Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

おかげさまで

2007年03月31日 23時41分50秒 | 日記、雑感
このブログも開設2周年を迎えました。
昨年12月から4ヵ月近くブランクが開いてしまいましたが、その間も
毎日チェックして下さっていた方もいて、感激に堪えません。
本当にありがとうございました。

日記ブログを立ち上げた直後に職を変わり、11月下旬から今の職場
に異動になって、以来仕事に追われて自分の時間が持てなくなって
しまいました。過労に、プライベートのゴタゴタも重なって体調も崩し、
自宅のPCを触れない日がずっと続いて、日記のほうは時々は更新
してましたが、こちらは放置しっ放しでした。
「次回は統帥権の独立について」と予告していたので、たまに「今日
は書こうかな」と思うことがあっても、それを片付けるまで他の記事は
書けなかった、というのもありますが。
植木等さんの訃報で、踏ん切りがつきました。私はプロではないけど、
やっぱり書かなきゃ始まらないですから。
あ、「統帥権の独立」も近いうちに必ず書きます。

今日は、私が生まれ変わって16回目の記念日でもあります。
ブログに書くのは初めてかな?「'91年のイースター」とどこかに書いた
記憶がありますが。
(別に狙ってこの日に始めたわけじゃないですよ。たまたまです。)
たぶんそれでだと思いますが(何も言われなかったので)、伴侶と娘
から花をもらいました。かすみ草の花束です。



机の上に花瓶を置くと、何だか死んじゃったみたい・・・。
昨日は帰りの電車でひどい目眩と吐き気がして、家に帰ってからは
右目に激痛が走って、救急車を呼ぼうかと真剣に考えるほどでした
が、まだ生きてます。(今は元気です。)
そういえば、私のPCも初公開ですね。
私は白い花が大好きです。一番好きなのはスズランで、白梅とか、
ユリとか、ヒメジオンなんかも好き。
かすみ草を好きになったのは、Winkの鈴木早智子がラジオで好きな
花だと言ってたから、だった気がします。(記憶が曖昧ですが・・・)
まあ、きっかけはどうでもいいんです。今好きだという事実が大切。
「一度かすみ草の花束を貰ってみたい」という夢を叶えてくれた伴侶
と娘に、心から感謝です。

遺憾に存じます

2007年03月28日 23時29分33秒 | 日記、雑感
植木等さん死去、肺気腫10年延命拒む
                nikkansports.com 2007年3月28日(水)09:24

 「クレージーキャッツ」のメンバーとして高度成長時代に爆発的な人気
を博したコメディアンで俳優の植木等さんが27日午前10時41分、都内の
病院で呼吸不全のため亡くなった。80歳。「お呼びでない?」のギャグや
大ヒット曲「スーダラ節」、映画「無責任男シリーズ」で60年代の日本に
笑いを振りまいた。今年1月に入院し、3月中旬から病状が悪化していた。
故人の遺言で通夜・告別式は密葬で営み、後日、お別れ会を開く予定。
喪主は長男広司(ひろし)さん。
 植木さんは、妻の登美子さんと3人の娘さんにみとられながら、静かに
息を引き取った。
 97年にNHK朝の連続テレビ小説「甘辛しゃん」に出演中のころから肺
気腫を患い、治療をしながら収録に参加した。その後も病気と闘いながら
仕事を続けたが、今年1月16日に食欲不振を訴え、都内の病院に検査
入院。点滴・治療を行い、今月8日に自宅に一時帰宅した。しかし、翌9日
に再入院し、中旬には容体が悪化し意識も混濁。その間、「クレージー
キャッツ」の仲間だった谷啓(75)や桜井センリ(77)犬塚弘(78)が見舞い
に訪れ、谷は17日、桜井は12日、犬塚は25日が最後の面会になった。
亡くなった直後、40年前に付き人をした小松政夫(65)が駆けつけ号泣
した。
 犬塚は「25日に見舞った時は呼吸が苦しそうだった。手を握ったら握り
返してくれた気がした。2、3時間そばにいたけど、つらかった」としのんだ。
 植木さんは昨年12月の旧友の青島幸男さんの通夜に酸素吸入器を
つけ、車イスに座って参列した。しかし、焼香の際には車イスから立ち
上がり、毅然(きぜん)と焼香する姿に、関係者は「男の美学を感じた」
という。植木さんは当時から死を覚悟していたのか、同11月には妻、
マネジャーに「自分に何かあったら密葬にしてほしい」「延命措置などを
行うのもやめてほしい」と遺言を残していた。
 実家は三重県の浄土真宗常念寺。住職の父が「平等」にちなみ「等」
と名付けた。小学6年で僧りょ修行のため上京したが、音楽活動に
のめり込み、57年「クレージーキャッツ」に参加。61年から日本テレビ系
「シャボン玉ホリデー」に出演し「お呼びでない?」のヒットギャグを生み、
故青島幸男さん作詞の「スーダラ節」も大ヒット。62年からの映画
「無責任男シリーズ」で明るく調子のいいサラリーマンを演じ、同世代
から圧倒的支持を受けた。
 「無責任男」のイメージが強かった植木さんだが、根はまじめだった。
犬塚は「きまじめないい人だったよ。きちんとしているからあれだけいい
仕事ができた。クレージーは仲が良く、仕事が終わっても楽屋に残って
わいわいと話をして楽しかった。中心にいつもいて、華やかな人だった」。
 植木さんは、70年代後半から性格俳優として活躍し、85年には黒沢
明監督「乱」に出演。脇役で渋い演技をみせた。最後の仕事は昨年
11月。金沢で1シーンだけ出演した映画「舞妓Haaaan!!!」(6月公開)。
一昨年11月の渡辺プロ設立50周年パーティーでは、谷が歌い、犬塚
がベース、桜井がピアノを演奏し、植木さんが「こりゃまた失礼いたし
ました~」とセリフを入れて「クレージー-」を再現した。「『また4人で
ドラマをしたいね』と話していた。やりたかったなあ」。かなわぬ夢に
終わった。


