Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

大晦日

2005年12月31日 17時59分48秒 | 日記、雑感
西暦2005年も今日で終わりです。
年を重ねるごとに一年が経つのが早く感じますが、年のせいだけでなく、
時間に追われる生活が続くからかも知れません。
来年こそは腰を落ち着けて、以前「アドベント」にも書きましたが「神の
時間」に生きたいと願っています。

今日は大晦日です。「三十日」と書いて「みそか」と読むことから、月末を
晦日と呼ぶようになり(旧暦では大の月が30日でした。小の月は29日
だったため、月の最後の日を表す晦(つごもり)の字をあてたようです。)、
一年の最後の月の月末(即ち年末)を大晦日と呼ぶようになりました。
かつてはお正月が一年で最大の(そしてほとんど唯一の)イベントで、
新年を迎える大晦日の夜は、子どもが夜更かしできる唯一の機会でした。
そういえば、欧米のように「イヴ」を祝う風習がない日本で、大晦日の夜は
例外的な存在と言えるかも知れません。
今では小学生が夜遅くにコンビニにたむろしたり、若い母親が子どもを
抱えて夜中まで遊び歩くのも、珍しいことではなくなってしまいました。
夜更かしで朝起きれなかったり、授業に集中できない子どもが多いことが、
学力低下につながっているとも考えられます。
一方で、たまたま下校途中に犯罪に巻き込まれた子どもがいたことを理由
に、社会の監視体制が強化されていくことには、矛盾を感じずにいられま
せん。
私が子どもの頃、「おせちもいいけど、カレーもね」というCMがありました。
今ではおせち料理を作らない家庭のほうが多いようです。当然、子どもたち
は日本の伝統料理を知りません。
紅白歌合戦の視聴率が毎年話題になりますが、番組のマンネリ化や視聴
者の好みの多様化だけでなく、社会構造の変化によって「家族揃って見る
正月番組」そのものが成り立たなくなっているのではないでしょうか。民放
を見てると、年末年始ならではの番組は、まずありません。
将来に期待が持てないとする人が多い昨今、よき伝統・文化がどんどん
失われていくなら、新年を迎える大晦日の意義ばかりか、日本の魅力自体
が無くなってしまいかねません。


コメント欄での議論について

2005年12月30日 04時45分43秒 | 日記、雑感
3月末にこのブログを立ち上げてから、9ヶ月経ちました。
記事の総数も200件を超えました。
昔から、テーマを絞り込むのが苦手で、総花的で底の浅い内容に
なっているかと思いますが、それでも定期的に読んで下さる方が
いてくれて、大変嬉しく思っています。
年末年始は実家に帰省します。1人であればネットカフェなどに立ち
寄ることもあるでしょうが、家族と一緒ですので、その間はPHSから
の投稿のみで、コメントへのお返事はできないかと思います。
あらかじめご了承下さい。

さて、12月10日記事「表現の自由の危機」のコメントで、ちょっとした
「事件」がありました。既にご覧になられてるかも知れませんが、
そのやり取りを以下に載せておきます。

Unknown (夏目) 2005-12-29 02:53:16
> 夏目さんも私をどうしても説得したいというわけではないと思います。
その通りです。
あくまでも私の目的はこの一連のやり取りを読まれている読者の方々
ですので。

Unknown (みな) 2005-12-29 04:42:12
>> 夏目さんも私をどうしても説得したいというわけではないと思います。
この文章はどこから出てきたのでしょう。書いた覚えもありませんし、
いくら探しても見つかりません。
(gooブログでは管理人もコメント編集ができないことを明記しておきま
す。念のため)
引用符が付いてますから、私の発言の意図を取り違えて要約したわけ
でもなさそうですし。
単なるコピー&ペーストのミスでないとしたら(それ自体常識的にはあり
えませんが)、人格を疑います。

Unknown (夏目) 2005-12-29 13:42:15
申し訳ありません。
下書きに別の引用元が紛れ込んでいたようです。


他の皆さんがどのように文章を書かれるのか分かりませんが、どういう
作業の進め方をしたら他人の文章が紛れ込むのか、私には全く理解
できません。まあ、私を貶めるような内容ではありませんので、単なる
ミスだという説明を受け入れて、これはこれで終わらせようと思っては
いるのですが、そもそも夏目氏がこのミスに気づかなかったのは、
紛れ込んだ文章の趣旨と私のスタンスが夏目氏の中では同一視され
ていたからではないかと考え、私がコメントのやり取り・議論について
どう考えているのか、一度きちんと書いておこうと思った次第です。

