Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

クリスマス物語考 前編

2005年12月24日 23時33分39秒 | キリスト教
クリスチャンでなくても、絵画や置物、キリスト教系幼稚園の
発表会などで「降誕」の場面を見た人は多いと思います。
なぜかいろんな動物がいる「馬小屋」にヨセフとマリヤがいて、
飼い葉桶に赤ん坊が眠っており、その赤ん坊の前に、3人の
博士がひざまづいて礼拝し、彼らの後ろに羊飼いたちが立って
いる、というおなじみの場面です。
しかし、この場面を含めて多くの人がイメージする「クリスマス
物語」は、聖書には記されていない誤解や創作をかなり含んで
います。

イエスの父(「聖霊により身ごもった」ので実父ではない)ヨセフ
と母マリヤは、当時ユダヤを支配していたローマ帝国の皇帝
アウグストゥスによる人口調査のため、ガリラヤのナザレから、
先祖の町(「本籍地」に当たるのでしょう)であるベツレヘムに
住民登録をしに行きました。
キリニウスがシリア総督であった時の住民登録で現在確認
されている最も古いものは、紀元6年だそうです。そして14年
ごとに行われたこともわかっています。キリニウスがシリア総督
に就任したのは紀元前6年ですが、それ以前から軍事指揮官と
してシリアに派遣されていたので、ルカの記事は紀元前9年の
登録を指すのではないかと考えられています。
(大昔の話ですので、1,2年のずれはありえます。また登録が
命じられてから完了までに数年を要したとも言われます。)
ベツレヘム滞在中にマリヤは臨月を迎えます。が、同様に
登録に来ていた人たちでごった返していたのでしょう、「宿屋」
には彼らのいる場所がなかった、とルカは記しています。
イスラエルの律法では「旅人をもてなす」よう命じられています。
口語訳聖書が「客間」と訳したのは、宿屋だけでなく誰ひとり
泊めてくれなかった、というニュアンスの意訳でしょう。実際の
ところはどうか分かりませんが、彼らがちゃんとした部屋に
泊まれなかったのは確かです。
「布にくるんで、飼い葉おけに寝かせた。」彼らが泊まったのは
「家畜小屋」だとされる根拠は、この一文です。よく「馬小屋」
と間違われ、日本にもそれが伝わって「厩戸皇子(聖徳太子)
伝説」を生んでいますが、当時の馬は軍事専用で、一般民衆
が飼っていたのは牛かロバです。また宿屋であれば、自分の
家畜を飼うための小屋ではなく、客の家畜をつないでおく小屋
と考えるのが自然かと思います。
「飼い葉おけ」も、よく見る木を組んだ丸い桶ではなく、四角い
石をくり抜いたものです。この地方では木材は大変貴重で、
庶民の家財や日用品にはほとんど使われておりません。

イエスの誕生を最初に知らされたのは、野宿していた羊飼い
でした。昨日書いた通り、野原ではなく、洞窟です。でないと、
いくら天使のお告げに喜んだからといって、羊を野原に置いた
まま「救い主」を見に行ったとは考えられません。
ちなみに当時、羊飼いは身分が低く差別されていたと言われ
ます。生き物相手では「安息日」や「穢れを避ける」といった
律法を守れないことが主因でしょう。ですから、彼らは社会的
には「証人」として認められていませんでした。
これは、イエスの復活の最初の目撃者となった「女性」にも
当てはまります。聖書の「福音」は価値の「逆転」「変革」を
私たちに迫るものです。牧歌的な「物語」として読み流すこと
は、本来許されないのです。

長くなりましたので、続き(マタイ編)はまた明日。