今朝の朝刊で訃報に接し、凍りついてしまいました。
「シャボン玉ホリデー」放送時はまだ生まれておらず、ザ・ピーナッツも
リアルタイムでは知らない世代ながら、クレージーキャッツの名前と
植木等のギャグは子どもの頃から知っていました。
コミックソングにはまったのがきっかけで彼に関しても詳しく知るように
なり、その人となり、生き様に心動かされたものです。
生家は寺で、渾名は「植木屋」でも、芸人が天職という感じの人でした。
世は無常とはいえ、まことに遺憾に存じます。

J-MELO

2006年10月01日 23時29分01秒 | 日記、雑感
NHKが世界に向けて発信している、全編英語のテレビ音楽番組です。
最新・最先端の音楽や、ヒット曲に注目するだけでなく、Jポップ、ロック、
ジャズ、クラシックなど「いま、日本でいきいきと輝いている音楽」の数々
を、毎回切り口を変え、ジャンルを超えて紹介しています。
「J-MELO」とは「Japan」のイニシャルと、「Melodies」「Mellow」を掛け
合わせた造語です。
VJ(ビデオ・ジョッキー):竹松舞


NHKワールドTVとデジタル教育(3)で放送中の「J-MELO」に村治佳織が
ゲスト出演してまして、昨夜総合テレビで再放送していたので、ビデオに
録って見ました。
国際放送では9/1オンエアだったようですが、収録はたぶん、ヨーロッパに
行く前だと思うので、2ヵ月くらい前の映像かな、とか思いながら見てました
が、久々に動いて喋る村治さんを目にすることができて嬉しかったです。
「早春賦」と、ディアンスの「サウダージ第3番」から「祭りと終曲」の2曲を
演奏してくれましたが、それよりトークのほうが興味深かったです。
海外でも活躍されてるから当然といえば当然ですが、普通に英語で会話
しているのに感動しました。司会者と日本人同士が英語で会話して、日本
語の字幕が出るのって、何とも不思議な画です。

海外向けということで、日本語の歌の歌詞も全部英語の字幕が出てて、
それを読みながら聞くのも、なかなか面白かったです。
この日は「団塊の世代」特集で、
 「唇をかみしめて 」(吉田拓郎)
 「少年時代 」(井上陽水)
 「神田川 」(南こうせつ)
 「言葉にできない 」(小田和正)
 「Only One 」(矢沢永吉)
という、これまた私好みのチョイス。(これに財津和夫もいれば完璧だった
のに。)久々に「見れてよかった」と思える番組でした。

お知らせです

2006年09月23日 23時19分06秒 | 日記、雑感
いつも見てくださってる皆様、ありがとうございます。

突然ですが今日から、日記ブログを別に作ることにしました。
その他のジャンルも順次分けていって、ここは時事・社会系
専門にしようと思っています。
引き続きご愛読いただければ幸いです。

「Naked Heart 日記版」はこちらからどうぞ。

                          しみず みな

DVDラジカセ

2006年09月20日 22時52分11秒 | 日記、雑感


伴侶の誕生日にかこつけて、DVDラジカセを買いました。
今まで使ってたCDラジカセも、もう10年近く使ってて、多少
不具合が生じてきてたのもありますが、これまでも何度か
触れたように、我が家にはDVDプレーヤーが無く(パソコン
では見られますが)、いつかは買いたいと思ってました。
我が家はテレビもモノラルで音が悪く、今流行りの「ホーム
シアター」も部屋が狭いので置けないから、DVDプレーヤー
を買ってもなぁ・・・という思いがあって、DVDも見れるコンポ
かラジカセを、と前々から狙っていました。
結局、予算の都合と、「他の部屋に持ち運べるラジカセの
ほうがいい」という伴侶の意見で、一番安い、上の写真の
機種になりました。
出力2W×2で、大変ちゃちな音質ですが、それでもステレオ
で聞けるのは嬉しいことです。今まではビデオ再生もモノラル
でしたから。
これで思う存分DVDを見れる・・・かどうかは分かりませんが。
最近、仕事してないのに妙に忙しいし。