私は知識も経験も決して豊富ではありませんし、人と話すのが苦手で、
いわゆる「議論」も不得手なほうですが、新左翼系団体のメンバーとか、
無神論者の友人とか、キリスト教「異端」の信者といった方たちと、
長期にわたって議論を続けたことはあります。
そうした経験から学んだことは、人はたとえ「論破」されても必ずしも
「納得」はしない、ということです。
ですから私は、相手を論理的に打ち負かすことを目的には議論しない
ように心がけています。目に余る言動があれば、私は底意地の悪い
人間なので、皮肉やパロディで返してまともに取り合わないのですが、
今のところそういう態度も取らずに済んでいます。
しかし私は、パネラーでも広告塔でもなく「自己主張」をしていますから、
自分の考えが伝わってほしい、理解してほしいという願望は常に持って
います。押し付ける気はありませんが、納得してほしい。ですから、同じ
ように「自己主張」するコメントであれば、批判であっても大歓迎です。
ネット上で公開された議論をするわけですから、他の読者にも理解して
もらいたいというのも当然あるでしょうが、まずは直接の相手に対して
理解を求めるのが筋だろうと思います。その点で、夏目氏の考え方とは
相容れません。
また、いくら「自己主張」を歓迎するといっても、議論をする以上、相手の
意見を正しく読み取り、少しでも理解しようとする努力は怠らないで頂き
たいと思っています。同じ主張の繰り返しや、誤解・誤用に基づくコメント
へのレス(訂正)は、時間とスペースの無駄です。私が文章を書くのが
遅いのもありますが、「表現の自由の危機」の時のように続けられなく
なって打ち止め、ということもありえますし。

なお、商業目的であるか否かを問わず、自己宣伝のためだけのコメント
は、原則お断りします。そのようなコメントは削除に際して一々了解を
求めませんのであしからず。

文民統制

2005年12月29日 03時48分52秒 | 時事・社会
昨晩(27日)も娘と一緒に寝てしまい、今日(28日)はちゃんと書こう
と思ってましたが、久しぶりに会った友人と食事に出かけて、午前様
になってしまいました。
私の仕事は正月休みに入りましたが、娘も保育園が休みになるし、
大掃除に帰省の準備と明日は慌しい一日になりそうです。
早く終わらせて寝なくちゃ。

度々ネタに使って、夏目氏には申し訳ありませんが、12月10日記事
「表現の自由の危機」のコメントのやり取りに出てきた「文民統制」に
ついて今日は書きたいと思います。
夏目氏のコメントに「文民統制」が出てきたのは、次の部分です。
「自衛官自身にイラクに行くなという事は、上司の命令を無視しろと
言う事でもあり、文民統制を否定する事に繋がりかねません。阪神
大震災の際、準備は万端だったのに出動が遅れたのも、出動命令を
首相がなかなか出さなかったからです。周囲がどのように騒いでも、
選挙という形で選ばれた国民の代表が決めた事ですから、公務員で
ある彼らにこれを拒む事も、勝手に先走る事も出来ないはずです。」

