Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

感想(仮)

2006年01月10日 23時54分21秒 | 学座
昨日触れた平和学習の感想文の下書きです。
まだ未完ですけど、ブログに載せてもよさそうな内容
にまとまったので、UPします。

今日も原爆慰霊碑の横で、日の丸が揺れている。
歩いている時は意識してないと気づかないが、平和
資料館の窓から慰霊碑を見ると、嫌でも目に入る。
詩人・栗原貞子さんはこの旗を見て、
 日の丸の赤は じんみんの血
 白地の白は じんみんの骨
と断じた。(詩集『ヒロシマというとき』収録「旗(二)」)
この旗の下に推し進められた侵略戦争に、被爆者も
駆り出され、協力させられ、大きな犠牲を払う結果と
なった。その旗が慰霊碑の隣に掲げられているのに、
死んだ者たちは「安らかに」眠れるだろうか。
今なおその旗を「国旗」とし続けるこの国は、本当に
「過ち」を繰り返さないだろうか。

栗原さんには学生の時に、二度お会いしている。92年
の8月6日と9月17日。二度目は、カンボジアPKO先遣
隊派遣を阻止すべく、呉基地前で開かれた集会にて
であった。既に足を悪くされ車椅子に乗っておられたと
思うが、反戦の詩を朗読し平和を訴えるその声と、
「これからはあなたたち若い人に頑張ってほしい」と
言って握った手の力強さは、今でも忘れられない。
あれから随分経ってしまった。10年越しの懸案だった
広島での平和学習をようやく実現させ、これでいくらか
栗原さんの期待に応えることができたかと思う。
残念ながら彼女は、1年前に亡くなってしまったけれど、
彼女の思いを受け継いで、次の一歩を歩み出したい。

92年夏の参院選広島選挙区で、「PKOはもう決まった
こと」と選挙の争点から外した社会党(当時)に反発し、
市民団体が担ぎ出した栗原君子氏が、党公認候補を
破って見事当選を果たすという「事件」があった。
今では考えられないことかも知れない。しかし平和を
求める人々の思いが集まれば、たとえ「奇跡」であって
も同じことは必ず起きると信じたい。