定より早く着いて家に誰もいなかったので、ネコ
の出入り口になっていた洗面所の窓から入りました。防犯用の柵
が付いてたんですけど、スリムな私は柵と壁の隙間をくぐることが
できました。(でもきっと、私以外にもくぐれる人いるよね。防犯上
問題ありかも。窓はちゃんとロックしましょう。)
忘れっぽいし、すぐ物をなくすからと、必要なものは決めたカバン
に入れて玄関先に置いておくようにしてるのですが、そのカバン
を持たずに出たり、別の場所に置いてたのに気づかなかったり、
必ず何かを忘れます。すぐに気づいて取りに戻ることが多いので、
実害は少ないですが、遅刻は多いです。(^^;)
最近は記憶力も怪しくなってきたし・・・。病気かも。

原爆資料館、重文指定へ

2006年04月21日 22時28分37秒 | ヒロシマ
原爆資料館を国重文に指定へ
                       中国新聞ニュース '06/4/21

 広島市の広島平和記念資料館(原爆資料館)と世界平和記念聖堂
が21日、国の重要文化財に指定されることになった。被爆地の関係
者からは喜びとともに「建物の中身を充実させたい」「平和への願いを
知って」などの声が上がった。
 原爆資料館の前田耕一郎館長は「昨年は被爆60年、資料館開館
50年という節目だった。時宜を得た決定でうれしい」と歓迎。「被爆者
の思いを伝える役割は、より重要になっている。今後も展示の充実に
努めたい」と決意を新たにした。
 元館長で被爆者の高橋昭博さんも「建物の外形だけでなく、世界に
核兵器廃絶を訴えてきた中身を見てほしい」と強調。広島市の秋葉
忠利市長は「大変喜ばしく思い、保存・継承にあらためて責任の重さ
を感じている」とコメントした。
 二つの建物では1981年に前ローマ法王の故ヨハネ・パウロ二世が
平和アピールを発表し、祈りをささげた。カトリック広島司教区の肥塚
司・平和の使徒推進室長は「戦後9年で聖堂が建ったのは奇跡。
『もう二度と戦争をしてはいけない』という願いが結集した。その意志
を大切にしなければならない」と話した。

 ※ ○は、人偏に孝です。

別のソースによると、文化審議会(阿刀田高会長)が広島平和記念
資料館(広島市)など12件を重要文化財(建造物)に新たに指定する
よう文部科学相に答申した、ということらしいです。まあ、答申通りに
決定されるだろう、ということのようですが。
平和資料館と世界平和記念聖堂、いずれも戦後建築としては初めて
の重文指定となるそうです。
詳しいことは知りませんが、重文に指定されると文化庁の許可なしに
改修や解体ができなくなるようです。その代わり管理・補修の費用が
一部国から出るようになるので、財政難の広島市には朗報でしょう。

広島平和記念資料館は、懸賞募集で1等入選した丹下健三氏が設計
し、1955年に開館。鉄筋コンクリート造りで、柱10本を弓形に2列配置
するなど優れたデザインが国際的に高い評価を受けた。54年に完成
した世界平和記念聖堂は、原爆犠牲者を弔うために企画された教会
堂で、村野藤吾氏による設計。
(読売新聞記事より引用)

慰霊碑も含め、平和公園全体が丹下氏の設計です。平和大橋(市民
の評判は芳しくない)の設計者・イサム=ノグチ氏の幻の企画をめぐる
経緯など、広島の「復興」史にもいろいろあるのですが、まだ勉強中
なので今回は割愛します。
とりあえず、先日の原爆ドーム現状保存決定と併せて、被爆体験の
継承に最低限の条件は担保されて、ひと安心といったところです。



またまた春の嵐

2006年04月21日 03時12分49秒 | 日記、雑感
全国的に荒れた天気だった昨日、突風でテレビのアンテナが
倒れてしまいました。



風が収まらないと直せないので、今日までテレビは封印。

思い出したように寒くなることもありますが、春真っ盛り。
今年もイチゴの花が咲きました。
白い花に混じって、ピンクの花も。去年は無かったのになぁ。



ナショナリズムと教会

2006年04月20日 03時14分54秒 | 時事・社会
今に始まったことではないとはいえ、ここ最近、思想・信条の自由、信教
の自由に関して、ナショナリズムの圧迫が強まっています。
「内面まで立ち入って強制するものではない」はずだった「国旗国家法」
を盾に、「君が代」斉唱時の起立や伴奏を拒否した教員が処分を受ける
時代です。個人の権利は、制約・無視される一方です。
昨年、JR福知山線の脱線事故を取り上げた記事「組織というもの」で、
命令に従うことは社会常識、という趣旨のことを書きましたが、あれは
上司の命令に従って、救助活動をせずに職場に向かったJR運転士を
批判する人々に対して、「そういうあなたはどうなのか?」と問うたもの
で、そのような「常識」を肯定したわけではありません。
もちろん世の中がうまく動くためには一定の「ルール」が必要ですが、
少なくとも教育の場において、自分の頭で考えることや信念を貫くこと
を放棄して唯々諾々と命令に従うことが、子どもたちのよい手本となる
のかどうか、自分たちの子どもがロボットになることを望んでいるのか、
聞いてみたいものです。
キリスト教会は、そうした時代の流れに抗って、人々の良心を守る砦と
なってほしいと願っていますが、先日ちょっと挫けてしまうような出来事
がありました。KGKでお世話になっているYさんが、ご自身のブログで
紹介していた、『クリスチャン新聞』に書かれた記事がその原因です。
以下、許可を得て転載いたします。

