東方の博士たちの訪問の記事は、マタイ福音書2章に記されています。
「イエスが・・・生まれた時」と書かれているため、一見、イエス降誕の
日に彼らがやって来たようにも取れますが、具体的な日時は書かれて
いないばかりか、よく読むとかなり後になってから来た節があります。
新共同訳聖書は「占星術の学者」と訳しています。「占星術」といっても
TVや雑誌でよく見る「星占い」の類ではなく、今で言えば天文学者で
あり、気象予報士でもあり、権力者の相談役でした。私は、聖書を真剣
に読むようになる前は、オカルトに興味を持っていましたが、本格的な
「ホロスコープ」は、政府の御用学者のご都合主義コメントなんかより
よほど信頼に値する「科学的要素」を含んでると、当時感じました。
それに比べると、「血液型分類」なんてほんと、お遊びです。
話がそれましたが、ですから、彼らが異教徒であり、「占い」によって
御子の誕生を知ったことを理由に、そこに神が働いたことを否定する
のは、背景を無視した教条主義的態度といえると思います。
ちなみに、彼らが見た星を「ベツレヘムの東の空に輝く星」と誤解する
人が少なくありません。しかし、仮に天動説に立って考えたとしても、
彼らが東の国で「どの方角に」星を見たのか聖書は語っていません
から、「ベツレヘムから見たら東だ」とは言えないはずです。
さて、星を見た博士たちは、最初、エルサレムを訪ねます。「ユダヤ人
の王」だから王宮にいるはずだ、という思い込みからです。これも
「サタンの策略」と解釈すると、「神かサタンか」の二元論に陥って
しまい、人間はそのどちらかに従うだけの主体性の無い存在になって
しまいます。これは、神が創造した人間のあるべき姿(神の秩序)の
否定にほかなりませんし、キリストの十字架の価値を下げることに
なります。
誤りに気づいた博士たちは、星に導かれて、イエスを発見することが
できました。
このイエスを聖書は「幼子」と表現しています。一方、羊飼いたちが
見たのは「乳飲み子」「みどりご(嬰児)」です。ルカもそれ以降は
「幼子」と言ってますから、意図的に使い分けたと考えるのが自然
です。つまり、博士たちが訪問したのは、生まれたばかりの時では
なく、しばらく(おそらく1年くらいは)経ってから、と思われます。
このイエスの誕生を、快く思わない人たちもいました。ユダヤを支配
していたヘロデ大王、祭司長や律法学者たちです。王は、自分の
地位を脅かしかねない幼子を殺そうと、博士たちに幼子を見つけたら
場所を教えるようにと言っていました。
しかし博士たちは、夢でお告げを受けたので、ヘロデの元に寄らず
に、国に帰ってしまいました。それを知った王は激怒し、ベツレヘム
とその周辺にいた2歳以下の男の子を皆殺しにしました。
このことからも、その時点でイエスが、早ければ2歳になっていたと
考えられます。ですから、羊飼いと博士たちが同時に居合わせた、
というのは虚構だということが分かります。
博士たちが3人という俗説も、聖書に記された贈り物が黄金・乳香・
没薬の3品であることからの類推です。ちなみに、第4の博士がいた
が誕生の際には訪問できず、捜し求め続けてようやく、十字架に
掛けられようとしているイエスに出会う、という「アルタバン伝説」は、
全くの創作ですがクリスチャンには好まれる物語です。
ヘロデ大王による幼児虐殺を、父ヨセフへのお告げによって、イエス
は間一髪逃れます。子ども向けに語られる「クモの巣伝説」も、聖書
には無い創作です。しばらくエジプトに滞在し、ヘロデ大王の死を
伝え聞いてから帰国します。
ヘロデ大王の死は紀元前4年以前と見られていますので、イエスの
誕生はそれより数年前、ということになります。
ところで、クリスマス記事に1つだけ、矛盾点があります。
マタイは、このヘロデ大王の死後、ヨセフはヘロデの息子が王位に
就いたために恐れを抱いて、ユダヤには帰らずガリラヤのナザレに
住んだ、と記しています。
前回書いた通り、ルカは、ヨセフは初めからナザレに住み、一時
ベツレヘムに滞在した、と記しています。
マタイ福音書がユダヤ人向けに書かれたこと、「異邦人のガリラヤ」
という言葉が聖書中にもあるように、辺境の地であり、歴史的にも
北イスラエル王国崩壊後のアッシリアの混血政策があったため、
ユダヤ人のガリラヤに対する偏見・差別意識が強かったことを考え
ると(実際のガリラヤは、宗教熱心な地だったようです)、ヨセフが
ナザレ出身であることをマタイはわざと隠したと見るのが妥当かと
思いますが、それだとマタイ福音書には「嘘」があることになって