このコメントについて触れる前に、まず「文民統制」とは何かを確認
しておきたいと思います。
「文民統制」とは、日本国憲法第66条2項の「内閣総理大臣その他
の国務大臣は、文民でなければならない」という規定のことです。
では「文民」とはどのような人かといいますと、現在の政府見解は、
「旧職業軍人の経歴を有する者であって、軍国主義的思想に深く
染まっている者でない者」となっているようです。岸信介元首相や
中曽根康弘元首相も、これには該当しなかったことになっています。
(それなら誰が該当するのか、不思議でなりませんが。)
自衛官経験者も、長く例がありませんでしたが、第一次小泉内閣で
中谷元氏が防衛庁長官に就任しました。
日本国憲法に文民統制が盛り込まれたのは、先の戦争が「軍の
独走」の結果であったという反省に基づいてです。大日本帝国憲法
では統帥権は天皇に属しており、軍はこれを盾に自分たちの利益の
代弁者を大臣に送ったり、政府の方針が気に入らなければ大臣を
出さずに内閣を流産させたりして、事実上政治の実権を握り、戦争を
推し進めていきました。
また、この規定は、9条の戦争放棄・戦力不保持と併せて、軍国主義
を一掃することで、「日本は二度と戦争をしない」というメッセージを
世界に向けて発する、という意味合いも含まれていたと思われます。
GHQ及び米国政府が、中国や旧ソ連の批判をかわして天皇制を残す
ために徹底した民主化・非武装化を日本に要求した経緯を考えれば、
あながち「読み込み過ぎ」でもないでしょう。
さて、夏目氏のコメントですが、「文民統制」が公務員一般ではなく、
軍人に対するものである、という点を考慮しても、「派遣命令拒否」が
「文民統制否定」に繋がるというのには、論理の飛躍があります。
海外派遣は自衛隊の本務ではありません。ですから後から「特措法」
等を作ったところで、それ以前に入隊していた人にとってはある意味
「労働契約に反する」ことになります。
また、公務員といえども思想信条の自由はあります。「良心」に基づく
拒否を否定し、「命令には絶対服従」を強要するのは、それこそ軍国
主義的発想にほかなりません。
そして、この点が最も重要なのですが、「文民統制」の精神・背景を
考えれば「軍事行動の拒否」こそがその実践であり、「文民統制の
否定」とはむしろ正反対の行為であると言えます。
歴史を見ても、上海事変の後、現地の司令官は停戦を計ろうとした
にも関わらず、当時の広田内閣が大援軍の派遣を決定して戦線を
拡大させ、悪名高き「南京事件」へと繋がっていった事例があるよう
に、「文民」だから、国民の代表だから、常に正しい選択をしている
とは限りません。それに異を唱えられるのは選挙の投票の時だけ、
というのでは、本当の民主主義とは言えないでしょう。
ちなみに、イラク派遣当時の防衛庁長官は、衆議院の憲法調査会で
「徴兵制は苦役には当たらず、違憲ではない」と、政府見解と異なる
発言をしたことで知られる石破茂氏です。石破氏は在任中に「防衛
参事官制度」見直しを柱とした防衛庁設置法改正などの検討を指示
するなど、「文民統制」廃止論者と見られています。
(閣僚ではなく「文官」の権限縮小ですので直接的には憲法条文に
触れないにしても、官僚が行政の中核を担っている現状や、背景に
制服組の背広組に対する不満があることを考えれば、「政治の後退」
と受け取られるのも当然でしょう。)
本当に「文民統制を否定」しようとしているのは誰か、しっかりと見極め
なければなりません。

クリスマス物語考 後編

2005年12月26日 23時07分29秒 | キリスト教
東方の博士たちの訪問の記事は、マタイ福音書2章に記されています。
「イエスが・・・生まれた時」と書かれているため、一見、イエス降誕の
日に彼らがやって来たようにも取れますが、具体的な日時は書かれて
いないばかりか、よく読むとかなり後になってから来た節があります。
新共同訳聖書は「占星術の学者」と訳しています。「占星術」といっても
TVや雑誌でよく見る「星占い」の類ではなく、今で言えば天文学者で
あり、気象予報士でもあり、権力者の相談役でした。私は、聖書を真剣
に読むようになる前は、オカルトに興味を持っていましたが、本格的な
「ホロスコープ」は、政府の御用学者のご都合主義コメントなんかより
よほど信頼に値する「科学的要素」を含んでると、当時感じました。
それに比べると、「血液型分類」なんてほんと、お遊びです。
話がそれましたが、ですから、彼らが異教徒であり、「占い」によって
御子の誕生を知ったことを理由に、そこに神が働いたことを否定する
のは、背景を無視した教条主義的態度といえると思います。
ちなみに、彼らが見た星を「ベツレヘムの東の空に輝く星」と誤解する
人が少なくありません。しかし、仮に天動説に立って考えたとしても、
彼らが東の国で「どの方角に」星を見たのか聖書は語っていません
から、「ベツレヘムから見たら東だ」とは言えないはずです。
さて、星を見た博士たちは、最初、エルサレムを訪ねます。「ユダヤ人
の王」だから王宮にいるはずだ、という思い込みからです。これも
「サタンの策略」と解釈すると、「神かサタンか」の二元論に陥って
しまい、人間はそのどちらかに従うだけの主体性の無い存在になって
しまいます。これは、神が創造した人間のあるべき姿(神の秩序)の
否定にほかなりませんし、キリストの十字架の価値を下げることに
なります。
誤りに気づいた博士たちは、星に導かれて、イエスを発見することが
できました。
このイエスを聖書は「幼子」と表現しています。一方、羊飼いたちが
見たのは「乳飲み子」「みどりご(嬰児)」です。ルカもそれ以降は
「幼子」と言ってますから、意図的に使い分けたと考えるのが自然
です。つまり、博士たちが訪問したのは、生まれたばかりの時では
なく、しばらく(おそらく1年くらいは)経ってから、と思われます。
このイエスの誕生を、快く思わない人たちもいました。ユダヤを支配
していたヘロデ大王、祭司長や律法学者たちです。王は、自分の
地位を脅かしかねない幼子を殺そうと、博士たちに幼子を見つけたら
場所を教えるようにと言っていました。
しかし博士たちは、夢でお告げを受けたので、ヘロデの元に寄らず
に、国に帰ってしまいました。それを知った王は激怒し、ベツレヘム
とその周辺にいた2歳以下の男の子を皆殺しにしました。
このことからも、その時点でイエスが、早ければ2歳になっていたと
考えられます。ですから、羊飼いと博士たちが同時に居合わせた、
というのは虚構だということが分かります。
博士たちが3人という俗説も、聖書に記された贈り物が黄金・乳香・
没薬の3品であることからの類推です。ちなみに、第4の博士がいた
が誕生の際には訪問できず、捜し求め続けてようやく、十字架に
掛けられようとしているイエスに出会う、という「アルタバン伝説」は、
全くの創作ですがクリスチャンには好まれる物語です。
ヘロデ大王による幼児虐殺を、父ヨセフへのお告げによって、イエス
は間一髪逃れます。子ども向けに語られる「クモの巣伝説」も、聖書
には無い創作です。しばらくエジプトに滞在し、ヘロデ大王の死を
伝え聞いてから帰国します。
ヘロデ大王の死は紀元前4年以前と見られていますので、イエスの
誕生はそれより数年前、ということになります。

