Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

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2006年01月03日 23時33分47秒 | 日記、雑感
言葉のイメージと現実の落差に愕然としたり、呆れ返ることが、最近
増えたように思います。大抵は無知ゆえの誤解や思い込みに由来
することでしょうが、いろいろ調べたり学んだりしているうちに、どうも
意図的に誤ったイメージを流している者がいるのではないか、と気に
なる事例に出くわすようになりました。
今、斎藤貴男著『「非国民」のすすめ』(筑摩書房)を読んでいますが、
この本にも書かれているように、国家権力が語ること、しようとしている
ことを鵜呑みにすることは、とても危険なことであるかも知れません。
少なくとも、自分の頭で、打算抜きにきちんと物を考えている人なら、
権力の全面擁護・反対者への容赦なき攻撃といった行動は取れない
はずだと思うのですが、理屈よりもトレンドが優先されるようです。
ところで、この本の中で、大変皮肉なコメントが紹介されていました。
教育課程審議会会長として「ゆとり教育」導入をリードした、作家の
三浦朱門氏の発言です。
「できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を
上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすこと
に振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていき
ます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを
養っておいてもらえばいいんです。
日本の平均学力が高いのは、遅れてる国が近代国家に追いつけ追い
越せと国民の尻を叩いてきた結果ですよ。国際比較をすれば、アメリカ
やヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てくる。それが
“ゆとり教育”の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、
回りくどく言っただけだ」

差別思想の凄まじさや、国民を国家に奉仕するための道具としてしか
見ない人間観・教育観の貧相には、今回は触れません。
皮肉だと言ったのは、昨年大騒ぎになった「学力低下」が、実は「ゆとり
教育」の提唱者には初めから折り込み済みだったということです。私も
含めて多くの人が、自分のイメージした「ゆとり教育」に基づいて理想を
述べていたに過ぎなかったのです。担当大臣すらご存じなかったよう
ですから、仕方の無い面もありますが。
教育の路線変更は、もしかすると瓢箪から駒かも知れません。
それにしても、知らないというのは恐ろしいものです。