Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

雨、まだかな

2005年05月31日 23時59分49秒 | 『いま、会いにゆきます』
本日5月31日を以って、諏訪市の花松館という劇場が閉館となりました。
そして、昨年10月30日の一般公開以降、214日間全国どこかの劇場で
上映され続けた映画『いま、会いにゆきます』が、終了となりました。
レンタル開始まで、9日間空いちゃったな。残念。
先々週くらいまでは、レンタル開始したら即借りる気満々だっだのですが、
最近の新作はDVDばかりでVHSの本数は少ないし(前述の通り、我が家
にはまだDVDプレーヤーが無い)、新作だとすぐ返さなくちゃいけないし、
ちょっと迷ってます。でも、24日にDVD届いても、どっちみち見れないんだ
もんね。借りるかな、やっぱり。

このところ、広島でも夏のような暑さが続いてます。
私の誕生日に伴侶が、紫陽花の鉢植えをプレゼントしてくれたのですが、
「日当たりのよいところに置いてください」と書いてあったので、その通りに
したら、この陽気ですっかりしおれてしまいました。
雨降ってくれないかなぁ。

ヒナゴン

2005年05月30日 23時01分41秒 | 映画・ドラマ
28日から広島で先行上映が始まった、ご当地映画の『ヒナゴン』。
ご存じない方のために一応ご説明しておきますと、30年ほど前に
広島県比婆郡(現在は庄原市)西城町で謎の怪物「ヒバゴン」が
目撃され、全国的に話題になった出来事がモチーフになっています。
私は元々広島人じゃないし、リアルタイムでは知らない世代ですが、
かつて月刊『ムー』を愛読してましたので、興味をそそられました。
重松清の原作『いとしのヒナゴン』は、実は「井川遥の映画を作る
ための書き下ろし」だったのだそうです。(最近はそういうの、流行
なんですかね。福井晴敏の『終戦のローレライ』や『亡国のイージス』
も映画製作と平行して書かれたみたいですし。)
で、映画化の段階で、スタッフの1人がRCC中国放送の横山雄二アナ
(KEN-JINバンドのリーダーとして「うたばん」に出演したこともある、
名物アナです。私のお気に入り)に話を持ちかけ、横山アナがRCCに
協力を依頼したおかげで、映画が動き出したという裏がありまして、
早くから気にかけていた作品でもありました。
(そうでなきゃ、観に行かなかったかも・・・)

さて、中身の話ですが、「井川遥のための作品」にしては、彼女、存在
薄すぎです。田舎臭さは出てますが、それゆえに「華」になれてません。
かといって、パワーで周囲を圧倒するわけでも、感動させる役回りでも
なく、「ワトソン役」で終わってしまっています。
伊原剛志をはじめ、その他のキャストはなかなかの好演です。この手の
「ありえない話」は話に入って行けなかったらおしまいですが、見事に
魅了してくれてます。子役もよかったです。
個人的には、久々に嶋田久作を観れて嬉しかったです。
ただ、劇場公開するほどの話かな? ご当地映画じゃなくて、正規料金
だったら、「もったいなかった」と思ってたかも。

あと、中盤以降の「市町村合併」をめぐる展開は、「総務省推薦」だから
か、合併推進側の主張ばかりが聞かれたのが残念でした。現実には
「合併やむなし」でも、夢や理想を描いた映画なんだから、違った結末
でもよかったんじゃないかな。

愛国教育

2005年05月28日 23時50分11秒 | 時事・社会
シンガポールで約10年宣教師をされた方の講演を聞きました。
東南アジアの国に関しては、海外経験のない私はほとんど
知りませんので、とても新鮮なためになる話ばかりでしたが、
愛国教育に関する話はとりわけ興味深かったです。

シンガポールでは、日本統治下の3年半について、小中学校
で詳細に学ぶそうです。日本軍の残虐行為をまとめた特別な
教科書まであります。追体験のための模擬演習まであるのだ
そうです。
なぜそこまで教えるのかというと、「二度とそのような侵略を
受けないために、自分たちの国は自分たちで守る」という意識
を国民に植え付けるためだそうです。日本と違って、いざという
時は簡単に国外に脱出するお国柄なので、愛国心を育てて、
つなぎとめようという意図があるようです。
なので、現在の日本に対して特別な感情は抱いてないようだ、
というお話でした。あくまで個人の経験に基づく判断ですので、
どこまで一般化していいものかわかりませんが。
(中国や韓国だって、実際そこに居合わせた人たちの話では、
過激な行動はごく一部の場所・人々に限られていたようです
し、一般の感情としてはそれほど「反日」ではないのかも。)