ところで、クリスマス記事に1つだけ、矛盾点があります。
マタイは、このヘロデ大王の死後、ヨセフはヘロデの息子が王位に
就いたために恐れを抱いて、ユダヤには帰らずガリラヤのナザレに
住んだ、と記しています。
前回書いた通り、ルカは、ヨセフは初めからナザレに住み、一時
ベツレヘムに滞在した、と記しています。
マタイ福音書がユダヤ人向けに書かれたこと、「異邦人のガリラヤ」
という言葉が聖書中にもあるように、辺境の地であり、歴史的にも
北イスラエル王国崩壊後のアッシリアの混血政策があったため、
ユダヤ人のガリラヤに対する偏見・差別意識が強かったことを考え
ると(実際のガリラヤは、宗教熱心な地だったようです)、ヨセフが
ナザレ出身であることをマタイはわざと隠したと見るのが妥当かと
思いますが、それだとマタイ福音書には「嘘」があることになって
しまいます。うーん、困った・・・。

クリスマス物語考 前編

2005年12月24日 23時33分39秒 | キリスト教
クリスチャンでなくても、絵画や置物、キリスト教系幼稚園の
発表会などで「降誕」の場面を見た人は多いと思います。
なぜかいろんな動物がいる「馬小屋」にヨセフとマリヤがいて、
飼い葉桶に赤ん坊が眠っており、その赤ん坊の前に、3人の
博士がひざまづいて礼拝し、彼らの後ろに羊飼いたちが立って
いる、というおなじみの場面です。
しかし、この場面を含めて多くの人がイメージする「クリスマス
物語」は、聖書には記されていない誤解や創作をかなり含んで
います。

