西暦2005年も今日で終わりです。
年を重ねるごとに一年が経つのが早く感じますが、年のせいだけでなく、
時間に追われる生活が続くからかも知れません。
来年こそは腰を落ち着けて、以前「アドベント」にも書きましたが「神の
時間」に生きたいと願っています。
今日は大晦日です。「三十日」と書いて「みそか」と読むことから、月末を
晦日と呼ぶようになり(旧暦では大の月が30日でした。小の月は29日
だったため、月の最後の日を表す晦(つごもり)の字をあてたようです。)、
一年の最後の月の月末(即ち年末)を大晦日と呼ぶようになりました。
かつてはお正月が一年で最大の(そしてほとんど唯一の)イベントで、
新年を迎える大晦日の夜は、子どもが夜更かしできる唯一の機会でした。
そういえば、欧米のように「イヴ」を祝う風習がない日本で、大晦日の夜は
例外的な存在と言えるかも知れません。
今では小学生が夜遅くにコンビニにたむろしたり、若い母親が子どもを
抱えて夜中まで遊び歩くのも、珍しいことではなくなってしまいました。
夜更かしで朝起きれなかったり、授業に集中できない子どもが多いことが、
学力低下につながっているとも考えられます。
一方で、たまたま下校途中に犯罪に巻き込まれた子どもがいたことを理由
に、社会の監視体制が強化されていくことには、矛盾を感じずにいられま
せん。
私が子どもの頃、「おせちもいいけど、カレーもね」というCMがありました。
今ではおせち料理を作らない家庭のほうが多いようです。当然、子どもたち
は日本の伝統料理を知りません。
紅白歌合戦の視聴率が毎年話題になりますが、番組のマンネリ化や視聴
者の好みの多様化だけでなく、社会構造の変化によって「家族揃って見る
正月番組」そのものが成り立たなくなっているのではないでしょうか。民放
を見てると、年末年始ならではの番組は、まずありません。
将来に期待が持てないとする人が多い昨今、よき伝統・文化がどんどん
失われていくなら、新年を迎える大晦日の意義ばかりか、日本の魅力自体
が無くなってしまいかねません。
年を重ねるごとに一年が経つのが早く感じますが、年のせいだけでなく、
時間に追われる生活が続くからかも知れません。
来年こそは腰を落ち着けて、以前「アドベント」にも書きましたが「神の
時間」に生きたいと願っています。
今日は大晦日です。「三十日」と書いて「みそか」と読むことから、月末を
晦日と呼ぶようになり(旧暦では大の月が30日でした。小の月は29日
だったため、月の最後の日を表す晦(つごもり)の字をあてたようです。)、
一年の最後の月の月末(即ち年末)を大晦日と呼ぶようになりました。
かつてはお正月が一年で最大の(そしてほとんど唯一の)イベントで、
新年を迎える大晦日の夜は、子どもが夜更かしできる唯一の機会でした。
そういえば、欧米のように「イヴ」を祝う風習がない日本で、大晦日の夜は
例外的な存在と言えるかも知れません。
今では小学生が夜遅くにコンビニにたむろしたり、若い母親が子どもを
抱えて夜中まで遊び歩くのも、珍しいことではなくなってしまいました。
夜更かしで朝起きれなかったり、授業に集中できない子どもが多いことが、
学力低下につながっているとも考えられます。
一方で、たまたま下校途中に犯罪に巻き込まれた子どもがいたことを理由
に、社会の監視体制が強化されていくことには、矛盾を感じずにいられま
せん。
私が子どもの頃、「おせちもいいけど、カレーもね」というCMがありました。
今ではおせち料理を作らない家庭のほうが多いようです。当然、子どもたち
は日本の伝統料理を知りません。
紅白歌合戦の視聴率が毎年話題になりますが、番組のマンネリ化や視聴
者の好みの多様化だけでなく、社会構造の変化によって「家族揃って見る
正月番組」そのものが成り立たなくなっているのではないでしょうか。民放
を見てると、年末年始ならではの番組は、まずありません。
将来に期待が持てないとする人が多い昨今、よき伝統・文化がどんどん
失われていくなら、新年を迎える大晦日の意義ばかりか、日本の魅力自体
が無くなってしまいかねません。