それはともかく、アジア諸国の「愛国教育」と日本のそれとの
違いについて、少し考えさせられました。
中韓では行き過ぎの面があるものの、基本的にアジアでの
「愛国教育」は侵略された側の視点で「二度と悲劇を繰り返
さないために」行われています。ところが日本で「愛国教育」
というと、過去の悲劇を直視せず、功績や繁栄を強調する
ことで「誇り」を植え付けようという類いのものです。
日本では戦争被害について学ぶのは「平和教育」ですよね。
私の知る限りは、一部の人が騒ぐほど「加害責任」には触れ
られていませんが、「戦争はよくない」という抽象論で終わる
ものがほとんどだと思います。日本が唯一被害を受けたのが
対米戦争なので、アメリカへの遠慮もあるかと思いますが、
戦争責任を国民がきちんと追及しなかったことが、このような
中途半端な「平和教育」を生んだ要因だろうと思います。





祝日

2005年05月27日 00時40分47秒 | 時事・社会
確か5/3の記事とコメントでちょっと触れましたが、
「昭和の日」について改めて書きたいと思います。
(前の記事を思わせぶりな結びにしたのはこのためです。)

今年が平成17年ですから、高校1年生は平成生まれなんですね。
先日は、昭和60年代生まれの母親にも出会いました。
時代は確実に変化しています。それに抗おうとする、右寄りの
思想の持ち主たちの動きも激しくなっているようです。
昭和天皇が亡くなった直後から、4/29を「昭和の日」にしようと
する動きはありました。結局昭和天皇の植物学者としての功績や
自然への愛着とか何とかを持ち出して、「みどりの日」に落ち着き
ましたが、この時期に改めて「昭和の日」に変えられたことを考え
ると、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の
将来に思いをいたす」というのは建前で、昭和天皇に直接結びつく
祝日を4/29に作りたかっただけだろうな、と思わずにいられません。

「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来
に思いをいたす」のが良いか悪いかはともかく、それが4/29である
必然性は無いといっていいでしょう。私が思いつくだけでも、
・昭和が始まった日 12/25
・昭和天皇即位の礼 11/10
・太平洋戦争開戦の日 12/8
・敗戦記念日 8/15
・昭和が終わった日 1/7
などのほうが、まだ裕仁天皇個人ではなく「昭和」という時代を象徴
する日としてベターなのではないかと考えます。
個人的には、12/25にして、欧米のクリスマス休暇のような「第二の
ゴールデンウィーク」を作ったらいいのにな、と思うのですが。

代わりに「みどりの日」を5/4に、というのもこの日の成り立ちや趣旨
を考えると筋が通りません。大体'85年の法改正で、祝日に挟まれた
日は休日とすることにしたのは、この5/4を念頭に置いた措置であり、
今回の「みどりの日」の移動はこの条項を無用の長物にするものでも
あります。また、この条項や「海の日」の新設には、「日本人は働き
すぎだ」という内外からの批判への対応という側面もあったはずです。
祝日にしないと休まない(休めない)のも問題ですが、それはさておき
新たに休日を増やすという選択肢はなかったのか、不思議です。

私はエホバの証人のように「誕生日を祝う」ことを否定はしませんが、
祝日にして全国民に祝わせるという発想には、抵抗を覚えます。
天皇はそれで嬉しいのかな? 園遊会で、日の丸・君が代について
「強制はよろしくない」と言ってましたが、祝日だったらいいのかな?
明治以前はもちろん、戦前の天皇制においても「誕生日を祝う」のは
決まり事ではなかった、という事実もあります。
明治天皇の誕生日が「明治節」として復活するのは、昭和に入って
からですし、大正時代の「天長節」は大正天皇の誕生日の8/31では
なく10/31でした。そしてどちらも、大正天皇の死後は祝日になって
いません。
昭和天皇のために祝いたい人が勝手に集まるのは構いませんが、
こんな矛盾だらけの祝日を押し付けて、何を目論んでいるのか、
気が気でならないこの頃です。

誕生日

2005年05月26日 00時52分36秒 | 日記、雑感
テンプレート変えてみました。
字は大きいけど、ちょっと読みにくいかな? そのうち慣れるかな?