イエスの父(「聖霊により身ごもった」ので実父ではない)ヨセフ
と母マリヤは、当時ユダヤを支配していたローマ帝国の皇帝
アウグストゥスによる人口調査のため、ガリラヤのナザレから、
先祖の町(「本籍地」に当たるのでしょう)であるベツレヘムに
住民登録をしに行きました。
キリニウスがシリア総督であった時の住民登録で現在確認
されている最も古いものは、紀元6年だそうです。そして14年
ごとに行われたこともわかっています。キリニウスがシリア総督
に就任したのは紀元前6年ですが、それ以前から軍事指揮官と
してシリアに派遣されていたので、ルカの記事は紀元前9年の
登録を指すのではないかと考えられています。
(大昔の話ですので、1,2年のずれはありえます。また登録が
命じられてから完了までに数年を要したとも言われます。)
ベツレヘム滞在中にマリヤは臨月を迎えます。が、同様に
登録に来ていた人たちでごった返していたのでしょう、「宿屋」
には彼らのいる場所がなかった、とルカは記しています。
イスラエルの律法では「旅人をもてなす」よう命じられています。
口語訳聖書が「客間」と訳したのは、宿屋だけでなく誰ひとり
泊めてくれなかった、というニュアンスの意訳でしょう。実際の
ところはどうか分かりませんが、彼らがちゃんとした部屋に
泊まれなかったのは確かです。
「布にくるんで、飼い葉おけに寝かせた。」彼らが泊まったのは
「家畜小屋」だとされる根拠は、この一文です。よく「馬小屋」
と間違われ、日本にもそれが伝わって「厩戸皇子(聖徳太子)
伝説」を生んでいますが、当時の馬は軍事専用で、一般民衆
が飼っていたのは牛かロバです。また宿屋であれば、自分の
家畜を飼うための小屋ではなく、客の家畜をつないでおく小屋
と考えるのが自然かと思います。
「飼い葉おけ」も、よく見る木を組んだ丸い桶ではなく、四角い
石をくり抜いたものです。この地方では木材は大変貴重で、
庶民の家財や日用品にはほとんど使われておりません。

イエスの誕生を最初に知らされたのは、野宿していた羊飼い
でした。昨日書いた通り、野原ではなく、洞窟です。でないと、
いくら天使のお告げに喜んだからといって、羊を野原に置いた
まま「救い主」を見に行ったとは考えられません。
ちなみに当時、羊飼いは身分が低く差別されていたと言われ
ます。生き物相手では「安息日」や「穢れを避ける」といった
律法を守れないことが主因でしょう。ですから、彼らは社会的
には「証人」として認められていませんでした。
これは、イエスの復活の最初の目撃者となった「女性」にも
当てはまります。聖書の「福音」は価値の「逆転」「変革」を
私たちに迫るものです。牧歌的な「物語」として読み流すこと
は、本来許されないのです。

長くなりましたので、続き(マタイ編)はまた明日。

クリスマス

2005年12月23日 22時37分39秒 | キリスト教
昨日の記事の中で、イエスがいつ生まれたのか分からない、と
書きましたが、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には
こんな記述が載っています。
「新約聖書には、イエスの誕生日に関する記述は無く、これは
定かではない。さらに12月25日は真実味に欠けている。聖書中の
記述からして、一般には10月1日か2日が誕生の日と推測されて
いる。」
12月25日を否定する有力な根拠は、ルカ福音書2章の降誕記事に
ある、羊飼いが野宿をしていたという記述です。冬の寒い夜に野宿
する風習は、当時も今もない、というわけです。
しかし、たまたまその日が暖かい夜で、野宿をしたという可能性も
否定はできません。また、ある牧師から、イランで12月に焚き火を
囲んで野宿している遊牧民を見て、まさに降誕記事そのものだと
思った、という話を聞いたこともありますから、イスラエルでも、困難
ではあっても不可能ではないと考えられます。
また、キリスト生誕の地と伝えられる「聖誕教会」は、「岩屋」とも
呼ばれる洞窟です。「野宿」というと野原をイメージしますが、実は
羊を洞窟に入れて、その入り口で見張りをしていたのです。
まあしかし、12月25日にこだわらねばならない理由はありません
から、一般論としては穏やかな気候の時期と考えるのが自然、と
しましょう。
しかし、10月1日説は、クリスチャンにもそれほど一般的ではありま
せん。この説を明確に支持しているのは、エホバの証人くらいでは
ないでしょうか。
古代イスラエルでは、モーセによるエジプト脱出を記念して、3月
半ば~4月半ばを正月としていました。この月の15日が「過越祭」
で、後にイエスが十字架に掛かるのもこの頃です。
この3月~4月と、半年後の9月~10月は、切りのいい時期なので
「年代計算」をする人たちが好んで使っています。しかし科学的
根拠は、私の知る限りあまり無いようです。
同じく『ウィキペディア』に、「1993年9月15日に、英国の天文学者
D・ヒューズが聖書中の天文現象の記述から、イエスの誕生日は
紀元前7年9月15日とする説を発表した。」とあります。
これは、マタイ福音書2章にある、東方の博士が見た星を、天文学
の研究成果から特定したもののようです。しかし聖書の記述は
曖昧ですから、その現象(確か超新星の爆発だったように記憶
しています)がイエスの誕生日に起きたのかどうか、別の現象で
ある可能性は無いのか、何とも言えません。