以下の原稿を「クリスチャン新聞2006年4月9日号」に書きました。
私がつけたタイトルは「ひとりの学生の決断から見えるもの」だったの
ですが、「教育現場に露骨な思想選別」というタイトルに変更されて
いましたが・・・・・。

●この4月から東京都の小学校教諭になる予定だったM君が「辞退
してきました」と報告してくれた。担任学級も確認した帰り際、彼から
「君が代は歌うことも立つこともできない」と校長に伝えた。校長は
教育委員会まで同行し「立つだけで歌わなくてよい」と彼の姿勢に
一定の理解を示した。しかし教育委員会は「不採用にはできないが、
君から採用辞退することはできる」と回答した。
●KGKでは昨年秋、「君が代」や戦時中の教会の堕落を学んだ。
彼は卒業論文で「国旗国歌」に関して綿密に調査をした。M君は
「信仰には命がかかっているのですよね。偶像礼拝の罪を犯すこと
はできません。だから『君が代』は歌えないのです。後悔はしていま
せん」と淡々と語った。
●足音を忍ばせてやってくる国家主義や思想統制などの危機感を
訴えるキリスト者の主張に私は同意している。しかし少々「うんざり」
しているのが本音だ。なぜなら戦時中の教会の過ちを指摘する声と、
やがて訪れる国家主義に目を覚ますようにと訴える声ばかりで、主
の前での誠実と悔い改めを多くの牧師たちでさえ素通りし、沈黙し
ているからだ。
●日本の教会が戦時中、天皇制に屈し、神社参拝をし、礼拝の中
で「君が代」を歌い、ある教団では信仰告白まで変更していたこと
は周知の事実だ。しかし戦時中に偶像礼拝の罪を犯していた牧師
たちが戦後も各教団教派の指導的な立場に立ち、明確に悔い改め
ることは少なかった。戦後の文献を読むと、罪の自覚さえなかった
牧師たちも見受けられる。戦後50年に多くの教団が戦責告白をし
たが、告白まで時間かかってしまったのは「戦時中の先生が生き
ている間には、モノが言えなかった」という本音の声がもれ聞こえ
てくる。問われるべきは、戦後「目上の先生にモノが言えなかった」
「ご苦労された戦時中の先生方にむち打つようなことはできない」
「あの時は仕方なかった」「現代から過去を裁いてはならない(まる
で『つくる会』の主張と同じ)」等の理由で、悔い改めをあやふやに
した罪だ。
●一人のキリスト者学生が「信仰には命がかかっているから」と、
教員採用試験に合格していながらキリストに服従し苦難の道を
歩もうとしている時代に、私たちが偶像礼拝を犯してきた先輩牧師
たちに対し、明確に悔い改めるように一歩も怯まず、しかし謙遜に
丁寧に語れなかったことを神の前に心から恥じ悔い改めたい。 
●若い世代は日本の近代史を知らないと同様、日本(の)戦時下の
教会史を知らないのは悔い改めのあいまいさを物語っている。若者
が教会に少ないのは教会に魅力がないからではなく、教会の大人
たちにキリストにある真実な生き方を見出すことができないからだ。


この記事を読んで、私は内容より先に冒頭に書かれた一文に引っか
かって、こんなコメントを書きました。

こんばんは。いつも読ませていただいてます。
>私がつけたタイトルは「ひとりの学生の決断から見えるもの」
だったのですが、「教育現場に露骨な思想選別」というタイトルに
変更されていましたが・・・・・。

そうなんですか。いのちのことば社の編集姿勢に疑問を感じて
しまいますね。「受難」を強調したほうが読者受けはいいのかも
知れませんが、記事が指摘する問題を曖昧にして、同じ過ちを
繰り返しているように見えます。


Yさんからの返事はこうでした。

「同じ過ちを・・・」という**さんのコメント、実は、私もそこのこと
を感じているのです。そのように読んでいただけること、感謝して
います。


決して自慢するつもりはありません。むしろ、私の読み込みすぎで
あればと思っていました。しかしどうも、教会の歴史認識の甘さ、
罪の自覚の浅さは否めないようです。
教会は第三者的に警鐘を鳴らすのでなく、「命をかけて」この時代
に取り組まなくてはなりません。「クリスチャン新聞」も単なる宣伝
広告媒体ではなくキリスト教ジャーナリズムであるならば、「教会
改革」の訴えをありきたりの「ナショナリズム批判」にすり替える、
それこそ「思想選別」のごときタイトル変更は言語道断です。
従来の枠に閉じこもったままならば、教会は社会に対して影響力
は持てませんし、人々から見向きもされないでしょう。