しまいます。うーん、困った・・・。
「イエスが・・・生まれた時」と書かれているため、一見、イエス降誕の
日に彼らがやって来たようにも取れますが、具体的な日時は書かれて
いないばかりか、よく読むとかなり後になってから来た節があります。
新共同訳聖書は「占星術の学者」と訳しています。「占星術」といっても
TVや雑誌でよく見る「星占い」の類ではなく、今で言えば天文学者で
あり、気象予報士でもあり、権力者の相談役でした。私は、聖書を真剣
に読むようになる前は、オカルトに興味を持っていましたが、本格的な
「ホロスコープ」は、政府の御用学者のご都合主義コメントなんかより
よほど信頼に値する「科学的要素」を含んでると、当時感じました。
それに比べると、「血液型分類」なんてほんと、お遊びです。
話がそれましたが、ですから、彼らが異教徒であり、「占い」によって
御子の誕生を知ったことを理由に、そこに神が働いたことを否定する
のは、背景を無視した教条主義的態度といえると思います。
ちなみに、彼らが見た星を「ベツレヘムの東の空に輝く星」と誤解する
人が少なくありません。しかし、仮に天動説に立って考えたとしても、
彼らが東の国で「どの方角に」星を見たのか聖書は語っていません
から、「ベツレヘムから見たら東だ」とは言えないはずです。
さて、星を見た博士たちは、最初、エルサレムを訪ねます。「ユダヤ人
の王」だから王宮にいるはずだ、という思い込みからです。これも
「サタンの策略」と解釈すると、「神かサタンか」の二元論に陥って
しまい、人間はそのどちらかに従うだけの主体性の無い存在になって
しまいます。これは、神が創造した人間のあるべき姿(神の秩序)の
否定にほかなりませんし、キリストの十字架の価値を下げることに
なります。
誤りに気づいた博士たちは、星に導かれて、イエスを発見することが
できました。
このイエスを聖書は「幼子」と表現しています。一方、羊飼いたちが
見たのは「乳飲み子」「みどりご(嬰児)」です。ルカもそれ以降は
「幼子」と言ってますから、意図的に使い分けたと考えるのが自然
です。つまり、博士たちが訪問したのは、生まれたばかりの時では
なく、しばらく(おそらく1年くらいは)経ってから、と思われます。
このイエスの誕生を、快く思わない人たちもいました。ユダヤを支配
していたヘロデ大王、祭司長や律法学者たちです。王は、自分の
地位を脅かしかねない幼子を殺そうと、博士たちに幼子を見つけたら
場所を教えるようにと言っていました。
しかし博士たちは、夢でお告げを受けたので、ヘロデの元に寄らず
に、国に帰ってしまいました。それを知った王は激怒し、ベツレヘム
とその周辺にいた2歳以下の男の子を皆殺しにしました。
このことからも、その時点でイエスが、早ければ2歳になっていたと
考えられます。ですから、羊飼いと博士たちが同時に居合わせた、
というのは虚構だということが分かります。
博士たちが3人という俗説も、聖書に記された贈り物が黄金・乳香・
没薬の3品であることからの類推です。ちなみに、第4の博士がいた
が誕生の際には訪問できず、捜し求め続けてようやく、十字架に
掛けられようとしているイエスに出会う、という「アルタバン伝説」は、
全くの創作ですがクリスチャンには好まれる物語です。
ヘロデ大王による幼児虐殺を、父ヨセフへのお告げによって、イエス
は間一髪逃れます。子ども向けに語られる「クモの巣伝説」も、聖書
には無い創作です。しばらくエジプトに滞在し、ヘロデ大王の死を
伝え聞いてから帰国します。
ヘロデ大王の死は紀元前4年以前と見られていますので、イエスの
誕生はそれより数年前、ということになります。
ところで、クリスマス記事に1つだけ、矛盾点があります。
マタイは、このヘロデ大王の死後、ヨセフはヘロデの息子が王位に
就いたために恐れを抱いて、ユダヤには帰らずガリラヤのナザレに
住んだ、と記しています。
前回書いた通り、ルカは、ヨセフは初めからナザレに住み、一時
ベツレヘムに滞在した、と記しています。
マタイ福音書がユダヤ人向けに書かれたこと、「異邦人のガリラヤ」
という言葉が聖書中にもあるように、辺境の地であり、歴史的にも
北イスラエル王国崩壊後のアッシリアの混血政策があったため、
ユダヤ人のガリラヤに対する偏見・差別意識が強かったことを考え
ると(実際のガリラヤは、宗教熱心な地だったようです)、ヨセフが
ナザレ出身であることをマタイはわざと隠したと見るのが妥当かと
思いますが、それだとマタイ福音書には「嘘」があることになって
しまいます。うーん、困った・・・。