Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

文民統制

2005年12月29日 03時48分52秒 | 時事・社会
昨晩(27日)も娘と一緒に寝てしまい、今日(28日)はちゃんと書こう
と思ってましたが、久しぶりに会った友人と食事に出かけて、午前様
になってしまいました。
私の仕事は正月休みに入りましたが、娘も保育園が休みになるし、
大掃除に帰省の準備と明日は慌しい一日になりそうです。
早く終わらせて寝なくちゃ。

度々ネタに使って、夏目氏には申し訳ありませんが、12月10日記事
「表現の自由の危機」のコメントのやり取りに出てきた「文民統制」に
ついて今日は書きたいと思います。
夏目氏のコメントに「文民統制」が出てきたのは、次の部分です。
「自衛官自身にイラクに行くなという事は、上司の命令を無視しろと
言う事でもあり、文民統制を否定する事に繋がりかねません。阪神
大震災の際、準備は万端だったのに出動が遅れたのも、出動命令を
首相がなかなか出さなかったからです。周囲がどのように騒いでも、
選挙という形で選ばれた国民の代表が決めた事ですから、公務員で
ある彼らにこれを拒む事も、勝手に先走る事も出来ないはずです。」

このコメントについて触れる前に、まず「文民統制」とは何かを確認
しておきたいと思います。
「文民統制」とは、日本国憲法第66条2項の「内閣総理大臣その他
の国務大臣は、文民でなければならない」という規定のことです。
では「文民」とはどのような人かといいますと、現在の政府見解は、
「旧職業軍人の経歴を有する者であって、軍国主義的思想に深く
染まっている者でない者」となっているようです。岸信介元首相や
中曽根康弘元首相も、これには該当しなかったことになっています。
(それなら誰が該当するのか、不思議でなりませんが。)
自衛官経験者も、長く例がありませんでしたが、第一次小泉内閣で
中谷元氏が防衛庁長官に就任しました。
日本国憲法に文民統制が盛り込まれたのは、先の戦争が「軍の
独走」の結果であったという反省に基づいてです。大日本帝国憲法
では統帥権は天皇に属しており、軍はこれを盾に自分たちの利益の
代弁者を大臣に送ったり、政府の方針が気に入らなければ大臣を
出さずに内閣を流産させたりして、事実上政治の実権を握り、戦争を
推し進めていきました。
また、この規定は、9条の戦争放棄・戦力不保持と併せて、軍国主義
を一掃することで、「日本は二度と戦争をしない」というメッセージを
世界に向けて発する、という意味合いも含まれていたと思われます。
GHQ及び米国政府が、中国や旧ソ連の批判をかわして天皇制を残す
ために徹底した民主化・非武装化を日本に要求した経緯を考えれば、
あながち「読み込み過ぎ」でもないでしょう。
さて、夏目氏のコメントですが、「文民統制」が公務員一般ではなく、
軍人に対するものである、という点を考慮しても、「派遣命令拒否」が
「文民統制否定」に繋がるというのには、論理の飛躍があります。
海外派遣は自衛隊の本務ではありません。ですから後から「特措法」
等を作ったところで、それ以前に入隊していた人にとってはある意味
「労働契約に反する」ことになります。
また、公務員といえども思想信条の自由はあります。「良心」に基づく
拒否を否定し、「命令には絶対服従」を強要するのは、それこそ軍国
主義的発想にほかなりません。
そして、この点が最も重要なのですが、「文民統制」の精神・背景を
考えれば「軍事行動の拒否」こそがその実践であり、「文民統制の
否定」とはむしろ正反対の行為であると言えます。
歴史を見ても、上海事変の後、現地の司令官は停戦を計ろうとした
にも関わらず、当時の広田内閣が大援軍の派遣を決定して戦線を
拡大させ、悪名高き「南京事件」へと繋がっていった事例があるよう
に、「文民」だから、国民の代表だから、常に正しい選択をしている
とは限りません。それに異を唱えられるのは選挙の投票の時だけ、
というのでは、本当の民主主義とは言えないでしょう。
ちなみに、イラク派遣当時の防衛庁長官は、衆議院の憲法調査会で
「徴兵制は苦役には当たらず、違憲ではない」と、政府見解と異なる
発言をしたことで知られる石破茂氏です。石破氏は在任中に「防衛
参事官制度」見直しを柱とした防衛庁設置法改正などの検討を指示
するなど、「文民統制」廃止論者と見られています。
(閣僚ではなく「文官」の権限縮小ですので直接的には憲法条文に
触れないにしても、官僚が行政の中核を担っている現状や、背景に
制服組の背広組に対する不満があることを考えれば、「政治の後退」
と受け取られるのも当然でしょう。)
本当に「文民統制を否定」しようとしているのは誰か、しっかりと見極め
なければなりません。