昨日は、歌手の陣内大蔵の誕生日でした。
別に「今日は何の日」をやるつもりはないですが、伴侶がファンなもので。
で、一日違いで、今日は私の誕生日。
「お誕生会ごっこ」がすきな娘は、今日も祝ってくれるかな?
でも、今日がほんとの誕生日だって、わかってくれないんだろうな。

年をとったから、だけでなく、恋人や家族ができると、自分の誕生日って
そんなに重要じゃなくなる気がします。祝ってもらったなら悪い気はしま
せんが、愛する人の誕生日を祝ってあげることのほうが、断然いいです。

もし自分の誕生日が「祝日」になったりしたら、どんな気分になるのかな?

地震

2005年05月25日 21時57分16秒 | 日記、雑感
娘を寝かしつけていたら、ゆーらゆーらと・・・
震源は豊後水道でM4.7、広島市は震度1だったようですが、
2階で横になっていたから強く感じたのか、とにかく揺れました。
30秒くらい続いたかな? 一瞬、阪神大震災を思い出しました。
幸い広島では、2001年の芸予地震以降、大きな地震は起きて
ませんが、最近小さな地震が続いてて気になります。
地震対策もちゃんとやらなきゃなぁ・・・

ひとは死んだらどこにゆくの?

2005年05月24日 23時56分31秒 | 『いま、会いにゆきます』
丹波哲郎ではありません。って、今の若い人には通じないかな?
たびたび取り上げております『いま、会いにゆきます』の予告編に
出てきた言葉です。
(例によってネタバレありですのでご注意ください。)

メディアのレビューには、この「ひとは死んだらどこにゆくの?」が
この映画の重要なテーマだとするものや、子どもにもわかるように
この問いに答えた作品とまで言い切っているものもありました。
でも、よく考えると、そういう見方は外れてるな、と思います。
確かにファンタジーでありながら人の「死」を丁寧に描いている点
は評価できますが、この映画はどこまでもフィクションです。
雨の季節に現れる澪は、本当はアーカイブ星から戻って来たわけ
ではありません。9年前の澪がタイムスリップするのです。だから
死んだ澪がその後どうなったのか、実のところ映画は何も語って
いません。アーカイブ星の物語は、大人の「優しい嘘」なのです。
(原作だと、アーカイブ星は澪ではなく巧の創作になっています)
もちろん、神話のような物語でも、そこに真理が含まれているなら
否定されるものではありませんが、この映画は事実としての「死」
はきちんと描いていますが、哲学が全くありませんから、ただの
「作り話」で終ってしまっているのです。
映画そのものは、とてもいいものですよ。この映画のテーマは、
「いかに生きるか」だと私は思ってますが、その点に関しては
ほんとによくできた作品だと思います。

今回この話題を取り上げたのにはわけがありまして、先月と
つい先日、私の2人の友人が立て続けに伴侶を亡くしたのです。
2人とも、幼い子どももいて、幸せいっぱいだったのに・・・。
「優しい嘘」では現実の「死」の悲しみは覆い隠せません。
「死」の恐ろしさを乗り越えることもできません。
耳障りのいい言葉ではなく、「確かな希望」こそが必要です。

靖国問題の本質 その3

2005年05月23日 23時23分09秒 | 時事・社会
神道では、「死」は最も忌むべき「穢れ」の1つですから、
葬儀や納骨は決して神社では行いません。
よく日本の仏教は「葬式仏教」だと揶揄されますが、神道は
仏教などの他宗教に葬儀を委託しなければ成り立たない
宗教なのです。
では、神社では何をするのかといいますと、霊を「召喚」して
慰めたり、御利益に与ったりする儀式を執り行っています。
神道は「シャーマニズム」なわけです。
ですから、仏教やキリスト教といった宗教とは相容れない
部分が当然出てきます。
それが個々人や宗教同士の間の問題である限りは各人の
「自由」で構わないのですが、政治が介入して「公の宗教」
などという概念が持ち出されてくると様相は一変します。
靖国・護国神社で死者の霊を「召喚」して「慰霊」が行われる
ためには、死者がまだ「慰められていない」ことが前提となり
ます。つまり他宗教は否定されるわけです。そのような思想
を政府が公認するならば、「公の宗教」と「個人の宗教」の
並存ではなく、政府による宗教の選別になってしまいます。

