Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

クリスマス

2005年12月23日 22時37分39秒 | キリスト教
昨日の記事の中で、イエスがいつ生まれたのか分からない、と
書きましたが、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には
こんな記述が載っています。
「新約聖書には、イエスの誕生日に関する記述は無く、これは
定かではない。さらに12月25日は真実味に欠けている。聖書中の
記述からして、一般には10月1日か2日が誕生の日と推測されて
いる。」
12月25日を否定する有力な根拠は、ルカ福音書2章の降誕記事に
ある、羊飼いが野宿をしていたという記述です。冬の寒い夜に野宿
する風習は、当時も今もない、というわけです。
しかし、たまたまその日が暖かい夜で、野宿をしたという可能性も
否定はできません。また、ある牧師から、イランで12月に焚き火を
囲んで野宿している遊牧民を見て、まさに降誕記事そのものだと
思った、という話を聞いたこともありますから、イスラエルでも、困難
ではあっても不可能ではないと考えられます。
また、キリスト生誕の地と伝えられる「聖誕教会」は、「岩屋」とも
呼ばれる洞窟です。「野宿」というと野原をイメージしますが、実は
羊を洞窟に入れて、その入り口で見張りをしていたのです。
まあしかし、12月25日にこだわらねばならない理由はありません
から、一般論としては穏やかな気候の時期と考えるのが自然、と
しましょう。
しかし、10月1日説は、クリスチャンにもそれほど一般的ではありま
せん。この説を明確に支持しているのは、エホバの証人くらいでは
ないでしょうか。
古代イスラエルでは、モーセによるエジプト脱出を記念して、3月
半ば~4月半ばを正月としていました。この月の15日が「過越祭」
で、後にイエスが十字架に掛かるのもこの頃です。
この3月~4月と、半年後の9月~10月は、切りのいい時期なので
「年代計算」をする人たちが好んで使っています。しかし科学的
根拠は、私の知る限りあまり無いようです。
同じく『ウィキペディア』に、「1993年9月15日に、英国の天文学者
D・ヒューズが聖書中の天文現象の記述から、イエスの誕生日は
紀元前7年9月15日とする説を発表した。」とあります。
これは、マタイ福音書2章にある、東方の博士が見た星を、天文学
の研究成果から特定したもののようです。しかし聖書の記述は
曖昧ですから、その現象(確か超新星の爆発だったように記憶
しています)がイエスの誕生日に起きたのかどうか、別の現象で
ある可能性は無いのか、何とも言えません。

キリスト教会が12月25日をクリスマスとし続けている理由は、昨日
述べた通り、キリストのイメージに冬至が相応しいからです。
クリスマスは、キリストの「誕生日」ではなく「降誕」そのものを
記念し、祝うものです。同列に扱いたくはありませんが、日本では
2月11日が「建国記念日」ではなく「建国記念の日」であるのと、
理屈は一緒です。
しかし、長い伝統の中で、様々な「伝承」や誤解が生じて、聖書
そのものから外れた「クリスマス物語」が一人歩きしている面も
あります。明日は「クリスマス物語」考の予定です。
(早く帰って来れたらですけど)

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2 コメント

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Unknown (柴田晴廣)
2005-12-24 07:48:53
 ご無沙汰しています。

 西洋史は、あまり詳しくありませんが、エチオピアも古くからのキリスト教国ですね。

 初代エチオピア王メネリクⅠは、ソロモンとシバの女王とされています。

 そして、エチオピアでは、グレゴリオ暦の9月11日を1月1日とするエチオピア暦が使われています。

 エチオピア暦のクリスマスは、4月28日ぐらいではなかったかと思います。

 まとまりのない話ですみません。
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エチオピア (みな)
2005-12-24 14:45:52
柴田さん、久々のコメントありがとうございます。

私も全く詳しくありませんが、少し調べてみました。初代エチオピア王メネリクⅠが、ソロモンとシバの女王の子、との伝承は、エチオピアの口承伝説をまとめた『Kibre Negest (ケブラ・ナガスト/王たちの栄光)』という書物にあるそうです。後にソロモンの元を訪れたメネリクが、十戒の板が納められた「契約の箱(聖櫃・アーク)」を密かに持ち帰り、今もエチオピアにあるという伝説もあります。

しかし現在では、シバとはイエメンにあったサバ王国のことだとする説が一般的です。歴史上の存在が確認されているエチオピア王朝は、紀元1世紀のアクスム王国だそうです。イスラエルなど地中海地域との人的交流は古くからあったようですが、王家との血縁関係を示す証拠は今のところありません。

エチオピアでキリスト教が国教化されたのは4世紀だそうで、ローマ帝国と同じ時期です。ただしエチオピア正教会は、カルケドン会議で異端とされた「単性論」(キリストの神性と人性の両立を認めない)の立場に立っています。

新約聖書の「使徒言行録」には、ユダヤ教徒であったエチオピア人宦官の改宗の記事がありますから、初代教会の頃に既にキリスト教が伝わっていたかも知れません。

さて、ご指摘の件ですが、エチオピアのクリスマスは確かに、グレゴリウス暦では1月7日だそうです。これは、柴田さんのブログで景教に関してコメントした時に触れた、「顕現祭」(1月6日)の頃に当たります。元はキリストの公生涯の始まりである「ヨハネのバプテスマ」の日ですが、それが東方教会を中心にクリスマスと結び付けられました。ローマ=カトリックでもこの影響を受けたのか、1月6日をイエスが神殿に捧げられた日(東の国の博士の拝謁の日とする説もあります)とし、12月25日から1月6日までをクリスマス期間とする風習が残っています。

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