手袋

2006年09月19日 23時50分00秒 | 日記、雑感
若い頃は、「夏に手袋をはめるなんて暑苦しい」と思ってましたが、
年々日差しが強くなってきているのか、それとも私のお肌の年齢が
一線を越えてしまったのか、この夏は耐えられなくなりました。
歩いている時はまだいいのですが、車を運転している時はもう、腕
がヒリヒリするほど灼けて、困ってしまいます。
で、とうとう買ってしまいました。



自分の手を写真に撮って見ると、何だかモデルになった気分。

今年は思いの外、残暑が短く、もう使わずに済みそうですが、来年
もお世話になるでしょう、たぶん。来年まで失くさなければ・・・。

敬老の日

2006年09月18日 22時45分53秒 | 日記、雑感


毎年9月の第3日曜日は、教会でも「長寿祝福式」がもたれます。
(教会によって名称は異なりますが。)
かつては60歳以上が対象でしたが、少子高齢化に伴って、65歳、
70歳と繰り上げられました。それでも今年の対象者は31名。私の
教会の現在会員数は123名ですので、実に25%に達します。
昨日のニュースでは、日本の65歳以上の高齢者が全人口の20%
を超えたと報じられていましたが、70歳以上の人だけでそれを軽く
上回っています。手元に資料がないので推測ですが、65歳以上
だと、1/3くらいになるのではないかと思います。
教会の少子高齢化は世間の先を行っている、と以前から言われて
いますが、はっきりと数字で示されるとより強く実感します。
ただ、「だから先行きが暗い」とか、「若者をもっと増やさなければ」
というのは、ちょっと違うと思います。むしろ、高齢化社会における
希望、理想像を示すのが教会であるべきでしょう。

高千穂訪問記 その5

2006年09月14日 23時16分17秒 | 日記、雑感
午後には、水俣から駆けつけて下さった3名の語り部のお話を聞く
ことができました。
水俣市の水俣病資料館に語り部登録されている方々です。

杉本栄子さんは、発病によって受けた差別の体験を語られました。
まだ「原因不明の奇病」であった当時、病院で診察を受けると放送
で名前が流れて周囲に知られてしまうため、皆病院に行きたがら
なかったそうで、村で最初に行った彼女の家族は、親戚からも近所
の人たちからもひどい仕打ちを受けたそうです。
後に、彼らの家族が謝りに来たそうです。差別した人たちは、自分
も発病した時、同じように差別されることを恐れて病院にも行けず、
苦しみながら隠れて死んでいったのだそうです。
彼女がお父様から教えられたという言葉、「人様は変えられない
から、自分を変えろ、人を好きになれ。」
これを語られたお父様の気持ちを想像すると、胸が締め付けられる
思いがします。

杉本雄さんも、ひどい差別に苦しんだこと、そして患者救済のため
に奔走したことなどを語って下さいました。
水俣の魚だと売れないから、天草で獲った魚を売っていたそうです
が、その時には既に天草まで汚染が広がっていて、被害はさらに
拡大したのでした。「魚は危ないから食べるな」と行政が早く言って
くれていたら、大勢の人が助かっただろうに、と悔やまれてました。

永本賢二さんは障害が重く、車椅子生活を送っておられます。
お父様がチッソの工場に勤めておられたそうで、複雑な立場の心境
を正直に語って下さいました。

土呂久からも、佐藤ハツネさんが語って下さいました。
土呂久の受難の歴史を簡潔に纏め上げた、しかし非常に重い報告
でした。欲を言えば、彼女個人の体験をもう少し聞きたかった気も
しますが、ヒロシマでもそうですが、辛い体験を語るのは並大抵の
努力ではできません。こちらから近づいて信頼関係を築くことも必要
でしょう。私の大きな宿題です。
「戦後、再び亜砒焼きが始まろうとする時、土呂久婦人会で当時の
村長に『鉱山を始めさせないでほしい』と訴えたが、『多額の鉱産税
が村には入る。土呂久のような小さな集落の一つや二つ潰れても
仕方がない』と追い返された話は、僻地差別の典型だ。土呂久鉱害
もこの思想の上に引き起こされた事件である。」と、彼女の話を受け
て芥川仁さんがブログに書いておられますが、水俣にせよ、沖縄に
せよ、至るところでこうした問題が起きているように思います。
権力は腐敗する、ということなのか、罪人である人間の性なのか。
簡単に結論付けることはできませんが、それを自分自身の課題と
して持ち続けたいと思います。