キリスト教会が12月25日をクリスマスとし続けている理由は、昨日
述べた通り、キリストのイメージに冬至が相応しいからです。
クリスマスは、キリストの「誕生日」ではなく「降誕」そのものを
記念し、祝うものです。同列に扱いたくはありませんが、日本では
2月11日が「建国記念日」ではなく「建国記念の日」であるのと、
理屈は一緒です。
しかし、長い伝統の中で、様々な「伝承」や誤解が生じて、聖書
そのものから外れた「クリスマス物語」が一人歩きしている面も
あります。明日は「クリスマス物語」考の予定です。
(早く帰って来れたらですけど)

冬至

2005年12月22日 23時36分15秒 | キリスト教
今日は一年で一番昼間の時間が短い冬至です。
我が家でも南瓜を食べました。
(実は南瓜が私の一番好きな野菜だったりする)
寒さのピークはもう少し後になりますが、冬至を境に昼間の時間が
長くなっていくことから、農耕民族を中心に、冬至を一年の始まりと
する暦が採用されるようになりました。
12月25日がクリスマスとなったのも、ローマ帝国の太陽崇拝の祭と
キリスト教が結びついたことによります。
太陽崇拝はアニミズムの中でも最もポピュラーなものの一つでしょう
が、冬の夜が長い高緯度地帯ではとりわけ、冬至が重要視されて
いました。「不滅の太陽」の「復活」というわけです。
キリスト教がローマの国教となる4世紀頃には、皇帝崇拝も、かつて
のような大迫害も無くなっていましたが、太陽崇拝は依然、民衆の
間に広まっていました。
そうした民衆の歓心を買いたい(反発を恐れた)コンスタンティヌス帝
をはじめとする当時の為政者たちの思惑と、太陽崇拝者をキリスト
教徒に改宗させたい教会側の思惑が一致して、太陽崇拝のキリスト
教化(あるいは両者の統合)がなされたのです。
よく、クリスマスはイエス=キリストの誕生日だと言われますが、実の
ところイエスがいつ生まれたのかは、分かっていません。聖書にも
生まれた年を推定する手がかりはありますが、時期については何も
書かれていません。
そもそも、12月25日がクリスマスと定められるまで、クリスチャンの
間でクリスマスは祝われていなかったであろうと考えられています。
それがなぜ祝われるようになったのかといいますと、鍵は太陽崇拝
です。
「すべての人を照らすまことの光があって、世にきた」
「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった」
というヨハネ福音書1章の聖句に示されたイエス=キリストこそ、真の
太陽、真の神である、とクリスチャンたちは太陽崇拝を聖書的視点で
読み替えていったのです。(こういう作業を「文化脈化」と言うらしい)
キリスト教を批判する人たちは、異教文化を取り込むのは「堕落」
「背教」だと言いますが、こういう積極的側面もあるのです。
(もっとも、政治的妥協の産物という面も否定はできませんが。
ある出来事を神の「御心」と受け取るか、「赦し」と取るかの区別が
難しいように、一概に正しいとか間違ってるとは言えません。)

Christmasは、キリストとミサを合わせた語だと言われていますが、
ミサはラテン語のミッシオ(派遣)から来ている言葉だという説が
あります。クリスマスには「キリストを礼拝する」だけでなく「キリストが
人々に送られた」という意味があるのです。
しかもイエス=キリストは、単なる神からの使者ではなく「神の御子」
であり、クリスマスとは「神が人となる」=「受肉」の記念でもあります。
神ご自身が、人間の苦しみを身をもって味わわれ、全ての人の罪の
報いを引き受けて下さったのです。
これが、クリスチャンがやみの中に見出す光です。そしてその光は
決して消えることが無く、輝きを増していくのです。

アメリカナイズ

2005年12月21日 22時28分30秒 | 日記、雑感
二晩続けて娘を寝かしつけながら一緒に寝てしまいました。わずかに
PCに向かえた時間もコメントを返すのに費やして、3日ぶりの更新と
なってしまいました。
外はまた雪が積もり始めています。