神社は本来、一宗教法人に過ぎないはずですが、「伝統」の
名の下に宗教の強制がなされている、という問題もあります。
「氏子制度」がそれです。檀家制度や幼児洗礼など、イエ制度
と結びついた問題は他宗教にもありますが、現代では個人の
意思で離れることは一応可能です。しかし神道の場合は、その
土地に住む限り、本人の意思に関わらず「氏子」にされ、組み
込まれていきます。(たとえば「町内会費」を通して神社に寄付
させられたり、「伝統行事」への参加を求められたり)
靖国・護国神社の「合祀」も同様の問題を抱えています。個人
の信仰や思想・信条によって拒否することはできない、とされる
からです。(自衛隊合祀拒否訴訟 最高裁判決)
靖国・護国神社では、戦死者が「神」になるわけですが、その
「神」とは国を守る「軍神」のことなんですよね。言ってみれば、
死んだ後もまた兵役が課せられる(しかも半永久的に)ような
ものです。死んでも国家に支配され続けるわけです。
靖国の政治的利用、政府の関与は、国民の内面の自由を奪う、
との批判が宗教家や知識人から絶えないのは、そのためです。

靖国問題の本質 その2

2005年05月22日 23時24分29秒 | 時事・社会
今朝の中国新聞に、加藤典洋氏の評論が載っていました。
加藤氏によると、世界大戦という「イデオロギー(大義)」
の対決に敗れた国は、その大義を否定され、戦勝国の大義に
「転向」せざるをえなくなるのだそうです。
つまり、現在日本人が信奉している「民主主義」とは戦争の
死者から見れば「敵のイデオロギー」であり、彼らにとって
我々は「裏切り者」にほかならない。その我々が「それでも、
戦争の死者たちに対し、自分たちは、あなた方のおかげで、
今の平和を享受できていると感謝するとすれば、それは、
『自然』な振る舞いではない」わけです。
「わたし達はいま、『自然な感情』から切り離された世界を
生きている。いま必要な歴史認識とは、これではないのか」
と加藤氏は、「愛国心」を「自然な感情」だと言いくるめよう
とする勢力、その歴史認識に対して異を唱えています。

日本が「平和国家」であるとするなら、その根拠は憲法であり、
戦後の数々の「民主化」政策であるはずです。
「伝統」とか「自然」を口実に、それらがなし崩し的に改悪されて
いる現実に対して、日本人自らが危機感を持つべきです。
言葉だけの「平和国家」なら、「民主主義人民共和国」と自称する
どこかの独裁国家となんら変わりはありません。
もし本当に戦争をする気がないのなら、靖国・護国神社なんて
必要ないはずですし。

そもそも、国家が宗教を持たなければいけない理由がわかりません。
「国のために命を捧げた人」に報いるために、叙位叙勲があり、遺族
年金や恩給があるはずです。その上に宗教まで持ち出さなければ
ならないというのは、それらの制度だけでは不十分であり、政府は
責任を果たしていない、と自ら認めることにほかなりません。
靖国参拝より先にすることがあるでしょ、と言いたい。
「個人の信教の自由」を口実にするならなおのこと、「だったら公務を
優先しなさい」と言わずにおれません。
だって普段、「自分の権利ばかり主張するのはよくない」って言ってる
人たちだもん。示しがつかないって、わからないんですかね。

片山

2005年05月21日 00時18分46秒 | 日記、雑感
私の友人にも「片山くん」がいますが、彼の話ではなく、お相撲さんの話です。

現在両国で行われてます大相撲夏場所で、新入幕の「片山」が13日目で勝ち
越しを決めました。実は私、ひそかに、この片山関に注目していたんです。
というのも、場所前にこんな記事を見つけてしまったもので。

スポーツニュース 更新日時 : 2005年04月26日(火)03:35  サンケイスポーツ

新入幕・片山、得意の押し相撲で三勝目指す

新入幕の片山は「勝ち越しと三賞を目指してがんばりたい」と決意表明。
幕下時代には7戦全敗の屈辱を味わったこともあるが、十両昇進後は、
専大相撲部の先輩、元大関武双山(現藤島親方)のような豪快な押し
相撲に磨きがかかった。部屋を興して10年目にして初めて幕内力士を
誕生させた師匠の阿武松親方(元関脇益荒雄)は「まずは大関、横綱と
対戦できる位置まであがってもらいたい」とはっぱをかけた。

元記事は削除されましたのでコピーを載せましたが、それにしてもものすごい
「誤植」ですよね。(この言葉もそのうち死語になるのかな)
まあ、あと1番勝てば敢闘賞の可能性も出てくるので、頑張ってほしいものです。