Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

いまを生きる

2006年01月31日 22時39分58秒 | 映画・ドラマ
しゅじさんのブログ「FarWestCafe」で『真夏の夜の夢』の話が
載ってまして、読んでて『いまを生きる』を思い出しました。
映画の中で、演劇好きの生徒が出演する劇中劇として『真夏
の夜の夢』が使われているのです。
以下、goo映画に紹介されているあらすじを転載します。
(ネタバレありですので、未見の方はご注意。)

1959年、バーモントの全寮制学院ウェルトン・アカデミーの新
学期に、同校のOBという英語教師ジョン・キーティング(ロビン・
ウィリアムス)が赴任してきた。ノーラン校長(ノーマン・ロイド)の
下、厳格な規則に縛られている学生たちは、このキーティング
の風変わりな授業に、最初はとまどうものの、次第に行動力を
刺激され、新鮮な考えに目覚めてゆくのだった。ある日生徒の
ニール(ロバート・ショーン・レナード)は学校の古い年鑑に、
キーティングが学生時代に『デッド・ポエッツ・ソサエティ』という
クラブを作っていたことを見つけ、ダルトン(ゲイル・ハンセン)や
ノックス(ジョシュ・チャールズ)らと共に、近くの洞窟でクラブを
再開させる。ニールの同室である転校生のトッド(イーサン・
ホーク)も、誘われるままそれに加わった。そして彼らは自らを
語りあうことで自分がやりたいものは何か自覚してゆくのだった。
ノックスはクリス(アレキサンドラ・パワーズ)という娘との恋を
実らせ、ニールは俳優を志し『真夏の夜の夢』の舞台に立った。
しかし父親(カートウッド・スミス)に反対され、陸軍士官学校に
転校させられることになったニールは自ら命を絶った。この事件
を捜査する学校側は、退学処分を切り札にデッド・ポエッツ・
ソサエティのメンバーに証言を強要し、やがてそれは煽動者と
してキーティングの責任問題に結びつけられ、彼は退職を余儀
なくされる。キーティングが学院を去る日、トッドたちは校長の
制止も聞かず机の上に立ちキーティングを見送る。それは彼ら
のせめてもの抵抗の証しであった。


私はこの映画、そんなに好きでもないし、特に感動したわけでも
ありません。ついでに言えば、シェークスピアが好きなわけでも
ありません。何で劇中劇まで覚えてたかというと、大学の英語の
授業の教材にこの映画が使われて、トータルで5,6回観せられて、
英語劇までやらされたからです。
初めて観た時は、ヘッセの『車輪の下』を米国人好みの「少年の
成長物語」にアレンジした、いかにもハリウッドって感じの作品
だと思いました。ロビン=ウィリアムスをはまり役と見るか、ワン
パターンと見るか意見が分かれるようですが、私は配役も、演出
や物語の展開も、まあまあ好きです。でもラストには感動できな
かったな。
レビューやブログなどを見ると、リアリティを感じられないという
意見が多くありましたが、戦後の「一億総中流」の社会で「平等」
な教育を受けてきた我々には感じられなくて当然でしょう。この
話は上流階級と、自分たちも上流になりたいとあくせくする人達
の悲喜劇ですから。「Dead Poets Sociaty」も、少年達がおませな
インテリ坊ちゃんだという前提で見ないとついて行けないでしょう
(映画は一般向けに毒気を抜いてあるからつまらないというのも
ありますが)。

今回、記事にするために改めて思い出してて、ずっと気になって
いた「彼らはあの後どうなるのだろう」という問いの答えがパッと
ひらめきました。
キーティングと再び心を通わせるけれど、結局彼らは元通りの
日常に戻るのではないか。キーティングもそのことは承知の上
で、全てを受け入れたのではないか。
・・・これだと、遠藤周作の『沈黙』と同じですね。
私があのラストを好きになれないのは、そのせいだったのかも。