夏目さんとコメントをやり取りしていて、「住居侵入」に関連して少し思う
ところがあったので、今日はそのことを書きたいと思います。

以前「イギリスの家」で紹介した井形慶子さんが、本の中で、イギリス人
はパブリック意識が大変強いということを書いていました。家を建てたり
買ったりする時、自分の家のことだけでなく、ストリート全体の景観とか
コミュニティを見て判断する、とか、ガーデニングも周囲との調和を考え
つつ、みんなに見て楽しんでもらうために造る、などなど。とりわけ興味
深かったのは、イギリス人にとって玄関先までがパブリックスペースだと
いう指摘でした。
ロンドンのような大都市は別として、古い家並みが残る地方では、
インターホンも無く、ドアに鍵をかけていない家も多く、誰でも気軽に
ドアの前まで行って、ノックして、家の人に声をかけることができると
いうのです。ではイギリス人にプライバシーは無いかというと、そんな
ことはありません。バックヤードは、他人が覗いたり立ち入ったりしては
いけない場所です。
でも基本的に、イギリス人はオープンで、誰でもウェルカムだ、と書いて
いました。それを象徴するのが玄関のドアで、家の内側に開くように
なっているそうです。
その本にも書いてありましたが、日本の家もかつてはそうでした。最近
話題になった映画『ALWAYS 三丁目の夕日』で描かれている時代まで
は、垣根越しに声を掛け合ったり、縁側に腰を下ろしたり、テレビのある
家に皆が集まったり、といった具合に。高度成長と共に、そうした風潮も、
それを支えていた「近所づきあい」もどんどん消えていってしまいました。

自分の家に対する思い入れや、それを守ろうという意識は、万人共通の
ものでしょう。しかし日本人はとりわけ、自分の家のことだけを考えて
家の外のことには目を向けない「マイホーム主義」「生活保守主義」の
傾向が強いように思います。そしてよく似た国がもう一つあることに思い
至りました。アメリカ合衆国です。
米国は白人移民によって「開拓」され「建国」された国家です。その成り
立ちから、自分の命・家族・財産は自分で守るという伝統が今も強く
残っています。銃の保有が多いのもそうした事情によります。米国で
他人の家に勝手に足を踏み入れたら、銃で撃たれても仕方ありません。
以前、日本人留学生が殺されたように。
余談ですが、米国人が親愛の情を表す動作はオーバーアクションで
日本人から見ると滑稽(自分でやるのは恥ずかしい)ですが、あれも
相手に「私はあなたに敵意を持ってませんよ。何の危害も加えませんよ」
と伝えることで自分の身を守るためのものだそうです。
日本人の保守性とマッチする部分があったのかも知れませんが、そう
した米国の思想・文化が日本に入ってきて人々の意識を変えたのでは
ないかと、ちょっと考えてみました。でないと、日本の伝統的風習の衰退
の激しさは、時代の流れだけでは説明できないように思います。
米国は日本に民主的憲法を「押し付けた」国ですから、その国に感化
されることは、一面では国民の権利意識を育ててもいるかも知れません。
しかしどちらかというと、虎の子の不動産を商業主義の波で洗われる
上に、「周りはみんな敵」みたいな意識を植え付けられて競争社会へと
駆り立てられている側面のほうが強い気がします。

記録的大雪

2005年12月18日 23時52分54秒 | 日記、雑感
広島市中区で、最大17センチの積雪を記録しました。
12月では観測史上最高だそうです。
私の家の辺りでは、20センチは軽く超えてるでしょう。
場所によっては、クリスマスまで残ってるかもしれません。
明日仕事が休みでよかった・・・。
庄原市高野町では139センチで、年間の積雪量記録(126センチ)
を一気に更新したとか。
まだ12月ですよ。ほんとにどうなってるんでしょう。
つい3月まで大雪降ってたのに。
エチゼンクラゲといい、いよいよ地球がおかしくなってきてるの
でしょうか。
画像を見ると余計に寒くなるので、今日は写真は撮ってません。
まだ年も越してないのに、春が待ち遠しいです。

寒い寒い

2005年12月17日 23時59分58秒 | 日記、雑感
今夜は記録的大雪になりそうです。
さっき、コピーを取りにコンビニに行ったら、雪を払った
車が5分ほどでまた雪に埋もれてしまいました。
明日、教会に行けるかしら。
冬タイヤに替えたので、走るのは問題ないのですが、
大渋滞しそう。広島はノーマルタイヤのままの車も
多いですし。

パソコンのある部屋は暖房が無くてとても寒いので、
今日は早々に切り上げます。
皆様もお気をつけ下さい。